第二コリント書簡は第一書簡に比べると難解だという指摘があります。 それはおそらく思想や文脈の繋がり方が平坦ではないからです。 第一書簡では、教会に不可欠な教えなどをよく整理された表現で読み取ることができますが、第二書簡はパウロの個人的な色合いが強く出ていて、ある種の赤裸々な自己描写の書と見ることも可能です。 この書簡では、パウロは悲歎に暮れたり苦しんだりしているかと思えば、一転して歓喜する、というようなところがあります。 とにかくパウロという人間の個人臭が強く感じられます。 パウロ個人の風貌とか年恰好とか、あるいは交友関係といった人間臭さを探るには、第一書簡よりも第二書簡の方が向いているかもしれません。
さて、きょうのテキストではまず3節で神への賛美が語られます。 賛美の理由は、コリント教会が以前より成長発展したから、あるいは活動が順調に行っているから、というわけではありません。 この賛美は、パウロ自身が様々な苦難の修羅場をくぐり抜けてきた体験の中から出てきています。 「慈愛に満ちた父」という神様表現がありますが、「慈愛に満ちた」というのは、遠くから眺めていて慈愛の心がいっぱいになっていくというのではなく、すぐ側(そば)に来てその人の苦しみを一緒に苦しむ、という意味です。
「慰めを豊かにくださる神」も同様で、原文は「すべての慰めの神」という表現ですから、パウロ自身が苦難の只中で慰められた様々な体験に由来した「慰めの源泉」としての神理解です。 もしもこうした神さまがおられなかったら、一体この世のどこに慰めがあるのだ、というのがパウロの気持ちでしょう。 とにかくパウロは、ユダヤ人が会堂や家庭での祈りの言葉として唱えた神賛美を5節にあるように、称賛の対象をはっきりキリストという言葉でキリスト教化しています。すなわち、ここでの神はイエス・キリストの父なる神です。 それはイエスさまが主なる神をアッバ(お父さん)と呼んだことに由来します。
4節以降を読んでいきますと、度々「苦しみ」と「慰め」という言葉が出てくることに気づきます。 「苦しみ」は「悩ます、苦難に遭う」という動詞から来た言葉ですが、この言葉が「慰め」とワンセットで使われていきます。 「慰め」という語は有名なパラクレートスです。 元来は「弁護者」、すなわち裁判所で弁護する者を意味する言葉です。 パラというのは、「〜の側で(へ)」という意味の接頭辞ですが、これが「呼ぶ」という意味のカレオーとくっついてパラクレオー(側へ呼び寄せる)となり、そこから「元気づける」「励ます」「慰める」という意味が生じます。 ですからパラクレートスはヨハネ福音書にあるように、「弁護者」であり「助け主」である「聖霊」を表す言葉です。
つまりパウロは、様々な苦難の中で私たちを慰めてくださる神を最初に称賛しているわけです。 その目的は4節後半に述べられているように、私たちが受けた慰めによって、あらゆる苦難の中にいる人々を慰めるためだと言います。 「苦難の中にいる人々」とはおそらくコリント教会をはじめとするパウロが生み出した教会に連なる信徒たちのことで、その人たちの具体的な困難を抱えている姿がパウロの脳裏にはあったに違いありません。
そして5節と6節で、キリスト者の受ける「苦しみと慰め」の真のあり方が示されます。 それは「苦しみ」も「慰め」も両方とも、イエス・キリストご自身の「苦しみ」と「慰め」につながっているという自覚でしょう。 パウロは5節で、『キリストの苦しみが満ちあふれてわたしたちにも及んでいるのと同じように、わたしたちの受ける慰めもキリストによって満ちあふれているからです』 と述べていますが、彼のように私たちはイエスさまの苦難とそこから溢れ出る慰めを感じているでしょうか。 本来ならば受難節の歩みの中でそうした信仰体験をしているべきなのです。 しかし私たちはあまりにも恵まれ過ぎた環境に置かれているので、パウロのように十字架のイエス・キリストの苦難と、そこから溢れ出て人を生かす慰めを感じられないのだと思います。
キリスト者は苦難に遭わずに済むから幸いなのではありません。 パウロの基本認識は、キリスト者は次から次へと寄せ来る苦難に悩む存在だというところにあります。 苦難に遭遇すれば普通はそれをマイナスイメージで受け取るのですが、キリスト者にとってはマイナスではないと、数々の苦難を背負い続けてきたパウロは自らの証しとして語っているのです。
ところでギリシャ語のセオス、英語のゴッドを明治のキリスト者は「神」と訳しました。 他にふさわしい言葉が見つからなかったということだと思いますが、古代神道の用語である日本語の「神」は、もともと「雷」とか「蛇」とか「狼」のように恐ろしいものを指す言葉だったそうです。 ですから日本人にとっての「神」は本来恐ろしいイメージの存在なのです。 そうした神概念に取り囲まれてきた日本人にとって「慰めの神」は理解しにくいでしょう。
もっともそれは日本だけのことではありません。 パウロが生きた世界の目の前にあったのはギリシャの様々な神の姿でした。 エフェソに行こうが、コリントに行こうが、そこにそびえ立っていたのは神々の神殿です。 たとえば、地中海の船乗りに最も恐れられていたのは海を荒れさせ、船を丸ごと呑み込んでしまう神、ポセイドンでした。 パウロはそうした神しか知らない世界の人たちに、「苦難と慰めの神」をパラドックスのように用いて伝道していたことが分かります。 日本がどんなに伝道困難な所だと指摘されても、パウロの置かれた状況を考えれば、私たちに言い訳はできないでしょう。
6節には、『わたしたちが悩み苦しむとき、それはあなたがたの慰めと救いになります』 とあります。 キリストの満ちあふれる苦しみと慰めが、パウロや使徒たちに及び、そこからまた信徒たちへと伝わっていくのです。 そうした役割を立派に果たしているキリスト者がこの現代日本にだっているのです。
もう10年ほど前になりますが、外キ協の構成団体である関東外キ連で車を二台仕立てて、渡良瀬川に沿って遡りながら足尾銅山まで現場学習をしたことがあります。 強制労働に駆り出された朝鮮人の人たちの足跡を辿るフィールド・トリップです。 よい学びができたのですが、その道すがら、星野富弘さんが住まわれる生まれ故郷の村で彼の記念館に立ち寄りました。
彼はキリスト者です。 星野さんの描いた原画が多数展示されていましたが、その一枚一枚に星野さんが筆を口に加えて書かれた詩や聖句が記されていました。 その珠玉の言葉の中に、神さまに向かって「身体が不自由で信仰のない私を助けてください」と自分のすべてをさらけ出して祈る星野さんを見た思いがしました。 首から下がまったく不自由で動かないというのは、人間にとって苦しみ以外の何物でもないでしょう。 星野さんはそうした状況から、苦しみと慰めの神に出会っています。 苦難の十字架のキリストを仰いで慰められているのです。 現場学習の成果が何倍にも増えた思いでした。
きょうのテキストの終わりの部分、7節には、『慰めを共にする』 という表現が出てきます。 この言葉の背後、パウロの脳裏には、十字架の上で苦しまれる主イエス・キリストの姿があったと思うのです。 私たちは実はパウロのように、星野さんのように、本来十字架の主イエス・キリストを仰ぎつつ、受難節の歩みを進めなくてはならないはずです。 それがなかなかできない……まだまだパウロの示す苦難と慰めの神さまのパラドックスの本質が分かっていないな、と思わされます。
パウロは主イエスの満ちあふれる苦しみと慰めの信仰体験を7節で、自分たち使徒と教会の信徒たちとの「交わり」(コイノニア)という一語でまとめています。 コイノニアは教会です。 信仰は交わりという形で具体化するのです。 この交わりの根拠はもちろんイエス・キリストです。 パウロの希望は揺るぎません。 キリストの苦しみを共にしているコリントの教会の人たちが、慰めをも共にしていると確信しているからです。 コリント教会は数々の困難を抱えましたが、苦難の主イエスから豊かな慰めをいただいた教会でもあったことが分かります。 パウロとコリント教会の姿を思い浮かべながら、私たちも残された受難の道のりを歩んでまいりましょう。 祈ります。