2016.6.12

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「ひつじが一匹いないよ」

秋葉 正二

ルカ福音書15,1-7

 きょう学ぶ聖書の箇所は、先ほど読んでいただいた「ルカによる福音書」15章1-7節です。 どんなことが書いてあったでしょう? 最初に徴税人とか罪人とかいう分かりにくい言葉が出てきました。 徴税人というのは人々から税金を集める役目をもった人たちです。 税金はローマ帝国というイエスさまの時代に一番力を持っていた国へ納めます。 ユダヤの国はローマ帝国の子分ですから、ローマ帝国に税金を納めなくてはならなかったのです。 また税金はそれだけではなく、ローマ帝国からユダヤの王と認められたヘロデ王にも納めなくてはなりませんでした。 ユダヤの人たちは二重に税金を払わなければなりませんでした。 ローマ帝国には税を取り立てるお役人がちゃんいましたが、そのお役人たちはユダヤ人の中から人を雇って自分の代わりに税金を集めさせました。 その代わりに雇われた人というのが、きょうの聖書に出てきた徴税人です。

 ところで、徴税人はユダヤの人たちからとても嫌われていました。 嫌われた理由は二つあります。 まず第一に、同じユダヤ人のくせに自分たちから税金を取るローマ帝国の手先になっているし、ときにはずるいことをして、税のことをよく分かっていない人たちから決められた額より多く取り立てていたからです。 二つ目の理由は、ユダヤ人にとってローマ人は違う神さまを信じる外国人だったということです。 ユダヤ人はヤーウェの神さまを信じる自分たちの信仰だけが正しいと考えていましたから、徴税人が違う神を信じるローマ人と交わっていることは汚れたことだと見なしたのです。

 徴税人のこと、少しは分かりましたか? もう一つ、罪人というのが出てきました。 ここで罪人と言っているのは、悪いことをした犯罪者のことではありません。 神さまに背いて、神さまの定められた律法の教えをちゃんと守らない人のことです。 律法のことをよく知らない人たちをユダヤ人はそう呼んだのです。 罪人もユダヤではみんなから嫌われていました。 でもね、そういう人たちの中にもイエスさまのお話を聞きたいと近づいて来た人がいたのです。 もちろんイエスさまはそういう人たちも喜んで迎えられました。 でもファリサイ派や律法学者など偉い人たちは、そういうことが許せませんでした。 彼らは言いました。 “この人は(イエスさまのことですよ)罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている”。 …… そこでイエスさまはたとえ話をされます。 それが羊の話です。 あなた方が百匹の羊を持っていたとして、その中の1匹を見失ったら、99匹を野原に残して、その1匹を見つけるまで探し回るでしょう、と言われたのです。

 皆さんの中には「エーッ、99匹の方が数がずっと多いから、1匹のことはあきらめるよ」と思った人がいるでしょう。 そうじゃないのです。 この話は99匹と1匹を比べている話ではないのです。 私たちの周りにはたくさんの人たちがいるけど、残念なことに私たち人間はどの人も公平に愛することができません。 ちょっと考えてみてください。 たくさんの人の中に皆さんのお父さんやお母さんがいたら、皆さんはまずお父さん・お母さんを見つけるに違いありません。 たくさんの人の中で愛する人は特別な人なのです。 他の人たちも同じように愛することができれば素晴らしいと思いますが、人間はそれができません。 自分の大好きな愛する人が、もし見失った1匹の羊だったとしたら、私たちは懸命にその1匹を探し回るに違いありません。 誰かが「他にもたくさんの人がいるよ」と言っても、私たちは見つけるまでその1匹を探し回るはずです。

 実はですね、イエスさまだけは、どんな人も同じように公平に人を愛することができるのです。 でもイエスさまが公平に人を愛しておられるお姿は、私たち人間には、人々から馬鹿にされたり、のけ者にされている人を愛しておられるように見えるのです。 私たち人間は最初からあの人は立派な人だとか、あの人はだらしなくて皆から嫌われているとか、そういう目でしか人を見ることができません。 私たちがたくさんの人の中に大好きな人だけを最初に見つけてしまうというのは、私たちが人を公平に愛せないということの証拠です。 イエスさまは神さまの子ですから、神さまの目で人を愛することができるのです。 徴税人や罪人は嫌いだ、と皆が言っていても、イエスさまはそんなこと平気で、徴税人や罪人も愛されてしまうのです。 偉い人たちにとって、徴税人や罪人と一緒に食事をするなんてあり得ないことでした。  でもイエスさまはまったく自然に、いつものように徴税人や罪人と食事をされるのです。

 あの人たちは嫌いだ、あの人たちとは食事なんかしないぞ、というのを差別と言います。 イエスさまは羊のたとえ話によって、私たち人間の差別している姿をお示しになったのです。 私たちはイエスさまに倣って、差別のないように努めなければなりません。 私たちが差別をしたら、イエスさまは本当に悲しまれます。 またもし差別を見つけたら、「それはいけない、神さまが悲しまれるよ」と指摘しなくてはなりません。 百匹ものたくさんの羊がいるのに、その中のたった1匹の羊を見失ってしまった、というたとえ話を通して、イエスさまは私たち人間が誰でも神さまを信じて、人を愛することができたら、それはどんなに嬉しいことか、どんなに素晴らしいことか、を教えてくださっています。

 人間を心の底から愛してくださるイエスさまに感謝して、お祈りをささげましょう。

祈り: 天の神さま、私たちの社会には軽蔑されたり、排除されたりする人たちがたくさんいます。  私たちはすぐその人たちのことを忘れてしまいますが、どうかイエスさまが教えてくださったように、その人たちを受け入れることができるように、差別なく愛する心を与えてください。 神さまが私たち人間を本当に愛してくださっていることを感じます。 私たちもその愛のうちに生きることができますように。 主イエス・キリストのお名前によってお祈りします。
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