2016.10.2

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「苦い水と甘い水」

秋葉正二

出エジプト記15,22-27マタイによる福音書5,17-20

創世記は50章にもわたる壮大な文書ですが、11章以降は族長物語です。それは大家族の歴史物語でした。これに対して出エジプト記は民族の歴史の叙述と言えます。

出エジプト記は大きく三つの内容に分けられます。エジプト脱出、荒野での出来事、そしてシナイでの十戒授与です。きょうのテキストはそのエジプト脱出と荒野の出来事がつながる部分に位置しています。出エジプト時代とは紀元前1290年頃から1250年頃を指し、モーセの指揮のもとにエジプトを脱出し、40年にわたる荒野の放浪と試練の旅を経て、カナンに帰着するまでの期間です。

ところで「律法書(モーセ五書)」は4つ乃至5つの資料に基づいて編集されていることはご存知だと思います。ヤーウェ資料とかエロヒーム資料とか申命記資料とか呼ばれているものです。これらの資料をつなぎ合わせるように「律法書」は編集されています。どういう風につなぎ合わされているかを旧約聖書学は少しづつ明らかにしてきたわけです。これを整理して理解するのは簡単ではありません。きょうのテキストにも幾つかの資料が組み合わさっています。それぞれの資料に特徴があるので、それらを組み合わせるというのは、いろいろな考え方が織り込まれているということになります。そうしたことを頭の隅に置いてテキストを読んでいきましょう。

まず聖書の巻末付録の地図2をご覧ください。正確な場所は分からないのですが、大体この辺りであろうという所に地名が書いてあります。この地図の中央部はシナイ半島です。左の西側がエジプト、右の東側がアラビア半島です。上の方に「葦の海」がありますが、その近くにバアル・ツェフォンという場所が記されています。そこが有名なモーセに率いられたイスラエル人が海を渡ったと見られている場所です。もっと北東の方だとも言われていますが、どこにしろ、現代のスエズ運河の近辺でしょう。不確定なので、位置を確認しても物語の理解にはあまり役立たないかもしれません。22節に 『葦の海から旅立ち、シュルの荒野に向かって』 とありますから、後の記事を考えると、イスラエルの民はまずエジプト東部の不毛な乾燥草原地帯に移動して、紅海即ちスエズ湾沿いに南下して行ったのでしょう。その荒れ地を三日間進んだけれども水を得なかったのですから、それはつらかったはずです。そして、マラという場所で水を飲もうとしたけれども、苦くて飲めませんでした。その地方一帯の荒れた草原地帯の井戸とかたまり水は、しばしば塩気があるからです。

イスラエルの民はモーセに向かって 『何を飲んだらよいのか』 と不平をもらしています。「不平を言う」という表現は、出エジプト記と民数記に度々出てきます。口語訳聖書では、「つぶやいた」と訳されていたのですが、その方が含蓄があるような気がします。とにかく、荒野の旅で最初に遭遇した困難は水の問題であったということです。この後に続く16章では食べ物の問題が出てきますので、荒野の旅の最大の問題はやはり飲み食いであったことが分かります。ここでモーセはリーダーとして何をしたかというと、何もしていません。していないというか、何もできなかったということでしょう。人間的な知恵を持ってそのピンチを切り抜ける方法はこの時なかったのです。彼のできることといったら、神さまに向かって叫ぶことだけでした。しかし叫ぶと、神さまはちゃんと応えてくださって、モーセに一本の木をお示しになります。そしてモーセがその木を水に投げ込むと、水は甘くなったと25節にあります。そして、同じ25節の後半には重要な言い回しが出てきます。この部分は資料でいうと、申命記資料、通称Dに基づいている箇所です。Dは申命記DeuteronomyのDです。

このD資料の原本は、有名な南王国ユダの王ヨシヤ王の宗教改革(621B.C.)の際に読まれたものだと見られていまして、その編集内容の特徴は、単に歴史を記述するのではなくて、民の宗教的堕落を心配しつつ、神に対する民の態度決定を迫る精神に溢れ、非常に説得的で、民の教化を目的としていると言われています。この25節後半の文言では、「神さまが掟と法とを与えて、民を試みて言われた」というのです。神さまがどんなことを言われたかというと、26節に書かれています。『もしあなたが、あなたの神、主の声に必ず聞き従い、彼の目にかなう正しいことを行い、彼の命令に耳を傾け、すべての掟を守るならば、わたしがエジプト人に下した病をあなたには下さない。わたしはあなたをいやす主である』。この文章の主語は神さまだと思うのですが、「彼の目」とか「彼の命令」とか三人称で言うのはやや奇妙な感じがします。しかし、その内容にはちょっと驚かされます。というのは、私たちはイスラエルの民が神の掟のもとに立つのは、シナイ山でモーセが十戒を授けられた時からだと、普通は考えるのですが、まだ荒野の旅を始めたばかりの段階で、すでに神さまはイスラエルに向かって掟を与えて、それを守れということを示されているのです。これは、十戒の準備段階と言いますか、律法という考え方の原点が、ここで初めて現れたということではないでしょうか。

ですから25節後半から26節にかけての申命記資料に基づく部分は非常に重要だと思います。エジプト人に下した病というのはエジプトでの過越事件の際の出来事を指しているのでしょう。あの事件で初めて、イスラエルの民が民族という形で、特別に神から選ばれ守られるという考え方が明確に出てきたと思います。26節は、別な言い方をすれば、神さまの掟と法はイスラエルの民の健康を保証しているということでもあります。私たちはこの記事を読んでいると、「イスラエルの民は、本来自分たちを導き出してくれたリーダーに不平をぶつけるようなだらしない不信仰な民ではないか」とも思ったりするのですが、第三者のような顔をして、イスラエルを批判することには慎重でなければならないと思います。というのも、私たちは既にイエスさまと出会う恵みを頂いていて、神さまとの間に生命の通った関係を与えられ、信仰の喜びを体験しているのですが、いざ予想もしなかった困難なことに出会うと、いとも簡単に大きな失望に陥ったりします。これは困難なことが神さまの愛に満ちた訓練の一部だということをしっかり理解していないからでしょう。

ヘブライ書12章に記されている「主による鍛錬」の記事を思い出します。12章全部を読みたいのですが、長くなりますので、11節だけ読むことにします。こうあります。『およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです』。人生の困難が神さまの愛に満ちた訓練の一部だということを私たちは容易に理解できないのです。私たちはキリスト者の生活を思い描くときに、パウロが言うように、キリストと共に苦しむなんてことはほとんど考えません。神さまがイスラエルの民をなぜすぐに約束の地カナンへ導かれなかったか、それをよーく考える必要があるように思います。モーセはリーダーとはいうものの、荒野で困難に出くわしたとき、ほとんど人間的な力を発揮できませんでした。自分の力では民の困難を解決することはできなかったのです。イスラエルの民が試みられたとき、突然の危機に対処したのはほとんど神さまが起こした奇跡です。神さまにとって人間の困難を解決することは、モーセに一本の木を示されたように、おそらく簡単なのです。しかし神さまは、ご自分が創造し愛された人間を、意志ある存在として自立的に生かすために、あえてその人生に困難を置かれるのでしょう。私たちは信仰生活の中でこのことをいつも忘れないでいることが大切です。神の掟と法に従うことは、イスラエルの民にとって、神さまへの信頼を意味しています。ですから彼らが掟と法にしっかり服従するとき、神さまは彼らを守る御手を差し出されるのです。27節で、エリムという所に到着します。

この箇所は祭司資料P(Priest)に基づくと分析されています。祭司資料というのは「律法書」の資料の中では最も新しい資料ですが、バビロン捕囚中から祭司たちによって書かれたと見られているものです。その名の通り、祭儀に関心が置かれて、神の権威と支配を強調し、排他的で選民主義的とも言われます。しかし、最終的に「モーセ五書」の原典を成立させたのはこの祭司たちと見られており、出エジプト記の後半、レビ記全体、民数記の大部分はこのP資料に属します。さて、エリムの場所も不明ですが、そこは木陰や水の十分にある心地よいオアシスでした。70本のナツメヤシが茂っているのですから、地下水脈が十分にあるということですし、12の泉もあります。荒野の旅もすべて苦しかったというわけではなく、エリムのような憩いの場もあったのです。私たちの信仰生活もマラの苦い水に出くわすことを通して、それが甘い水に変えられたり、エリムのようなオアシスに誘われたりするのでしょう。それは信仰生活における安息と慰めです。これはもう感謝して頂くしかありません。個人の信仰生活にも、教会のような信仰共同体の歩みにも、数々の試練が巡ってきます。それは私たちに対する、また教会に対する神さまの愛に裏付けられた試みあることをきょうのテキストは教えてくれます。信仰生活は生涯続きます。その時々に、よーく考え、祈りつつ試練の一つ一つを乗り越えてまいりましょう。祈ります。


 
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