教会の使命は福音宣教ですが、一口に福音宣教といっても具体的な活動は多岐にわたります。教会の活動の基はすべて福音宣教にあることを私たちは承知しているわけですから、あらゆる教会活動はその活動を担う人たちが一つにまとまって進められるはずです。ところが現実にはそううまくは行きません。たとえば役員会で取り決められる事柄を見ても、必ず全会一致で事が運ぶわけではありません。それでも役員の皆さんが最後に一つの議案を決議できるのは、人間の理性を超えたある働きがあることを認めているからです。この世の言い方をすれば、寛容とか柔和とか柔軟性ということになるのでしょうが、それだけならばキリスト者でなくても寛容な心を持った方は世間にも大勢いらっしゃるでしょう。役員の皆さんが意識しているのは、キリスト者の特徴、アイデンティティーでなければならないものです。「そりゃ一体何なのだ?」と言われそうですが、それこそがきょうのテキストでパウロが取り上げていることです。
もちろん理想的にそうした人間の理性を超えた働きがいつも機能しているとは限りません。福音宣教の使命感とか信仰者同士の励まし合いのような共通の自覚をもって会議に臨んだとしても、あまりにも意見の隔たりが大きかったり、主導権争いが生じてしまったりすれば、人間関係はぎすぎすしたものになり、お互いが傷つけあったりするようなことも起こります。私は信徒時代を含め50年以上も教会生活をしていますので、教会内の種々様々なもつれも体験してきました。そうした思い出は出来ることなら封印して闇に葬ってしまいたいと思いますが、隠し通せるものでもありません。そうした現実があってもなおパウロはキリスト者独自のアイデンティティーがある、と言うのです。こうしたことを念頭においてテキストを読んでまいりましょう。
最初にエボディアとシンティケという人名が出てきます。フィリピの教会にこういう名の女性がいたようです。パウロはまずこの二人に『主において同じ思いを抱きなさい』と助言しています。ここだけ読むとこの二人の間が上手くいってないように思えますが、読み進んでいきますと、そうではなく、この二人を巻き込んで他の教会員との間に溝ができていたらしいことが窺えます。エボディアとシンティケはパウロが直接名指しする女性たちですから、フィリピ教会にとってこの二人は重要な働きを果たしてきたのでしょう。
そのことと関わりますが、パウロがフィリピで最初の伝道活動をした際の様子が「使徒言行録」16章11節以下に記されています。245ぺージ下の段です。そこを読みますと、紫布を商うリディアという女性が大きな働きをしていたことが分かります。おそらくその当時の仲間にエボディアもシンティケもいたのでしょう。彼女たちはパウロの宣教活動が何らかの妨害にあった時、3節にあるように共に戦ってくれた仲間であったらしいのです。クレメンスという名もありますが、すでにこの時には天に召されていたのでしょう。とにかくこの手紙が書かれた時にはフィリピ教会内に深刻な意見の不一致が生じていました。おそらく感情的な食い違いも重なって、抜き差しならない状況になっていたと思われます。
何にせよ、エボディアとシンティケはフィリピ教会創設メンバーだったようですから、影響力も大きく、教会にとっては深刻な事態だったでしょう。この二人には出て行ってもらいたい、と主張した人たちだっていたかもしれません。こうした教会の状況を聞くに及んで、パウロとしては居ても立ってもおれなかったでしょう。彼はエボディアとシンティケに『主において同じ思いを抱きなさい』と勧めつつ、「真実の協力者」と呼ぶ人物に二人を支えてあげてください、と協力を要請しています。「真実の協力者」と呼ぶ人物とは誰のことでしょうか。手紙を携えたエパフロディトかもしれません。パウロとしては彼女たちが教会の交わりの中に完全に復帰することを願いつつ、二人も他の教会の人々も「同じ思い」になってまとまることを勧告せずにはおれませんでした。
「もう相当関係が崩れてしまっているのだから、それぞれ別々の道を行った方がよいだろう」と考えて、彼女たちが教会を離れて自分たちが満足のいく形で別れることを説きすすめることだってできたはずですが、パウロはそうしませんでした。一緒にいるのが気まずくなってしまったのに、それでもなお離れずに教会生活を続けるべきである理由を、パウロは説いているのです。ここは同じように教会に連なっている私たちも、パウロの言うことにじっと耳を傾けなければいけないところです。それともう一点気がつくことがあります。それはフィリピ教会だけでなく、パウロが宣教活動で訪れた各地のユダヤ人集会では、エボディアやシンティケやリディアだけでなく、女性たちが活躍していたという事実です。それまではユダヤでもローマの植民都市でも、活動の中心は男性陣でした。ところが新しく生み出されていく教会では、それまで影に隠れていた女性たちが活躍し始めたのです。もちろん一挙にそうした状況になったというのではなく、いろいろな揺り戻しを繰り返しながら、教会は女性たちの活動の場になっていったのです。
このことはその後の教会制度の発達にも大きな影響を及ぼしていきます。さて、先ほどの問題に戻ります。エボディアやシンティケがなおも教会に留まって歩むべきだというパウロの示した方向性です。そこには教会の持つ独自性が現れているはずです。教会の中心はイエスさまで、そのイエス・キリストを信じる信仰を中心に教会は形成されているわけですが、ただ単にイエスさまを崇めるという意味ではありません。キリストを信じるとは、何よりもキリストがご自身の十字架の犠牲によって私たちの罪を赦してくださり、その罪のゆえに失われていた神さまとの関係を回復してくださった、ということを信じることです。
この神さまとの失われた関係が回復された、という点が何よりも重要です。私たちには時々友達との関係を壊してしまうような苦い経験が多少なりともありますが、そうした時、一旦壊れた関係を修復することは本当に難しいのです。なぜ難しいかと言えば、何か他に難しくさせる理由があるというのではなく、本当は自分自身が関係修復を心の底からは望んでいないからです。人間というのは誰でも、たとえ自分に何らかの責任があると分かっていても、相手に少しでも非があれば、それを手がかりにして、自分の正当化をはかる存在です。実はそのことを教会に留まる限りイエス・キリストは私たちに示し続けるのです。パウロはそのことにちゃんと気づいていました。
だからこそ、その上で 『主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい』 と言っているのです。4節から「喜びの勧め」が展開されるのはそういう理由です。パウロはフィリピ教会にいる自分の理解者たちのことを思い浮かべていたでしょう。パウロは彼らが自分と同じ喜びの中にあることを微塵も疑ってはいません。彼らと一緒にキリストにつながっている喜びに、身を震わせているといっていいでしょう。私はそういう状態は一種の宗教的エクスタシーではないかと思っています。仏教には法悦という言葉がありますが、パウロのいう喜びはキリスト者に与えられる信仰的法悦ではないでしょうか。この法悦の源は、先ほども触れたイエスさまが他の誰あろう自分のために十字架についてくださったことにより、今自分は神さまの恵みの只中にいるという自覚です。
「主において喜ぶ」ということの鍵はやはり十字架にあるのです。イエスさまの十字架がなければ、一切は空しいのです。パウロはかつて若きリーダーとして律法の道を究めんと努めた人です。神さまから選ばれて、救われるべき存在として、律法による義を手に入れようと必死だった彼を、イエスさまの十字架の業はすっぽり包んでしまいました。神さまの愛の中にパウロは取り込まれたのです。ユダヤ人という選ばれた民の一員として神の義を手に入れるはずだったパウロに臨んだ神さまは、十字架にかかって復活されたイエス・キリストでした。
パウロはそれまでの自分の生き方と正反対の生き方をした方の中に真実を見ることになりました。パウロにとって教会に連なるというのは、そうした信仰体験に裏打ちされて生きることに他なりません。ですからパウロにとって教会とは、「主イエス・キリストにおいて共に喜ぶ」人たちの群れです。共同体の内部に何か保障してくれるものがあって、そこに所属すればそれを請求できる権利を与えられる、といったような共同体ではありません。それは、それまでユダヤ人共同体が選民意識を軸に、民族の内側にだけ成立させていた共同体の在り方を根本的に変えてしまうものだったはずです。
キリスト教会も制度として歩み始めれば、必ず管理的な側面が出てきますが、それでもなお5節にあるように、「主はすぐ近くにおられますよ」という声にまとまる集団なのです。「主はすぐ近くにおられる」という信仰は、主が再び来られるという確信と共に、今も一緒にいてくださるというインマヌエルの信仰でもあります。教会の一致ということが、異分子は出来るだけ遠ざけて教会内を丸くおさめていく、という意味ならば、パウロはきょうのテキストのようなことは言わなかったでしょう。教会の一致は人間が考えた結果生み出されるような一致ではありません。イエス・キリストが人間に与え給う喜びを、言うなればパウロと一緒に追体験できる共同体が教会です。そこは、私たち自身もイエス・キリストの愛に促されて、到底和解できそうもない相手とも和解を求めて歩むことのできる所です。
パウロが思い描いている「主において喜ぶ」教会は、来るべき神の国の雛形でもあります。私たちキリスト者はこういう教会を信仰によって仰ぎつつ生きています。祈ります。