教会暦はレント(受難節)に入りました。 イースター前の一定期間を特別に区別して守る慣習は紀元2世紀頃まで遡ると言われます。 こんにち教会で守られているような意味でのレントでも、4世紀以来ほとんど変わっていないそうですから、伝統というものは凄いものです。 昔は受洗前の信仰の修練のために、あるいは熱心な信徒たちの自己修練のために断食までが盛んに行われたと伝えられていますから、昔の信仰者の生活の仕方は半端ではありません。 現代の私たちが昔の習わしをそのまま実行する必要はないのですが、それにしても、もう少し何か信仰生活において励まされるような修練を積むことができないものか、と思わされます。
その意味できょうのテキストは、キリスト者としての覚悟を私たちに促しています。 …… ガリラヤでの宣教活動を終えられたイエスさまは、いよいよエルサレムへ向けて歩み始められました。 32節にはイエスご自身が、『先頭に立って進んで行かれた』 とあります。 イエスさまは弟子たちからラビ(先生)と呼ばれていたわけですから、先生が弟子たちに先立って進むのは当然だろうと、一般的には考えられるかもしれません。 しかし、マルコは決して一般的な意味でそう記したのではないと思います。 マルコは新しく誕生した教会世界の中で、いろいろな迫害の厳しさも目の当たりにしてきた人ですから、おそらく彼ならではの特別な意味を込めて、『先頭に立って』 と記したと思うのです。
主イエスが先頭に立って進んで行かれるのを見て、弟子たちや従う者たちは驚き、そして恐れました。 イエス・キリストのガリラヤの集団から始まって、やがて教会が起ち上がっていく過程で必ず見られたのが、この驚きと恐れです。 イエスさまを囲んで一緒に生活している間は、奇跡を見たり、主の言葉に励まされたりしたのに、ひとたび十字架への道が見え始めると、群がっていた人たちの間に動揺が生じたというのです。 マルコはおそらく、教会が誕生してからも、厳しいローマ帝国の弾圧の前に教会に躓き、去って行った人たちをたくさん見てきたと思います。 その兆しは既にガリラヤでイエス集団が活動している時から始まっていた、つまり人間とはそういう存在なのだということをマルコは描いたのです。
なぜイエスさまに躓き、去っていくかの理由をきょうのテキストの前後に見出すことができるでしょう。 きょうのテキストの前には、たくさんの財産を持っていた男の話があります。 この男に向けられたイエスさまの言葉は厳しいもので、「持ち物を売り払い貧しい人に施せ」ということだったのですが、男はその言葉に気を落として、悲しみながら立ち去ったのです。 そして最後にイエスさまはペトロに向かって、『先の者が後になり、後の者が先になる』 と言われています。 それと、きょうのテキストの後の記事ですが、ヤコブとヨハネが 『栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください』 という願いを申し出たという話があります。 この前後の二つの物語が何を意味しているのかを考えますと、人間の欲望、つまり、人間的な欲求や期待がかなえられない時に、その人はどうするか、という問いが提起されているのではないかと思うのです。
この問いは、十字架という危険極まりない道へ主イエスが歩み出した時に、その危険性を身に感じた人は立ち止まるだろうか、ということでもあります。 テキストの前の部分、27節にはイエスさまが弟子たちを見つめて言われた言葉があります。 『人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ』。 …… これは私たちにとって救われるひと言です。 持ち物を売り払って貧しい人に施すことなどできないのが人間というものだ、と主イエスご自身が認めておられるのです。 私などはイエスさまのこのひと言にホッとします。
で、その後の言葉、『神には何でもできる』 。 これはどういうことなのかと言えば、神さまは必要に応じてある人を選び、本来人間にはできないことをおさせになる、ということです。 あの富裕な大商人の跡取りに生まれたアッシジのフランシスが、何で無一物の生活を生涯送れたかの答えがここにあります。 私たちがどなたか貧しい人たちに施そうと一所懸命努力したところで、結局ダメなのです。 あの貧しい人たちに施すことができたらと願っても、結局そこまでなのです。 そこから先、フランシスのように生きるには主なる神がそうさせてくださらない限り、そうはなりません。 殺されることを意味する十字架に、自らが先頭に立って進んで行かれたという出来事は、神の決意であり、そこに何らの人間的見方を持ち込むことはできません。 主イエス・キリストの受難への歩みとはそういうものであるはずです。
イエス・キリストは真っ直ぐにエルサレムへ向かわれました。 十字架の死、それは必ず起こるべきことであり、主なる神が定められたことです。 私たち人間もそうしたイエス・キリストの姿に感動して、ある程度は決意をもって受難の道へ進むことがあるのかもしれません。 信仰の世界では、宗教的なセンスや強い願望によって苦難の道へ踏み入ることもあるでしょう。 しかし、そうしたことが起こったとしても、それは主イエス・キリストの受難の道とは本質的に異なります。 主イエスがエルサレムへ向かって歩まれたその決断は、それまでに弟子たちや従った者たちの立派な行為があったとしても、それに対する神さまの応答ではないのです。 マルコは神と人との間にある絶対に越えることのできない一線を思いながら、弟子たちが驚き怪しんだことを記したのではないでしょうか。 それでもなお、神と人との繋がりを求めるというならば、神さまは時々ある人を選ばれて、エルサレムへ向かうキリストのように、この世の歩みをさせるということはあるかもしれません。
私は毎年受難の期節になると、ボンヘッファーの獄中書簡を思い浮かべます。 皆さんも村上先生から紹介されてお読みになられたことでしょう。 ボンヘッファーが両親や親しい友人たちへ宛てたものですが、最後の三ヶ月はその手紙も途絶えました。 ヒトラーの右腕であるヒムラーの処刑命令が出るまで、ボンヘッファーは一人のキリスト者としてまた牧師として、神から選ばれて過ごしたことが分かっています。 処刑の前日、収容所で最後の礼拝を守っています。 その礼拝が終わった時、二人の人物が彼を引き立てて行きました。 それは死刑執行への道を意味しました。 礼拝を共に守った収容所の人たち、ほとんどがヒトラーに反抗した政治犯・思想犯の人たちですが、その人たちの一人に向かってボンヘッファーは最後の言葉を残しています。 “これですべてが終わりです。でも私の本当の生命はこれから始まります……”。 私はそれがある時、ある場所で、神さまに選ばれた一人の人間の姿であった、と信じています。
もしかすると、皆さんの中からある時、ある場所で神さまから選ばれてフランシスのような生き方をする人が出るかもしれません。 それは誰にも分かりませんけれども、神さまがもし必要とされるならばそうなるのです。 どうか受難節を有意義にお過ごしください。 私たちは主イエス・キリストの恵みによって教会へ招かれ、毎週導かれている存在ですから、主が先頭に立たれてエルサレムへ進まれたことを深く考える責任があると思います。 様々な邪念が入るかもしれませんが、それはすぐに捨てるべきです。 キリストの受難を受けとめようとする際に邪魔になるだけですから。
終わりに、受難の歩みを開始されたイエスさまの全身に溢れていたはずの、弟子たちや従った者たちへの愛を忘れないようにしたいと思います。 十字架へ向かわれる歩みには、人間に対する神の愛が裏付けとしてあることに感謝したいと思います。 神さまの意思にただひたすら黙して従う強さと、私たちのために命をもささげる深い愛は、エルサレムに向けて一緒にあった、ということです。 主イエス・キリストの生涯は、与え尽くし、仕え尽くした生涯でした。 お祈りしましょう。