2018.07.29

音声を聞く(MP3, 32kbps)

「目標を目指して」

秋葉正二

フィリピの信徒への手紙 3,12-16

 「フィリピの信徒への手紙」から学びます。フィリピはマケドニアにあるローマ帝国の植民都市です。かつてパウロはアジア州で幻を見た際、一人のマケドニア人が 「私たちを助けてください」 と懇願したことを受けて、初めてエーゲ海を渡ってヨーロッパに上陸し、最初に訪れたのがフィリピでした。そこでリディアという信仰深い女性の洗礼をきっかけにフィリピの教会が誕生しました。占いの霊に取り憑かれた女性から悪霊を追い出したり、挙句の果てには投獄されたりと、ハプニングも起こりましたが、ここからフィリピ教会の歴史が始まります。

 使徒言行録16章9節以下にその辺りの顛末が書かれています。フィリピの教会は、以後、パウロと親密な関係を維持し、折にふれてパウロの宣教活動を支援しましたが、パウロも信徒たちにこまやかな愛情を抱いて、双方の友好関係が築かれていきました。

 フィリピ書は、パウロ書簡によく見られる教義の展開や解説、あるいは教会生活に関する諸問題への回答などを目的とはしていません。あえて言えば、信徒たちに対する実践的な勧告です。きょうのテキストは一言で云うと、小見出しにあるように、「目標を目指して走ること」がテーマです。

 パウロが開拓した教会は、彼が滞在している間は直接指導できましたから、信仰的にそれほど混乱することはありませんでしたが、いなくなればいろいろな人たちからいろいろな意見が出るようになり、教会内がギクシャクするようになりました。フィリピ教会も例外ではなく、パウロとは違う主張をする人たちの意見が幅を利かせるようになったのです。パウロから見れば自分の主張に反対する人たちです。ユダヤ主義者と言ってもいいのですが、きょうのテキストは、その反対者・ユダヤ主義者を念頭に置いて書かれています。

 15節に「完全な者」という言葉が出ているのですが、反対者たちは自分たちを「完全な者」と考えていました。どういうふうに「完全な者」と見なしたかと言えば、救いの根拠を律法の遵守に求め、律法遵守を第一とすることにより、キリスト教生活の目標は既に達成してしまっていると思い込んだのです。やはり亀裂の大本は律法理解でした。

 パウロの主張は、ご存知のように、「人は神さまの無償の恵みによって、信仰を通じて救われる」 というものです。しかし、この世にとどまる限り、救いはまだ完成されていないのだから、救いの恵みに与っている信仰者たちは恵みに応えて、ますます福音にふさわしい生活を送るよう努力しなくてはいけない、というのが彼の主張です。12節で 『わたしは、既にそれを得たというわけではない』 と言っていますが、何を「得る」かと言えば、すぐ前の9節を読めば分かります。『律法から生じる自分の義ではなく、キリストへの信仰による義、神さまから与えられる義だ』 と言うのです。

 義というのは救いのことです。さらにそれを具体的に表現すれば、10節,11節の言葉になります。イエス・キリストの十字架の死を通してもたらされた復活への希望です。これをはっきり捕らえようと自分は努力しているのだ、とパウロは言うのです。しかも「捕らえようと努力する」姿勢は、自分から生じるのではなくて、すでに自分を捕らえてくださっているキリストから与えられるのだ、とパウロは考えました。ですから、15節の「完全な者」というのは、反対者たちに対する皮肉を込めた言い方でしょう。反対者たちが用いる「完全な者」という表現を逆用した言い方をしたわけです。

 15節の最後に 『神はそのことをも明らかにしてくださいます』 とありますが、そのことというのは、文脈から考えると「‘完全な者’についての正しい見解」と受け取るのが自然でしょう。続く16節に出てくる 『到達したところに基づいて進むべき』 という言葉は、自分は正しい道を走っている、というパウロの確信を表しています。パウロは最終目的地に「達した」とは考えてはいないけれども、進むべき方向と道の選択は間違っていないと確信しています。

 ここを読んでいると、コリント前書の9章24節に出てくるあの有名な「競技場で走る者」の譬えを思い出します。2020年には日本で半世紀ぶりにオリンピックが開催されることが決まっていますが、ご存知のように、近代オリンピックのモデルはギリシャの古代オリンピックです。パウロがこの書簡を認めた時代より800年も前にギリシャではオリンピックが開かれていましたので、パウロが当然のように競技場で走るアスリートのことをイメージしていたことを想像すると、なんだか時代が近づいて来るような気がします。

 古代オリンピックは初めはギリシャのポリスの選手だけでしたが、次第に広域化していき、ギリシャの植民地からも選手が送られるようになっていったそうです。パウロの時代には既に衰退期に入っていたと見られていますが、汎ギリシャ的祭典競技となっていたことは確かで、たくさん残されている競技者の彫像やレリーフから当時を偲ぶことができます。

 当時の競技種目の中心はランニング競技でした。当時は戦争中であっても、オリンピックの祭典の期間だけは戦争を中断したそうですから、そこに平和の祭典と呼ばれる理由があるのでしょう。古代オリンピックは、紀元4世紀末に、キリスト教をローマ帝国の国教にした皇帝テオドシウスによって〈異教禁止令〉が出されて1000年以上に渉る歴史に幕が落とされています。なぜ異教禁止令にひっかかったかと言えば、もともと古代オリンピックはゼウスの神に捧げられる祭典だったからです。

 話が横道にそれましたが、とにかくパウロは競技場で走るランナーのことを引用しているくらいですから、「オリンピックのことをよく知っていたはずです。ですから彼はごく自然に、競技者のイメージを用いて12節で述べたことを13節14節でも繰り返しています。14節に 『神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞、云々』 とありますが、この「召し」はパウロが回心のときに受けた「召し」のことが考えられていたでしょう。しかしそれだけでなく、将来実現される完全な救いへの召しという意味も込められていると思います。この召しによって、パウロは全き救いである賞を得るために、目標を目指して走る生活へと招かれているわけです。

 15節の 『しかし、あなたがたに何か別の考えがあるなら……』という表現もちょっと気になります。彼はフィリピ教会の一部の人たちが、自分とは異なる考えを持っていることを前提として語っています。その上で彼は自分が主張してきたことを、神さまははっきりと示すにちがいない、と言っているのです。

 ところで、私たちはパウロが 「到達したところ」と表現している目標を目指して、キリスト者として進んでいるでしょうか。そこは目標を目指して走る途上かもしれません。たとえ途上であったとしても、私たちはその到達したところにしっかり立たなければいけないと思います。パウロは私たちに、途上にある者として生をしっかり貫け、と声をかけてくれているのでしょう。イエス・キリストはご自分に従ってくる者をどんな姿勢を通して導こうとされておられるのか、しっかり見ていなくてはなりません。

 人間は自分の氏素性だとか地位とかいったものを誇ります。パウロの教えに反対したユダヤ主義者は、エルサレム教会から来たとか、自分は由緒あるユダヤ人である、というような人間的要素を誇った人たちでした。そうした権威をひけらかして自らの主張を押し付けたのです。しかしパウロは、そうした人間的なものにおいても自分は彼らに勝っていると、いろいろなことを並べています。少し前の3章5節に出て来る 『わたしは生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人です』 という言葉などは、一旦相手の土俵に乗った言い方でしょう。そのような表現をした方が相手によく分かるからです。

 そうした言い方をしながらも、パウロの頭の中にあるのは、キリスト・イエスを知った素晴らしさです。彼は少しでもキリストから目をそらせる恐れのある人間的な誇りはかえって損なことをよく自覚していました。だからこそ、相手の土俵に乗るうような物言いをしつつ、人間的なものに少しも頼らずに、ただひたすら神さまのみ霊によって礼拝し、キリスト・イエスだけを誇ったのだと思います。

 そのように生きることが、十字架で死んで甦られたイエス・キリストによって、私たちが古い罪の命に死に、新しい義の命によみがえり、喜びに溢れた人生を送ることができるからです。そのように生きる人は、懐手をして怠けていることはないでしょう。いつも自分の不完全さを認めつつ、救いの完成を目指して進みます。

 キリスト者はそのように走る競技者です。しかもキリストがそれを得させてくださると信じて平安と希望のうちに前進し続けます。その生き方はキリストの十字架につながっています。自分の本籍が天にあることを確信して、ひたすらキリストを待ち望んで生きる、そのような人をイエス・キリストは、万物を従わせる力をもって、ご自身の栄光のからだと同様に変えてくださいます。祈ります。


 
礼拝説教集の一覧
ホームページにもどる