2016.7.24

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「キリストのゆえに」

秋葉 正二

サムエル上 9,1-2 フィリピの信徒への手紙 3,5-11

 聖書学者によりますと、「フィリピの信徒への手紙」はパウロが認めた三つの手紙が編集されて一つになっているということです。 ですから元々はABCという別々の手紙が存在したのでしょう。 きょうのテキストを含む元の手紙は「戦いの手紙」と呼ばれていて、パウロが反対者たちを念頭に置いて書いた文書だと見られています。 反対者というのは、ユダヤ主義的主張を掲げるユダヤ人キリスト者たちです。 ユダヤ主義ですから、割礼を受けて、律法を厳格に守ることなどを建前とする考え方です。 そういう人たちを念頭に置いて手紙を書けば、おのずから内容は論争的にならざるを得ません。 パウロのプライドに関わる部分は、「肉に頼らない」という言い方で、既に3節から始まっているのですが、彼はそれを5,6節で具体的に述べ始めます。 パウロの自尊心、自負心が充分に出ている部分です。 パウロはまず自分の出自について述べます。 生まれて八日目に割礼を受け、イルラエル人の中でも名門ベニヤミン族の出身だから、ヘブライ人の中のヘブライ人だ、というわけです。

 ところで、イスラエルもヘブライもユダヤも基本的には同じなのですが、意味合いの違いがお分かりでしょうか。 大雑把に言うと、イスラエルという名称は非常に宗教的な意味を含みます。 これに対してヘブライは宗教的な意味は含まずに、他民族との差異を強調するような場合などに用いられます。 ユダヤというのは、元は地名で、南王国のユダに由来します。 王国成立以前に、つまり紀元前1200年頃から1000年頃にかけて、ヤコブの12人の名前をとってカナンの地が領土分割されていったと見られるのですが、ベニヤミンの地はエルサレムとかエリコを含む行政区ですから、イスラエル12部族の中でも重きをなしていたというわけです。 そういえば、統一イスラエル王国の初代の王サウルもベニヤミン族出身でした。 そういうことですから、イスラエルでは昔からいわゆる名門中の名門だとパウロは見えを切っているのです。 それはつまり、パウロが自分には本来ユダヤ人としての宗教的な特権があるのだ、と強調したことになります。

 けれどもパウロの口ぶりはそれだけでは収まりません。 さらに畳み掛けるように、「律法に関してはファリサイ派の一員だ」「熱心さの点では教会の迫害者だ」「律法の義については非のうちどころのない者だ」と言います。 これらは言わば宗教的熱心さに関わることで、パウロが自分の自覚と努力によって身につけたことです。 言い方にパウロの激しい性格が表れ出ていると思います。 まあ、そのくらいでないとパウロのような大きな働きは出来なかったでしょう。 彼は若い時、確かに碩学ガマリエル門下の秀才として活動していたことが使徒言行録に出てきます(22,3)。 サウロと呼ばれた青年時代は、ファリサイ派の一人として厳格に律法を遵守していたようです。 当時、エルサレム教会が発足していましたが、彼はキリスト者を捕らえるための行動人でもありましたから、あのステファノが殉教した現場にも立ち会っていました。 そんなこんなで、ヘブライ人としてのプライドを手紙で披瀝しながら、自分の若かりし頃をふと思い出してもいたのではないでしょうか。

 彼は7節以下で、「キリストを知るとはどういうことか」について論じ始めます。 まず 『わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになった』 と言っています。 「これらのこと」というのは、名門出身であるとか、熱心なファリサイ派であったことなどです。 それらをユダヤ人社会で上手に利用していけば、パウロには心地よい、豊かで満たされた生活が手に入ったはずです。 しかしキリストのゆえに、それらを損失と見なすようになったと言うのです。

 また8節では、そればかりでなく、キリスト・イエスを知るあまりの素晴らしさに、今は他の一切も損失と見ている、と述べています。 そういうふうに心から思えたというのは、パウロのイエスさまとの出会い方に関係しているように思われます。 それは使徒言行録9章に見られる、有名な彼の回心の出来事です。 劇的なシーンです。 あの強烈なイエスさまとの出会いがあったからこそ、この世で有利だと見なされているものをすべて損失と思えるほどに人間が変えられてしまったのです。 その出会いに続き、ダマスコでの出来事が使徒言行録には記されていますが、主がアナニアという弟子に、サウロを訪ねよと命じています。 そしてその命令の理由も書かれています。 使徒言行録の9章15節です。 こうあります。 『行け。あの者は、異邦人の王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である……』。 伝道者の原点を説明するような記述です。 パウロがどう考えていようが、一切有無を言わせぬ主なる神の強い意志が示されています。

 人間は、神さまにそのように選ばれてしまったら、自分の思いや計画などは一瞬にして吹き飛んでしまうことが分かります。 これが神さまの召し、召命です。 召命はドイツ語でBeruf といいますが、神さまから指定して呼びかけられ、命じられることですから、それは呼びかけられたその人の使命なのです。 その原型としての姿は、旧約聖書の預言者と言えるでしょう。 イザヤもエレミヤもみな主なる神さまから呼びかけられるところから活動が開始されています。 今では召命といえば、その対象はいわゆる聖職者だと考えておられる方もいると思いますが、決して牧師や神父だけの問題ではありません。 とりわけ宗教改革以来、私たちプロテスタント教会の伝統では、一般の職業への召命までもが言われるようになりました。

 ですから、皆さんも他人事だと思わないでください。 どの人へも神さまの召命があるのです。 パウロの召命があまりに劇的なので、私たちは圧倒されてしまって、パウロの場合のように、劇的に神さまから呼びかけられないと召命がないように思ってしまいがちですが、決してそうではありません。 それに気づくか気づかないかは別にして、皆さんの生涯の活動にも必ず神さまの召命が関わっていると思います。 7節8節に、「キリストのゆえに」という表現が出てきます。 きょうの説教題でもありますが、丁寧に訳しますと、原文では7節は文字通り 「キリストのゆえに」ですが、8節の方は、「わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりの素晴らしさゆえに」 となっています。 「ゆえに」と訳されたギリシャ語の前置詞は、「〜の理由で、〜のために」という意味です。 パウロの反対者たちは、律法遵守を人間に救いをもたらす知識の前提条件と考えて、律法を守ることが完全に知識を得ていることの保証だと考えました。 これに対しパウロは、知識とは 「主キリスト・イエスを知ることだ」 と言っているのです。 キリストの恵みによって、自分が新しい生に移されたことを、あのダマスコ途上でのイエスさまとの出会いに基づいて確信しているのです。

 それゆえに、この世で有用なもの一切を損失と見るようになったというのですから、パウロの信仰がどんなに強く彼の中で確立していたかを思わされます。 8節には 「一切を損失とみる」 という言い方と、「キリストを得る」 という言い方が対のように出てきていますが、損得勘定で主の恵みを表現しているのも面白いなと思いました。 それにしても、こうした言い方でキリストの中に自分を見出し、自己実現を図っているのはさすがパウロだと思います。 私たちは自分の信仰を省みる時、はたしてパウロのように自分の生の根拠、アイデンティティーが明確にあるだろうか、と思ってしまいます。 「私にとって生きること、それはキリストだ」 と、パウロのように言い切れたら、私たちの人生は本当に充実したものになるでしょう。

 9節では「義」という言葉が3回も出てきます。 ディカイオシューネーという言葉ですが、神学生などが聖書のギリシャ語を学ぶ際、最初に覚える重要な語の一つです。 ロマ書やガラテヤ書には信仰義認の義として出てきますが、この言葉は基本的には「神さまとの正しい関係」を表します。 意味内容としては、「救い」を考えればよいと思います。 私たち人間を神さまとの正しい関係に導き入れる力は、律法遵守ではなくて、信仰を通してキリストのゆえに与えられるのだ、というパウロの揺るぎない確信がこの言葉に込められています。

 10,11節はきょうのテキストの結論みたいな箇所です。 イエス・キリストへの信仰によって救われるとはどういうことなのかが説明されています。 そのことこそ、私たちが主イエス・キリストを知って導かれる、いわば信仰の境地とも言うべきところでしょう。 私たちキリストを信じる者は、その復活の力に与れるように歩み続ける……パウロもそうだと言うのです。 イエスさまを復活させた力は、創造主なる神さまのその力です。 イエスさまは神の国の福音を伝えるに際して、ご存知のように多くの苦しみを体験され、最後は最大の苦しみである十字架につけられました。 その苦難を負われたイエスさまとの連帯にあずかって、何とかして復活という目標を目指して歩み続けている、それが自分だとパウロは言うのです。 おそらくパウロの反対者たちは、「自分たちは霊的に復活した者だ」という自覚があったので、苦難とか死の問題を深めて考えていなかったのでしょう。 しかし自分は違うとパウロは言います。 イエス・キリストの苦難に連帯して、自分も「死者の中からの復活に達したい」と願っているのです。 もちろんキリストであるイエスさまと同じ苦しみを追体験できるはずはありません。 けれども、せめてイエスさまの「その死の姿にあやかりながら」歩みたいというのです。

 そこで、私たちも「キリストの苦しみにあずかる」ということを考えてみなくてはならないでしょう。 パウロの場合、「死者の中からの復活」という言葉には、おそらく終末的な理解があったろうと思います。 キリストの復活に与かる形での人間の復活は終末の出来事であるからです。 だからこそパウロは直接「復活を知る」とは言わずに、「復活の力を知る」という言い方をしているのだと思われます。 やっぱり私たちの信仰の一番の鍵はキリストの復活であり、私たちがその力に与かることなのですね。 ボンヘッファーが死刑を執行される時、「これで終わりだ」と言っただけでなく、「ここから始まる」と言い残したことを思い出します。 イエスさまの復活の力に与って、イエスさまがされたように、弱い立場に置かれている人たちと一緒に生きることができるように努めてまいりましょう。

祈ります。


 
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