テキストの前半は復活されたイエスさまと弟子ペトロとの一対一の対話です。 20節からはもう一人の弟子が出てきます。 「イエスの愛しておられた弟子」としか記されておらず、固有の名前は記されていません。 前半でまず印象的なことはイエスさまがペトロに三度も同じ質問を繰り返されていることです。 ペトロに三度と来れば、私たちにもピンと来ます。 大祭司の屋敷の中庭で「お前もあの男の弟子の一人だろう」と問われた時に、三度も「違う」と答えてしまった途端、鶏が鳴いたという記事です。
ペトロは12弟子の中心的人物です。 元々ガリラヤの漁師ですから、パウロのような知識人ではなかったでしょう。 しかし知的ではないけれども、信仰的な感性という意味ではパウロと並ぶキリスト者の双璧です。 イエスさまの前で思わず大見得を切ってしまったり、失敗したりするエピソードが4つの福音書に記されています。 そうした彼のそれまでの行動や人柄を踏まえた上で、イエスさまは対話されているように感じます。
大見得を切ったと言いましたが、そうした記事の一つがこの福音書の13章36節以下にあります。 弟子たちの足を洗う「洗足」の記事に続く部分です。 イエスさまがそこで『わたしの行く所に、あなたは今ついて来ることはできないが、後でついて来ることになる』と言われたことに対し、ペトロは『主よ、なぜ今ついて行けないのですか。あなたのためなら命を捨てます』と応じました。 その時イエスさまは『鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう』と予告されています。
大見得を切るだけではなく、実際の行動も失敗が目立ちます。 十字架を前に他の弟子たちと逃走してしまったのは決定的な失態でしょう。 まあ、これは彼だけでなく他の使徒たちも共通です。 とにかく復活のイエスさまは、そのようなペトロの正体を前提にして対話されています。
イエスさまの質問は、『ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか』というものです。 不肖の弟子に向き合って語りかけているわけですから、当然イエスさまはペトロを許しているのですが、「わたしはあなたを許している」とは言われないで、『わたしを愛しているか』と問われたのです。 そこには不肖の弟子の不信仰を、階段を一段ずつ昇るように、丁寧に確かなものへと導こうとされているイエスさまのペトロへの愛が溢れているように感じます。
自分が裏切られてもイエスさまはペテロを裏切らないのです。 私たちの世界では裏切りは日常茶飯事ですが、神様の愛はまったく別物です。 愛と言えば、この箇所で、原文のギリシャ語では福音書記者は「愛する」という動詞を使い分けています。 なぜ同じ意味の異なる言葉を使い分けるか、私には理由がよく分かりませんが、聖書学者も明確な説明はしてくれません。 これは宿題ということにしましょう。
またイエスさまの答えも、毎回微妙に違っています。 『わたしの小羊を飼いなさい』が『羊の世話をしなさい』『羊を飼いなさい』と変化しています。 単なる文章表現の問題なのか、それとも何か意味が込められているのでしょうか。 あまり神経質になる必要はないと思いますが、羊と牧者の譬は旧約以来の伝統ですから、おそらく福音書記者はエゼキエル書34章などを念頭に置いていたものと思われます。そこではイスラエルの牧者たちに預言が語られていますが、牧者と羊の関係が事細かに論じられています。 テキストでは、メシアとしての主イエスの権威が示されています。
それにしても、私はペテロの心には十字架から逃げて以来ずっと、ある種のわだかまりがあったと思っています。 主と仰いだ人を否定したり裏切ったりすれば、それは取り返しのつかない失敗です。 もしかするとイエスさまの質問に対しても、「自分はやっぱり疑われているかもしれない」という疑念すら抱いたかもしれません。 だからこそ彼は「愛しているか」という質問に、きっぱりと「愛してています」とは応じられなかったのです。
17節には三度も愛しているかと問われて『悲しくなった』と書かれています。 これがペトロの正直な胸の内だったでしょう。 ですから彼の返事にはちょっとためらいを感じます。 『はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存知です』と二度返答した後、三度目には『主よ、あなたは何もかもご存知です』と付け加えています。 ペトロの切ない思いが伝わってくるような気がします。
自分以上に自分のことをイエスさまはよく知っておられる、そう感じたのでしょう。 自分には何の申し開きをする資格もないこと、あなたを愛していると言いながら、その言葉が何の裏付けもないこと……、もう私は一切をあなたにお委ねするしかありません……そうするしかなかったのでしょう。 しかしその悔いている姿をイエスさまはじっと見ておられたのです。
皆さんはなぜペトロがカトリック教会で初代教皇として位置付けられたか、なぜ彼が筆頭弟子などと呼ばれるのか、考えたことがおありでしょう。 この時の彼の悔いた心、自分の一切を主イエス・キリストに委ね切った決断、これですね。 人間が神の前に悔い改めるということの見本がここに示されています。 ですからペトロはなるべくしてパウロと並んで教会の生みの親になったのだと思います。
18,19節にはペトロの死に方が暗示されています。 ペトロは紀元62年頃、皇帝ネロの迫害下にローマで殉教したと伝えられていますが、ペトロは復活のイエスさまに出会ったことで本当の弟子とされたのです。
ノーベル賞をもらったポーランドの作家シェンキビッチの小説「クォ・バディス」を思い出します。 夜中にローマを逃げ出して、アッピア街道を急ぐペトロに、夜明けの光の中にイエス・キリストが現れるのです。 「ドミネ、クォ・ヴァディス 主よ、何処に?」と思わず声をかけたペトロに、イエス・キリストはローマの方を指さします。 このことを機にペトロは再びローマに戻り殉教の道を歩みます。
小説もさることながら、ヨハネ福音書のこの物語は、信仰を考える際に本当に素晴らしいお手本です。 私たちは「イエスさまを愛している」と思っていますが、ペトロほど神様に自分を委ね切っていないと思うのです。 少なくとも私はそうです。 イエスさまを凄いなと感じるのは、イエスさまが私たち以上に私たちそのものの姿をご存知だからです。
自分のことは自分が一番よく知っていると私たちは考えていますが、そこには多分に誤魔化しやら嘘が含まれています。 私たちは自分に都合のいいように、自分をいつの間にか飾っています。 その虚飾がイエスさまと向かい合う時、一枚二枚と剥がれ落ちるのです。 やっぱり人間は神様を信じていないとそのことに気づきにくいのです。 信仰は人間にとってなくてはならない重要なものです。 私たちはもっと声を大きくして、「イエスさまが大好きだ」と叫んでもよいように思いました。
神様は信仰を通して、人間に人生の意味を与えてくださいます。 ペトロには失敗が何度もありました。 彼を見ていると人間の弱さを思います。 しかし弱さや罪を通して、人はまた自分をより深く知り、人生の不思議さを想い、より深く神様をも知るようになるのです。 人間は年を取れば道徳的に高められていくとは限りませんし、より醜くなることもあるでしょう。 表現が難しいのですが、人生のすべてを通して、信仰を関わらせながら、神様は人を成長させてられる、そういうことではないでしょうか。
イエスさまはペトロを今ひとたび立ち直らせて彼に言葉をかけられました。 『わたしに従いなさい』。 さて、20節以下です。 ここにはもう一人の『イエスの愛しておられた弟子』への言及があります。 22節でイエスさまはこう言われています。 『わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか。あなたは、わたしに従いなさい』。 これはヨハネ福音書においてイエスさまがペトロに語られた最後の言葉になります。 他の弟子たちがどうなるかを気にする必要はない、あなたはただ私の言葉に従って、私が与えた使命に忠実に生きればそれで充分なのだ、とイエスさまは仰っているのです。
ペトロも他の愛弟子も、みなそれぞれの賜物を与えられており、イエスさまとの関係も別々です。 それでいい、と言われるのです。 この記事をもってヨハネ福音書は終わるのですが、それは同時にそこから先は、使命を与えられた私たち一人一人の出番だということでもあるでしょう。 教会はここから実質的にスタートして宣教活動は世界に広がっていきました。 この使命は、現代の私たちにも引き継がれています。 そのことを自覚してこれからも歩んでまいりましょう。 祈ります。