先々週学んだテキストのすぐ前の部分がきょうのテキストです。 背景にある物語はもちろん共通で、3章前半にあるペトロが「美しの門」のそばで足の不自由な乞食を癒した出来事です。 それがきっかけになり、ペトロは二回目の説教を始めたのでした。 これに対し、ユダヤの指導者たちがイエスの復活を宣伝しているのはけしからんということでペトロとヨハネを逮捕したのでした。 「二人の語った言葉を聞いて信じた男性が5千人ほどになった」とありますから、その影響力はすごいものであったことが分かります。 ユダヤの指導者側は当然それを放っておけず最高議会を招集しました。 そしてペトロとヨハネになされた質問が、「お前たちは何の権威によって、だれの名によってああいうことをしたのか」ということであり、この尋問により、ユダヤ教指導者たちとペトロたちのやりとりが始まりました。
8節にはペテロが聖霊に満たされて弁明したことが記されています。 ペトロの弁明は12節まで続いています。 指導者層を相手にしているのに、実に堂々として語っている様子が伝わってきます。 物怖じするところがまったくないのが、「聖霊に満たされて」ということなのでしょう。 ペテロの声は指導者層だけでなく、何かイスラエルの民全体に語っているような印象を受けます。 「あなたがたが十字架につけて殺し」と、まったく遠慮はありません。 「神が死者の中から復活させられたナザレの人イエス・キリスト」という表現は、ペトロが自身の信仰体験を経て獲得した確信です。
先にペトロたちは足の不自由な乞食の男を癒した時、そこに居合わせた民衆に向かって、イエス・キリストのことを語る機会を得たわけですが、今度は、逮捕されることによってユダヤの指導層にもキリストのことを証しする機会を得た、と言えるでしょう。 その時々になすべきことをきちんとやっていれば、機会というものは与えられることが分かります。 神の摂理とはそういうものでしょう。 さらにペトロは言葉を続けます。 イエスさまを指して、『あなたがた家を建てる者に捨てられたが、隅の親石となった石』だと言ったのです。 詩編118編22節の引用です。 これはマルコ福音書12章にある「ぶどう園と農夫のたとえ」でイエスさまが引用された言葉でもあります。 「捨てられた」というのは、「軽蔑して捨てられた」というニュアンスです。 「隅の親石」は家を建てる場合の土台となる最も重要な石です。 そこには、イエスさまは軽蔑されて捨てられたが、神さまによって教会のかしら石とされた、という意味が込められています。 それは、あなたがたイスラエルの人々はイエスさまを捨てたけれども、あのイエスさまこそが救い主だという主張が込められているでしょう。
さらにペトロは12節で、「わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていない」と、受け取り方によってはいささか独善的で偏狭過ぎないかと思われる言葉をつないでいます。 もしそのように理解するとするならば、そういう人は聖書が何であり、イエス・キリストが誰であるかを知らないということになるでしょう。 ペテロはここで宗教一般の善し悪しを言っているのではありません。救いとは何なのか、もちろん人の善行ではありません。 死の解決ですらないかもしれません。 救いとは、神さまと人間の関係の正しさを意味していると思います。 神さまと人間が正しい関係になるためには、イエス・キリストによる他はないのだ、という指摘です。 なぜならば、「私たちを救い得る名」、すなわち「私たちと神さまとの関係を正しくすることのできる人物」は、イエスさまをおいては、他になく、神さまがそのように定められたからです。 ペテロはそうした主張を堂々と述べたのです。
さて、ペテロの話を聞いた人たちは驚きました。 ユダヤ指導層もそこにいた民衆もこぞって驚いたのです。 なぜならペテロたちはインテリではなかったからです。 「無学な普通の人」という表現が13節にありますが、これは知識人が教養の無い人たち、例えば「地の民」と呼ばれていた人たちを相手にして見下げる時に使う言い方です。 「普通の人」と訳されているギリシャ語は、「未熟な者」「訓練のない者」という意味ですが、これはペトロたちが当時の宗教指導者のように、ユダヤの律法に関する学識などはなかったし、宗教指導者として特別な訓練を受けた者でもなかったことを表しています。 当時は文盲率が高かったし、律法を専門的に学べる人はほんの一握りでした。
しかしとにかく、その場には足を癒してもらった本人が言わば証人のようにいるわけですから、指導者たちがどんな屁理屈を持ち出してペトロたちを言い負かそうと思っても、結局はひと言も言い返せなかったのです。 そこでユダヤの指導者たちはペトロたちをその場から去るように命じて、こそこそ相談を始めています。 16節以下には彼らたちの困惑ぶりがよく描かれています。 もともとペテロたちは悪いことなどは一つもしていませんから、理屈でペテロたちを貶めることなどどだい無理なのです。 仕方なくまたペトロたちを呼び戻して、脅かして解放するしかありませんでした。 指導層としては、イエス・キリストの名によってなされる奇跡行為がこれ以上広がってしまっては困るので、それだけを何とか防ぐことができればよいということでしょう。 彼らはペトロたちに、「今後あの名によって話したり、教えたりするな」と脅しをかけて解放するしかありませんでした。
その脅しに対してもペトロたちは答えています。 19節。
「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか考えてください」。
これまた権力を恐れない立派な言葉です。 こうまで言われてしまったら、ペトロたちを解き放つしかありません。 釈放理由が21節に記されています。 一つはどう処罰してよいか分からなかったこと、もう一つは民衆を恐れていたことです。 脅しの一言をペテロたちに命じていることは、ユダヤ指導者層のせめてもの抵抗と言ってよいでしょう。 さて、テキスト全体を見回しながら、なぜペテロたちがこれほど大胆に語れたのかの理由をもう一度考えてみます。 「無学な普通の人」であった人たちがこれほど大胆になれたのには二つ理由があったと思われます。 まず第一に、ペテロたちは美しの門で乞食をしていた40歳過ぎの男がキリストを信じた時に、本当に目の前で立ち上がった事実を見ていたからです。 さらには、彼らは「隅の親石となった石」という聖書のみ言葉に全幅の信頼を置いていたからでしょう。
言うなれば、信仰による経験的出来事と聖書に対する信頼、この二点が私たちキリスト者を大胆にする大きな要素です。 この二つが私たちにあれば、私たちには人に聞き従うより、神さまに聞き従うことを人生の規範とする態度が生まれてきます。 どちらが欠けてもダメです。 聖書を日々ひもどきながら、自らの歩み方を省みる生活と言えるでしょうか。 それは主なる神さまを信じるキリスト者のど根性とも呼ぶべきものでしょう。 こういう使徒たちがいたので、原始教会は飛躍的な発展を遂げたのだと思います。 私たちもペトロたちの姿に想いを寄せて、日々歩んで行くならば、神さまが私たちを祝福されないわけはないと思います。 そのように歩めるよう祈りましょう。