申命記は実に興味しろい書物です。 全体的な構成としてはモーセが遺言を語るという風になっていますが、そこには「シナイ契約」という旧約聖書ではとても重要な出来事が中核として存在しています。 モーセが出エジプト後、シナイ半島の荒地を放浪していた際、シナイ山で神さまから律法を与えられ、イスラエル民族が神さまとの約束を頂いた出来事が「シナイ契約」です。
創世記から申命記までの五つの書物には編纂の際に用いた伝承や資料があったのですが、申命記より古い資料ではシナイと呼ばれていた地がこの申命記ではホレブと書き改められます。 ですから「シナイ契約」は「ホレブ契約」に、「シナイ山」は「ホレブ山」となります。 表現と共に内容も変えてしまうというのではなく、律法を与えられるという契約はそのまま中核に残した上で、新しく編集する書物、つまり申命記ですが、これに現在の視点だけでなく、未来の世代にも参加を促そうという意図を加えるのです。
地理的な感覚があると物語も身近に感じられますので、聖書の巻末の地図を開いてみてください。 番号2の〈出エジプトの道〉という地図です。 荒野の旅の最後に、モーセ一行ははヨルダン川東岸まで辿り着きますが、その時モーセは川を渡って約束の地に入ることができませんでした。 そこはモアブの地、モーセはそこでそれまでの旅を回想します。 つまり申命記はそういう編集上の構成にしたということです。
きょうのテキストで回想されているのは、かつて逗留したシナイ半島のホレブ山での出来事です。神さまの命令として、『我々の神、主はホレブで仰せになった』と、モーセは民に語りかけます。 長く逗留していたホレブの地から、「さあ向きを変えて出発するぞ」という場面です。 行き先はアモリ人の山地、これはかつて神さまが族長に約束したパレスチナ全土を表す表現です。 さらに近隣地方の名前をいくつか出した後、『レバノン山、大河ユーフラテスまで行きなさい』と広大な地域を示して、『見よ、わたしはあなたたちにこの土地を与える』と結びます。
大河ユーフラテスまでという、かなり大げさな言い方は、申命記の著者の脳裏におそらくダビデ王時代の勢力圏がイメージされたからでしょう。 8節の後半の部分は、土地と子孫に関わる言及で、族長に与えられた約束が成就するという観点が強調されています。 とにかく「向きを変えて出発せよ」という前進命令には、神の約束と土地の取得こそが重要なのだという申命記の主張が前面に出ています。 何と言いますか、土地なのですね。
族長たちへの誓いは、土地の約束なのです。 ユダヤ人がなぜ土地にこだわるのかの答えの一つがここにあると思います。 紀元70年、ローマ軍の侵攻によってユダヤ人たちは拠り所であった神殿も失い、各地へ離散していったのですが、なんと二千年を経て形としてはパレスチナを手に入れてしまったわけです。 二千年も経って古代の事柄を引き合いに出すのは土台無理な話ではありますけど、自分はユダヤ人だと名乗る人々が現代のイスラエル共和国を建設したのです。 しかも建国から70年、ずっと土地問題でパレスチナ住民と争い続けている……これは一体何なのか、と思います。 その鍵を握るのは「土地」なのです。
民族は住むべき土地を持たないで繁栄することができるでしょうか。 今から三千年以上も前にイスラエル民族がさまよい歩いたシナイ半島の荒野は、そこにさまよう少数の人々と動物を支えることはできたとしても、10節にあるように、空の星のように増えた人口を養うことはできなかったはずです。 住むべき土地を手に入れることは、約束が実現されるための必要条件であったことを考えなければなりません。
と言うのも、ユーフラテス川からエジプトにかけての地域は「肥沃な半月形」と呼ばれた土地であり、東方や南方の荒地で生活していた遊牧民たちにとっては、干ばつや飢饉に襲われた時などには魅力的な土地に映ったのです。 ですからいくつもの民族がこの土地を侵略しようと試みました。 その結果、パレスチナの地方都市はどこでも侵略に備えて町を高い壁で囲み、戦術にたけた警備兵で守っていました。 これは旧約聖書を読んでいるとよく分かります。
ではなぜ最終的にイスラエルがパレスチナに住むようになったのか、その答えはひとことで言えば「信仰」です。 主なる神がこの土地を自分たちのために備えているという信仰が彼らに知恵や勇気を与え、結果的にパレスチナという土地を征服させました。 そこで申命記の著者は、ホレブで与えられた土地獲得の課題に加えて、各部族の指導者を中心とするイスラエル民族全体の組織化を記しました。 そのことが9-18節に記されています。
ところでこの箇所には著者が参考にしたと思われるより古い資料があります。 出エジプト記の18章です。 そこはモーセの舅であるエテロがモーセの息子二人を連れてモーセを訪ねてくる箇所なのですが、18章17節以下でモーセの民の組織化についてエテロはアドバイスしています。 どう書いてあるかちょっと読んでみます。 『モーセの舅は言った。“あなたのやり方は良くない。あなた自身もあなたを訪ねて来る民も、きっと疲れ果ててしまうだろう。このやり方ではあなたの荷が重すぎて、一人では負いきれないからだ。わたしの言うことを聞きなさい……云々”』とあります。
この古い資料と申命記の9節以下の記事を較べると、明らかに共通性を感じます。 出エジプト記では舅エテロの進言ですが、申命記ではモーセ自身が増えてしまった民の統率に悩んで、自らアイディアを出すという設定になっています。 この部分は現代の組織の在り方を考える上でも参考になります。 教会組織にも適用できるかも知れません。 モーセは9節で先ずこう言っています。 『わたしは、ひとりであなたたちの重荷を負うことはできない』。 これはモーセの職分を複数の人たちが分担して補佐をする集団指導体制を生み出すきっかけの言葉になっています。
シナイ半島の放浪期間を聖書は40年と記すわけですが、40年放浪するにはあまりにも狭い地域だと思います。 たとえば先ほど開いて頂いた地図で南のシナイ山から北のカデシュ・バルネアまでの距離は、2節によれば11日の道のりです。 これは現実的な記述と言われています。
アラビア半島ならともかく、小さなシナイ半島の南から北まで10数日で行けてしまうのです。 だとすると、この狭い地域をジグザクに放浪したとしても40年はいかにも長過ぎます。 これはつまり、出エジプトした民が一つ所にかなり長く逗留しながら移動を繰り返していたということでしょう。 とりあえず仮の土地を一時の生活場所として過ごすことを重ねていたのではないかと思います。
だとすると空の星のように数が増えていった民を統率することはかなり困難なことです。 人口が増えることは族長物語以来の約束の成就であり、神さまの祝福ではありますが、人口の増加は食糧問題を引き起こしますし、人口増大に伴ってもめごとも増えます。 まあとにかく、モーセの申し出に民は同意して、モーセの職分を複数のリーダー、役人、裁判官で担うという発想が生み出されています。
13節以下にそのことが述べられています。 その組織化を進めていく際、モーセはこう言っています。 『部族ごとに、賢明で思慮深く、経験に富む人々を選び出しなさい』。 「賢明で思慮深く、経験に富む人々」を選ぶことは簡単ではないと思います。 人物評価は人によって異なるからです。 経験の多寡は経歴である程度分かりますが、懸命で思慮深いかどうかは判断がとても難しいことになります。 単なる頭の良し悪し、能力が高いということでもありません。 思いやりとか優しさとか、人格的なことも関係してきます。 ここはもうモーセという人物の人を見る目にすべてを委ねるしかありません。 モーセにしたって「賢明で思慮深く、経験に富む人々」を選ぶことには苦労しただろうな、と私などは勝手に想像してしまいます。
で、とにかく選び出された人たちの任命についてモーセは言葉をつないでいます。 15節です。 『彼らをあなたたちの長、すなわち千人隊長、百人隊長、50人隊長、10人隊長とし、またあなたたちの部族の役人とした……』。 モーセの頭に統治組織の整備があったことは確かでしょう。 16節以下を読むと、複数のリーダーや役人に加えて、裁判人が出てきます。 要するに裁判官です。 17節の終わりの方に『事件があなたたちの手に負えない場合は、わたしのところに持って来なさい。わたしが聞くであろう』とあります。 これなどはさしずめ現代で言えば、上級審の裁判官をモーセが担うという形です。
イスラエルの民の制度的な改編をホレブ契約の記事と共に申命記が記したことを私たちは覚えておく必要があろうかと思います。 それにしても16、17節の記述は、現代の人権意識を彷彿させます。 申命記の成立が紀元前7世紀以降だとしても、出エジプトという3千年以上も前の出来事に人権意識がすでに埋め込まれていることに驚きます。 そういう意味では私は古代イスラエル人の凄さに脱帽します。
あらためて私は、申命記の根底にあるホレブ契約の持つ重要さに感動しました。 律法が律法としてその意義を持つのは、神さまが歴史の中でイスラエルを選び、モーセという人物を通してイスラエルに啓示したからであって、そこに律法の権威の源があることが分かるからです。 律法はイスラエル民族から切り離された形では存在しません。 それは言葉を換えて言えば、「律法が徹底的に歴史化される」ということです。 律法が歴史と結んだ時、律法はイスラエルの民の現在から未来までを拘束するようになったとも言えるでしょう。
律法が啓示されることが歴史に意味を与えました。 「歴史も徹底的に律法化された」のです。 申命記という文書の優れた点は、「律法の歴史化」と「歴史の律法化」を同時に成し遂げていることです。 このことを受けとめて、私たちが万人祭司論に見られるように、教会の組織の問題とか教会の本質をめぐる問題として現れるような教会論の課題を現代の文脈で捉えることができたら、その時にこそ申命記は現代によみがえると思います。 祈ります。