2018.02.11

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「赦しの恵み」

陶山義雄

詩編51,1-11コリント二 8,9

 本日の週報下段のコラム:「牧師室から」でも触れておりますが、教会の暦では、来週の2月18日から受難節に入ります。クリスマスと並んで私達には大変大切な行事が始まります。クリスマスが主のご降誕を喜び迎える時であれば、受難節はこの幼子が地上にあって、為された出来事と働きを思い起こし、その事が今の私にとってどんな意味をもっているのかを確認する、ある意味ではクリスマス以上に大切な時ではないでしょうか。幼子ご降誕の意味は正に受難節から受難週、そして復活節の中で私たちが与かることの恵みである、と云うことが出来るのです。

 そして本日の礼拝は来週から始まる受難節前の聖日であり、今週はレント(受難節)を迎える準備として守られます。プロテスタント教会では今週の14日を「灰の水曜日」として特別な行事を持っておりませんが、カトリック教会ではこの日にミサを捧げ、懺悔の徴に灰を額や頭に頂いて、これより復活節までの長いレントの期間、それぞれが自分の罪を見つめ、悔い改めに相応しく、慎ましく過ごします。また、教会では福音書に基づいて受難劇が行われます。丁度、クリスマスに主として教会学校の子供たちが聖誕劇(ページェント)を披露しているように、こうした劇を通して、聖書のお話が身近に感じられ、大人も子供も一つになってクリスマスやイースターを迎える準備がなされます。

 本日、初めに歌った讃美歌(294番)は受難劇を讃美歌で巡ることが出来るようにドイツで作られた讃美歌です。原作では22節もあり、受難全体の持つ意味と内容の紹介(294番〜1節)、ベタニアでの香油、ユダの裏切り、最後の晩餐、裁判、処刑、埋葬、そして受難劇の締めくくり(294番〜2節)、すなわち「イエスが我々の罪を担い、その身代わり、代償として十字架につけられ、神の怒りを引き受けて下さったことへの感謝をもって全体を閉じています。こうして受難物語全体が分かるようになっています。音楽ファンであれば、この讃美歌の第一節はバッハが「マタイ受難曲」の第一部を閉じる第35曲目で少年合唱団を加えて壮大な合唱曲に仕上げていることは良くご存じであろうと思います。

 また、バッハがマタイ受難曲に先立って3年前の1424年に、ヨハネ受難曲を作っておりますが、そこでは、この讃美歌を冒頭の合唱曲で用いておりました。でも、マタイ受難曲を作曲した時に、バッハはこの讃美歌を第一部の結びに置き換え、イエスが逮捕された場面で、弟子たち全員が逃げ去った所で捧げられる讃美歌にしています。294番はそれほど大切な讃美歌であることを覚えていきたいと思います。私達もペテロや弟子たちと同じように、十字架を前にして主を見捨て、逃げ去る罪深い存在であることを告白する、それが今日の礼拝でもあります。

  本日とり上げましたテキストは一見、イエス・キリストの受難の出来事を読み取ることが出来ないように見受けます。ここでは、パウロがエルサレム教会の困窮している姿を見て、コリントの教会に義援金を依頼した内容が記されています。しかし、この箇所には、クリスマスの出来事と主イエス・キリストの働きの両方が語られています。降誕節から受難節へ向かう私達に橋渡しとなる内容がパウロの言葉から読み取れます。

「あなた方は、私達の主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなた方のために、貧しくなられた。それは、主の貧しさによってあなた方が豊かになるためです。」(コリント二 8:9

 クリスマスについて、私達は、マタイとルカが繰り広げているクリスマスのメルヘンに注目して来ましたが、マタイもルカの物語も、パウロが語る救い主ご降誕の記述よりもかなり後で出来たもので、ここには、ベツレヘムのことも、ユダヤのことも出て来ません。救い主が世に現れたとはどう云う意味であるか、そしてそれが現れるのは、どの場所、どの国、また、どの時代であるかさえ超え出て、言い換えれば、私達の住んでいる現代であっても、同じ意味をもっていると云う姿勢で、救い主降誕の意味を語っています。それはヨハネ福音書の冒頭で述べられているロゴス賛歌にも通じる内容です。

 「神と等しくあられた方が、私達と同じ貧しい存在にまで降りて下さった」これが救い主ご降誕の意味としてパウロも、ヨハネ福音書記者も語っています。この中に主の十字架が語られているでしょうか。実は語られているのです。ヨハネ福音書では11節に「ロゴス(言)は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった」とあります。パウロについても、これから検証してみたいと思いますが、その前に、同じ趣旨でパウロが別の所で語っている所、それはフィリピの信徒への手紙2章6節以下から注目したいと思います。

「キリストは神の身分でありながら、神と等しくあることを既得のものと見做すことはせず、自らを空しくして僕となり、人間と同じ者になりました。人間の姿で現れ、自らを低くし、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、膝をかがめ、すべての名が、イエス・キリストは主である、と告白し、父である神をたたえるためです。」(フィリピ2:6〜11

 ここでは、本日・礼拝のテキストであるコリント後書8章9節と同じように、神が人の姿をまとってこの世に来られたと云う受肉(インカーネーション)をもって、主のご降誕、クリスマスの意味が語られています。 加えて、受難、昇天、天の栄光に向かわれた救い主の全てが述べられています。フィリピ書の方は「キリスト賛歌」と呼ばれ、初代教会が作成した最初の讃美歌である、とも言われています。代々木上原教会で洗礼式がなされる時、信仰告白を、このフィリピ書にある「キリスト賛歌」が引証され、私達の信仰の基準として用いられています。パウロが何故・初代教会最古のキリスト賛歌をここで引用したのでしょうか。そのことについて、パウロはこの賛歌の直前(1節以下)でこう述べています。

「そこで、あなたがたに幾らかでも、キリストによる励まし、愛の慰め、霊による交わり、それに慈しみや憐みの心があるなら、同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせて思いを一つにして、私の喜びを満たしてください。何事も利己心や虚栄心からするのではなく、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことも注意を払いなさい。互いにこのことを心がけなさい。」

 これらの勧めを模範として生きてくださった方こそキリストである、と指摘して、この賛歌が語られているのです。

  同じことがコリント教会にあてた、本日のテキストにも当てはまります。パウロは配慮を込めて、つまり、批判よりは要請として8章の初めから要望を述べた後、その要望を先駆けて示しているイエス・キリストの働きをその模範例として、ここに挙げているのです。

「主は豊かであったのに、私達のために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって私たちが豊かになるためである」(コリント二 8:9)

 コリントの教会にパウロがこの手紙を書いた時、パウロはエルサレム教会が極度に欠乏している有様を思い浮かべながら、あの欠乏に比べれば物的豊かさを享受していたコリント教会の人々に義援金を呼び掛けるために、この文書を書き送っているのです。とかく、献金とか義援金などは、敬遠されることがあるものです。そこで、パウロは献金や、義援金と云う言葉を避け、「恵み」(カリス)と云う言葉を使い、この箇所の冒頭、8章のはじめの所から用意周到に書き始めているのです:

 「兄弟たち、マケドニアの諸教会に与えられた神の恵み(カリス)について知らせましょう。彼らは苦しみによる激しい試練を受けていたのに、その満ち満ちた喜びと極度の貧しさが溢れ出て、人に惜しまず施す豊かさとなったと云うことです。恵みの分かち合いが有効に働くように、コリントの人々に細心の注意を払っている姿を見て、私は深い感動を覚えます。物的な貧しさは分かち合うことによって、豊かになる。それは物の欠乏ばかりではありません。心の貧しさまで分かち合いによって豊かになるからです。私たちに、もしクリスマスがなかったら、どれほど、寂しく、孤独な、物と心の貧しさを抱えたままで年の瀬を過ごすことになるでしょう。クリスマスになると、頂いた恵みをそれぞれが分かち合う、普段の生活ではこうした分かち合いを殆どしていない人でも、天が与えて下さった幼な子と、そのお方の働きを見れば、私達の貧しい心と生活も少しは豊かになるのではありませんか。パウロはそのことを教えています。

 問題は、こうした豊かさの交流がほんの僅かの間しか続かない所にあります。何故でしょうか。パウロは私たちが欲に従って生きる罪深い存在であることを知って、こう述べています:「わたしの内には善が住んでいないことを知っています。善を為そうと云う意思はありますが、それを実行できないからです。・・・わたしは何と惨めな人間なのでしょう。」(ロマ書7:18f

 私は毎週水曜日午前10時から11時にかけて、ジ・アルフィー・アワー「終わらない夢」を、毎週とは行かないのですが、時間の許す限り良く聴いています(前週水曜日夜11時からの番組再放送)。明治学院の卒業生、とりわけ自分の教え子達が活躍している様子を聞ける貴重な時間になっています。時折、彼らは、在学中に体験した話をこぼれ話で聞かせてくれるのも嬉しい限りです。暫く前のこと、それは昨年の8月16日水曜日でした。ある曲の紹介とそれを放送で送る前に、この曲は「マタイ福音書でペテロが質問した時に、イエスが答えた言葉に関連している」と高見沢俊彦君が云っていたのを聞いて、大変嬉しく思いました。彼はその章節までは覚えていなかったのですが、或いは、知っていても云わなかったかも知れないのですが、それはマタイ18章21節と22節に出てくる言葉です:

「ペトロがイエスのところに来て言った。『主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。7回までですか。』イエスは言われた。『あなたに云っておく。7回どころか7の70倍までも許しなさい。』」(マタイ18:21〜22

 この聖句は私にとっては救いの原点になった命の言葉です。何故、明治学院から神学校へ行き、なぜ教職になったのかは、この言葉に出会ったからであると云っても過言ではありません。そしてこの言葉は昔、私を立ち上がらせたという、過去の出来事であるばかりでなく、今でも心に響き、私を生かしてくれる言葉であります。ですから、礼拝や聖書の授業でも必ず何回か言及している聖句であり、これをアルフィーが覚えてくれたことに云い知れない感謝の思いで一杯です。それは、私の働きや力ではなく聖書の御言葉に力があるからです。語られたイエスご自身によるのであって、アルフィーが覚えてくれていた言葉を通して私も感動を新たに致しました。

 彼らが学校の礼拝や聖書の授業を通して命の言葉に触れ、感謝の思いを込めて、今お返しとして演奏活動をしている様子は随所に伺えます。(本日は会堂入口に1989年秋の『毎日グラフ』に載せられたアルフィー3人と私が礼拝堂を背景に撮られた写真を貼っておきましたが、彼らのリクエストによって毎日グラフに載せられた写真です) 何故、イエスのこの言葉によって私が癒され、今まで生きることを許されているのかと云えば、私には自分では拭い去ることの出来ない自責の念、罪責感があるからです。

 1947年12月27日、当時10歳であった私は2歳年下の妹を栄養失調で亡くしました。戦後2年が経った当時の日本では、まだひどい食糧難の時代でした。そのような中で私が生き延びて、妹が餓死同様の状態で死んでいったということは、同じ食卓を囲んでいた私は、拭うことの出来ない罪責感に襲われました。この思いは今でも私を苦しめています。そのような時、教会学校の先生から先の聖句を頂いたのです。「どんなに赦されないと思われる罪があっても、イエス様は赦しておられます。だから、その言葉を信じて生きなさい。」無限の赦しを語られた主ですが、この言葉には打ちひしがれた心を、もう一度、立ち上がらせてくれる力があったのです。「赦しに与かって」もう一度、人生を始めよう、と云う積極的な気持ちへ向かわせてくれる力がありました。私にとって、クリスマス、救い主の御降誕とは、自分の心に先の聖句、主の赦しの言葉が自分の心に光を灯してくれた日であります。聖書の言葉が自分の心の中に宿り、生き始める。これが「聖なる夜の物語」として伝え聞くクリスマスとは別に、私達が与かることの出来る、ある意味で、本当のクリスマスではないでしょうか。

 パウロは生前のイエスを見たことはありません。私達も同様です。彼に訪れたクリスマスは、使徒言行録の9章に記されています。これはルカ福音書記者が書いている所ですが、パウロ自身はコリント人への手紙U12章に書き残しています。「思い上がることのないようにと、わたしの身に一つのトゲが与えられました。・・・これについてわたしから離れ去らせるように、わたしは主に三度、主に願いました。すると主は『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのた。』と云われました。だからキリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」(12:8f

 パウロは数多くの手紙を残しておりますが、使徒言行録にある通りダマスコ途上で視力障碍者となったパウロは若干回復した様子でも、ほとんどの手紙は第三者に口述筆記させ、最後に挨拶を自筆で大きく書いていることが、文末から伺えます。一例をあげればコリントの信徒への手紙Tの最後、16章21節で筆記者に代わってパウロ自身が手書きで書いている所です:

「わたしパウロが(ここからは)自分の手で挨拶します。マラナタ=主よ、来て下さい。主イエスキリストの恵みがあなた方と共にあるように。わたしの愛がキリスト・イエスにおいてあなた方一同と共にあるように。」

 救いの出来事はそれぞれ弱さの中で自分に啓示されるようです。聖書の言葉が自分の生き方となり、命として受け止められるのも、そういう限界状況におかれた時であることが多くあるようです。クリスマスの後にキリストの十字架の出来事を覚える受難節がある、と云うのはそう言うことではないでしょうか。受難、限界状況、死の恐れの中で、救い主が私たちの心に宿るのです。パウロもそうでした。拙い私の体験もそうでした。どうか皆さんにも、再び良い受難節・復活節から遡るクリスマスが訪れますように、これから訪れる受難節・復活節にあって、懺悔に相応しい恵みに与かり、新しい命に生きる私達となることが出来ますように祈っています。貧しさ、弱さのなかで、私達は主の復活を仰ぎ、救い主をそれぞれの心にお迎え出来ますように、これより始まるレントの時節を身を正して迎えたく思います。

 信仰生活、教会生活の中で、それは長さに関係なく、忘れ難い礼拝、自分の人生を大きく方向付けた礼拝説教はどなたにもお有のことではないでしょうか。私には忘れ難い体験があります。それは1948年の春、村田四郎先生から頂いた礼拝説教でした。一昨年の11月のことですが、母校明治学院の礼拝堂は献堂100周年を迎えるにあたり、同窓生から「思い出の礼拝」と題して原稿の募集があり、私は迷うことなく、村田先生との出会いを織り交ぜてこの懸賞に応募させて頂きました。以下にその原稿を読ませて頂きます:

 人生再出発の礼拝体験          陶山義雄
それは、1948(昭和23)年4月初旬に行われた明治学院中学校の入学式のことであった。私は前年の12月17日に2歳 下の妹を栄養失調で亡くし、その悲しみを抱えたまま入学式に臨んでいた。家は戦災で失い、戦禍の傷が日本中を覆っていた中での旅立ちであった。少年の傷を癒すかのように、明治学院キャンパスは無傷であり、村田四郎院長の式辞は人生を希望へと変える炎を灯してくれた。「聖 書は一貫して平和を伝えている。敗戦国となっても、惨めに思う必要はない。イエス・キリストは戦禍の中で私たちと一緒に苦しんでおられる。以前の敵や加害者を憎んではならない。赦し、赦されて新たに生きるのが明治学院であり、神から招かれた君たちなのである。イエスが十字架上で着せられた紫の衣は、為政者による屈辱的な仕打ちではあったが、実は、最も深い和解と平和の象徴が紫である。君たちは菖蒲の花のように、これから真っすぐに立ち上がり、紫を誇りにして生きなさい。(式辞概要)」 兄弟愛を 証しているかのようにチャペル右袖最前列には、オールトマンズとハ ナフ オード両宣教師がおられた。式典のあと、院長は旧友の両先生にお立ち頂いて、戦時下でも帰国せず学院に留まておられた先生が、高輪警察に連行され、日米捕虜交換の質草に使われて帰国を余儀なくされたが、戦後直ぐに明治学院に戻って来られたと紹介された。平和の証をこうして実際に体験してから、礼拝堂は私の心の故郷として今でもあり続けている。

  ハナフォード先生ご夫妻は、日本の再建を確かめながら、2年後に帰国されました。私は、一度は敵意の目で先生を見ていたことを反省し、謝罪のご挨拶を申し上げました。また、それから13年経って、留学中のことでしたが、引退生活をしておられた先生ご夫妻をシンシナテイにお訪ねして旧交を温めることができました。明治学院礼拝堂には今も、先生を記念したピアノが設置されています。その説明を私が書かせて頂きました。

    スタインウェイ・アップライトピアノについて

 (礼拝堂右袖に展示されているピアノの説明文)
このピアノは1921(大正10)年から1950(昭和25)年まで明治学院宣教師であった H.D.ハナフォード(1887〜1973)先生ご夫妻がご自宅の宣教師館で愛用されたもので、1950年6月に日本を去る時に、この礼拝堂に寄贈された ピアノである。それまでは、古い音量も足りなくなったハルモ二ウム・オルガン(現在は記念館に収蔵展示)を礼拝時に使用していたが、以降は1966年にヴァルカー社のパイプ・オルガンが設置されるまでの間、このピアノが伴奏をつとめていた。先生は1931年より日本の讃美歌改定委員 をつとめられ、その功績は1954年に編纂された讃美歌序文に記されている。米国長老派教会が明治学院を支えて下さった記念としても、永くこのことを覚えておきたい。   陶山 義雄

 忘れられない礼拝と説教について、私達は、昨年秋、御元に召された村上 伸先生から、この会堂で数多く頂いていることを思います。心に残る出会いの出来事はお互いの心から永遠に消えることはありません。主にあって先生に心から感謝を捧げたいと思います。また、明治学院生がシュタインウェイのピアノを介してハナフォード先生と出会えるように、私達は村上先生が残された主としてボンヘッファーの研究図書を介して、先生と出会いを再体験することが出来るのです。過去のことばかりでなく、これからも、忘れ難い礼拝と礼拝説教に出会う心の旅を望みながら、ご一緒に受難節からイースターに向かって歩みを共に祈りを合わせましょう。

 祈祷:主イエス・キリストの父なる神様 利己心や、虚栄、党派心など、暗い心に閉ざされた私達を、主の十字架を通して贖い出し、御国を継ぐものとしてここに立たせて下さったことに感謝致します。どうか、贖われた者として、相応しく勤めを果たすことが出来ますよう、私達を導いて下さい。私達もやがて御元に召されるその時には、愛する仲間たち、信仰の先達者の方々に喜び迎えられますよう、暫くは地上にあって、あなたに結ばれたこの交わりを固く保ち、終わりの日の恵みに与からせて下さい。

 これより捧げる旧讃美歌257番(十字架の上に屠られたまいし)と讃美歌21−87番について:この讃美歌は現行の讃美歌では歌詞も曲も大きく変更されました。

   讃美歌21−87番では
1.「罪なき子羊、十字架にかかりて、あざけりうけつつ、われらの罪咎、担い給えり」
2.「イエスよ、憐みたまえ」
3.「イエスよ、平和をたまえ」

 これは、カトリック教会の典礼で歌われるAgnus Dei qui tollis pecdata mundi, miserere nobis をドイツ語に置き換え、旋律もカトリックのミサに近いものに21−87番では変えられています。ルターが讃美歌を作るようになり、その作風にあわせて、1542年にJohann Spangenberg がラテン聖歌をドイツ語に改めた讃美歌、それが257番です。翻訳は 由木 康先生で、名訳であり涙が込み上げてくるような讃美歌です。今回は、この旧讃美歌の方をご一緒に歌いたく思います。なお、この讃美歌の方がバッハのマタイ受難曲で冒頭に歌われているので一層親しみを感じます。また、現在、代々木上原教会の共同墓地になっておりますが、その前身である上原教会の共同墓地になる前、妹の陶山伎世子を埋葬するために設けられた陶山家の墓地で、埋葬に際して最初に歌われこの讃美歌がこの257番でした。この墓地が両親によって教会へ捧げられたことを通して、私はこの教会に固く結ばれ、離れることの出来ない者となっています。


 
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