2017.8.13

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「パウロ暗殺の陰謀」

秋葉正二

列王紀上2,12-25使徒言行録23,12-35

 使徒パウロ暗殺未遂事件に関する記事から学びます。 キリスト教の中心は聖書ですが、中でも新約聖書の福音書はその中核であるという感覚が私たちにはあります。 その理由は福音書がイエス・キリストについて証言する書物だからです。 でもよく考えるとキリスト教成立の一番の立役者は福音書ではないように思えます。 なぜなら、福音書の成立よりもっと以前にパウロの書簡が書かれていて、その影響を福音書も受けていたと考えられるからです。

 パウロ自身は福音書を読んでいません。 パウロ自身は生前のイエスさまに会っていないのですから、当時バラバラに存在した伝承の一部を参考にしながら、あちこちに誕生し始めていた信徒の群れをまとめようと、自分の回心体験を軸にして、イエスさまの十字架の受難の意味づけをしたのです。 イエスさまがキリストであり神の子だと確信していた彼は、それまでのユダヤ教の枠内におさまらないキリスト教という新しい宗教の成立に、教理確立という意味で大きく貢献しました。 パウロは自分で確信していたイエス・キリストの真理を、懸命に手紙という形で書き記していきました。

 さて、彼が手紙という文書を書き記していく活動がどういう環境下で進められたのか、きょうのテキストは教えてくれます。 場面は彼が小アジヤやギリシャでの伝道活動を経て、エルサレムにやって来た際の出来事です。 ユダヤ教を否定するような言動を繰り返していたパウロを、エルサレムのユダヤ人たちが歓迎するわけはありません。 彼らはパウロを殺そうという陰謀をめぐらせました。 一度はもう一歩のところで取り逃がしていますので、15節までに書かれている陰謀計画は二度目です。 拘束されていたパウロを、取り調べ場所を移動させる道すがら、待ち伏せして襲って殺そう、というのがその内容です。 40人以上がそれに加担していたとありますから、彼らはユダヤ教の狂信的熱狂者たちと言えます。

 しかしパウロも信仰熱心ということでは、人後に落ちません。 パウロの武器は祈りでした。 すぐ前の11節にはそれが記されています。 「その夜」とありますが、それは「祈りの時」を表す言葉です。 現実の思い煩いは、夜の祈りによって取り去られ、新しい戦いの歩みが翌日からなされたのです。 その夜、彼は神さまから励ましとローマでの福音伝道の働きの確信を与えられました。 パウロの信仰には、平安と喜びと、みなぎってくる力が溢れていました。 ですからパウロは少しもぶれていません。

 16節以下、面白いことが起こりました。 熱狂者たちの陰謀をパウロの姉妹の子が耳にしたというのです。 どういう事情が分かりませんが、甥っ子がエルサレムにいたようです。 詳しいことは不明ですが、かつてのパウロのように勉強のためにタルソスからエルサレムに来ていたのかもしれません。 とにかく陰謀は甥っ子によって発覚します。 甥っ子はすぐにパウロに知らせました。 パウロはそれを聞き、百人隊長の一人を呼んで、甥っ子を千人隊長のところへ連れていって欲しい、と依頼しています。 陰謀が千人隊長の耳まで届いたのです。

 千人隊長は軍司令官です。 パウロはローマ市民として城砦で丁重な取り扱いのもとに監禁されていましたから、ローマ市民を裁判もなしに殺したとあっては、その責任は千人隊長にかかってきます。 千人隊長としてはその重責から解放されるために、今度は100キロ離れたカイサリアのユダヤ総督のもとへ厳重な護衛をつけて、夜のうちに護送するよう命じました。 そうした方がパウロの身辺はより安全になりますし、保護責任はユダヤ総督の手に移るからです。

 手紙がつけられています。 26節、『クラウディウス・リシアから総督フェリクス閣下に御挨拶申し上げます……』。 千人隊長の名前はリシア、そのギリシャ名からしてギリシャ生まれで、後にローマ市民権を取得した折に時のローマ皇帝クラウディウスを族名として付け加えたと見られています。 ユダヤ総督はフェリクスです。 30節までに手紙の内容が記されています。

 ルカはどこかでその手紙の記録を読んだのでしょうか。 その内容は主に三点あります。 第一点、パウロはユダヤ人の律法問題で訴えられたもので、何ら死刑や投獄に当たる罪はないこと。 第二点、パウロに対する陰謀があったこと。 第三点、訴える者たちには、総督の前で、パウロに対する申し立てをするようにということです。 こうしてパウロの身辺は一応安全になりました。

 この一連の流れを読みながら、私たちは神さまの人間に対する配慮と意思が働いていることを感じます。 神さまは甥っ子を通して、軍司令官を通して、ご自身の力を表されたのだと思います。 神のみ力は、人を器として表現されるのが常です。 この時、神さまはパウロのこれからの生涯を、福音の真理を世界に宣べ伝えるために用いようとされたのです。 未信者の陰謀さえ捉えて、結果的にパウロを守ったのですから、神さまのなされる配慮は、実にこまやかです。 だからこそ、この神さまを知ることは、人生の力となります。

 さて、総督フェリクスは手紙を読んでパウロに、どの州の出身か、と尋ねています。 タキトゥスの年代記という歴史書によれば、フェリクスがユダヤ総督を務めたのは紀元52年から59年までで、何とこの人は奴隷の出身です。 彼が前例のない栄達を遂げたのは、兄弟がクラウディウス帝の宮殿で権勢をふるっていたからです。 奴隷が自由民とされたり、ローマ市民権を得たりすることがあったのです。 映画ベンハーの中で、ローマの軍船で、奴隷として漕ぎ手をしていたベンハーが船の隊長から信頼されて生命を救われ、用いられていくシーンを思い出します。

 パウロがローマ市民であったことはフェリクスにとって、自らの出自が絡む大きな意味を持っていたことが分かります。 フェリクスは『お前を告発する者たちが到着してから、尋問することにする』と言って、パウロを総督官邸として使われていた建物に留置しました。 そしてそのままパウロはここで二年の幽閉期間を過ごすことになります。 しかし、この二年間が彼にとってはまたとない時となりました。 これまでのことを静かに振り返り、それをまとめる機会となったのです。 エフェソ、フィリピ、コロサイなどの手紙に見られるパウロの信仰内容の源は、このカイサリアの監禁の日々に養われたと言われています。

 私たちは病気や他人の妨害などの思いがけない出来事によって活動の停止を余儀なくされることがあります。 そうした時、私たちはこのパウロのカイサリアの二年に思いを致せばよいのではないでしょうか。 そうした時こそが、神さまを信じる者にとって、神さまが備えたもう準備の時であるような気がします。 万事休すと思われるような時に、神さまは私たちを守ってくださり、福音宣教のための備えの時としてくださることを信じたいと思います。 祈りましょう。


 
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