出エジプト記の中でもっとも劇的なシーンがきょうのテキストにあります。 エジプトを脱出したイスラエルの民を救うために起こされた奇跡物語です。 この奇跡によってイスラエルはエジプト軍に決定的な勝利をおさめました。 奇跡の表現に重複があったり、脱出のルートなどについての訂正が加えられたりしていますが、これは元となっている文書資料が数系統にわたり、複雑に交錯しているために一貫性に欠けているということです。 シナイ山の場所についても確かではなく、後の荒野の進路についても明らかとはなっていないので、イスラエルが渡った海の場所はどこだと定めようとしても何にもならないでしょう。 私たちは、あまりそうしたことに捕らわれる必要はありません。 一応聖書の巻末に「出エジプトへの道」という地図が載っていますから、それを見て、「ああ、大体こんなルートを進んだのだな」と確認する程度でよいと思います。
それと、19節によれば、イスラエルは明らかに部隊を編成して進んでいます。 彼らが「戦闘隊形」で進んだと言及しているのは、彼らが命からがら逃げるというような無秩序な輩ではなかったことを表しています。 この文書の編集者には、神さまが責任をもっておられるところでは、たとえ急いだとしてもパニックに陥ることはないという確信があったのでしょう。 また同じく19節に出てくる「神のみ使い」と「雲の柱」もちょっと気になります。 信仰に基づく行動原理の中に、何らかの超自然的要素が組み込まれたのでしょうか。
「雲の柱」と言えば、おそらく何らかの「つむじ風」を指していると思われます。 海でも砂漠でもこうした表現で表される突然の突風は時々発生します。 では、自然的現象としてこの「雲の柱」がどのように部隊の前から後ろに移動したのだ、と疑問を抱く方もいるかもしれません。 しかし自然現象として無理やり説明しようとしても納得いく解答は出てこないと思います。 「神のみ使い」という表現が一緒に使われているのですから、そうした表現によって雲も人格的で神的な導きを暗示している、と理解した方がむしろ合理的でしょう。
ところで、なぜエジプトが執拗に後を追いかけてくるのか? いろいろ理由は考えられますが、脱出前のモーセとファラオの何度にもわたる交渉が背景にあると思います。 モーセの要求をファラオはほぼ拒否するのですが、交渉が決裂して脱出に至る流れの中に、交渉過程で積もり積もったファラオの腹立ち感情のようなものが背景にあったのではないでしょうか。 本来ならば、神さまはエジプト人を巻き込むことなくイスラエルが海を渡れるように導くこともできたはずです。 しかしそうはされなかった………。 実はそのあたりに重要なメッセージが込められていると思います。
私たちはこの物語を読んでいて、エジプトが執拗に後を追いかける、エジプトとなかなか縁が切れない、ということによって、エジプトに代表されるような自然宗教、自然崇拝における信仰的特徴と、唯一神ヤハウェにひたすら依拠する信仰との宗教的せめぎ合いに立ち会っているのではないでしょうか。 表面的にはイスラエル部隊とエジプト軍のぶつかり合いの形をとっていますが、ことの本質はエジプト人の信仰とイスラエル人の信仰の対立にあると私は感じました。
エジプト王ファラオは太陽神ラーの子供という位置付けです。 この物語でエジプト軍を前面に出して強調することは、言うなれば太陽神に象徴される自然崇拝に基づいた「力は正義」という原理が、人々の間で幅を利かせることを認めることにもなるのです。 エジプト人たちはおそらく神ヤハウェとは砂漠の神々の一人に過ぎないと見なして、少々侮っていたと思いますが、そうじゃないぞ、とこの書物の編集者たちは、ヤハウェこそが人間の運命の支配者であり、歴史の導き手だと明らかにしようとしているのです。 同時に、軍事力を云々する前に、人間存在そのものを根拠づける唯一神ヤハウェこそが、この世の支配者としておられることを強調しているのです。
ところで、どんな時代でもそうだと思いますが、職業軍人の部隊に訓練を受けていない人がいた場合、彼がいかに勇敢であっても、心が恐怖で打ちのめされるような何らかの武器が存在するのが普通です。 当時ならば、エジプト人にとってそれは戦車です。 その場合、馬は乗馬用ではありません。 この物語の中では戦車を駆るエンジンみたいな存在です。 エジプトの戦車には御者と、普通弓矢で武装した戦士が乗っていました。 歩兵たちは戦車がぬかるみなどで動かなくなった時に彼らを守る役目も負っていました。
後に迫って来るそうしたエジプト軍の戦車軍団を見て、イスラエル人は恐怖におののいたはずです。 モーセに率いられて脱出はしたものの、イスラエルの人々の実態は、何とも情けない有様をいくつも露呈してしまっています。 きょうのテキストの前の部分を見ますと、イスラエルの民はリーダーであるモーセに食ってかかっています。 11節以下ではこうまで言い放っています。 『我々はエジプトで、“ほおっておいてください。自分たちはエジプト人に仕えます。荒れ野で死ぬよりエジプト人に仕える方がましです”と言ったではありませんか』。
もうこれなどは自暴自棄の権化みたいな言葉です。 モーセはさぞや腹が立ったろうと思いますが、神さまは彼を放ってはおかれませんでした。 16節にあるように、 『杖を高く上げ、手を海に向かって差し伸べて、海を二つに分けなさい』と命じられたのです。 私たちも自分の信仰生活の経験から分かることですが、普段どれだけ神さまのみ力や私たちへの愛を感じていたとしても、まったく新しい体験をすると、ふと「神さまは本当にこの事態にうまく対処させてくれるのだろうか」などと考え込んでしまうことは珍しくありません。 モーセは神さまの命令を聞いた時、おそらく最初はそんな風に思ったに違いありません。 もちろんイスラエルの民は、自分たちを取り囲む状況は神がつくられたのだということにまったく気づいていません。 モーセは内心おののきながらも、神さまの意図に気づき始めたのだと思います。
21節以下のモーセの一挙一動をじっくり味わいたいと思います。 彼の動作に続いて起こる出来事が、単なる自然現象ではないことを編集者は強調しています。 同じことがイスラエルの渡渉後の水の逆戻りについても言えます。 自然現象で表現すれば、別れた水を説明するのは、強い東風ということになりますし、海底が一時的に隆起して再び沈んだということです。 水が急に戻って戦車の車輪が動かなくなった理由もそのように理解すればいいでしょう。
私もそうでしたが、この物語を初めて読んだ人は、この奇跡を真面目には受けとめないと思います。 私は母教会で教会学校教師をしていた時、この物語を紙芝居で読んで聞かせたことがあります。 その絵は、水の囲いがイスラエルの両側に立っていて、あたかも水がガラス板で支えられているかのように描かれていました。 このイメージはきょうのテキストのすぐ後、14章29節とか15章8節の影響でしょうか。
しかしこうした散文的記述の意味するところは、水のために、エジプト人がイスラエルの両サイドから襲うチャンスがなかった、ということを意味しているに過ぎません。 あまり絵画的なイメージに凝り固まらない方がよいと思います。 月が出ている夜ならば、描かれている奇跡の様子が見渡せたはずですから、それを見たエジプト軍の恐怖や混乱は大きかったであろうことは容易に想像できます。
ファラオが戦車に乗って全軍を指揮していたとは書いてありませんから、多分ファラオ自身は現場には行かなかったでしょう。 エジプトの歴史書にファラオが溺死したという記録はまったくないそうですから、そう判断してよいと思います。 ファラオは、エジプト軍全滅の報告を受けて、モーセと交渉した一連の日々を思い起こしていたではないでしょうか。 ファラオは、モーセというよりは、イスラエルの神ヤーウェを相手にしたことを悔いたに違いありません。 そして「もうこれ以上逃げた奴隷を追うのはやめよう、こんな連中を相手にしていたら、これからもとんでもないことになるだろう。第一エジプト王の沽券に関わる………」。 このあたりがファラオの気持ちだったと思われます。
14章の終わりの方30節には、『主はこうして、その日、イスラエルをエジプト人の手から救われた』とありますが、ユダヤ教徒はこの記念すべき勝利の日を、そうした簡単な語句で要約して、過越祭の伝統的式文として保持し続けています。 状況はまったく異なるでしょうが、私たちキリスト者にも生涯のうちでこの物語のイスラエルのような立場に置かれることがあるのではないかと思いました。 もしそれに気づくことがあれば、自分をこのような状況に置いたのは他ならぬ神さまだということも分かるはずです。 私たちはその時、「神さま、どうぞあなたのみ心のままに、事を導いてください」と祈る他ありません。 信仰生活とは、神さまとの向き合いです。 祈ります。