使徒パウロの生涯については多くの書簡や「使徒言行録」によってかなり知ることができますが、彼の信仰思想を的確に理解することは決して簡単ではありません。きょうのテキストも含めた1-11節には「信仰によって義とされて」と小見出しがありますから、きょうのテキストの内容は信仰義認関連であろうと予想できます。信仰義認については、ルターがパウロ書簡からこれを発展的に取り出し強調してくれましたので、プロテスタント教会の信徒は比較的よく理解していると考えられていますが、実は信仰義認もそんなに単純ではありません。と言いますのは、1-11節を読んでいて、「今」という言葉が繰り返し使われていることが気になるのです。
2節に最初に出てきて、その後9節,10節,11節に続けざまに出てきています。「今の恵みに」「それで今や」「和解させて頂いた今は」「今やこのキリストを」といった具合です。「今」は時間に関する言葉ですから、おそらくここにはパウロの終末理解が絡んでいると思われます。終末理解に関連して言えば、後の時代に、「パウロの黙示録」という外典までが登場しています。
ま、それはさておき、パウロの意識としては、〈自分が生きているこの「今」はどんな時なのか?〉ということがこの文書を書く背景にあったのではないでしょうか。直接的な表現としては出てきませんが、彼が若い時に起こったイエス・キリストの十字架の出来事という近接過去と、やがて来たる「終わりの日」という近接未来の間に挟まれている自分の「今」がそれなのです。
これをきょうのテキストの前にある表現にあてはめれば「信仰によって義とされた“今"」であり、「わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ている“ 今"」となります。パウロがここで「今」と言う時、彼のその「今」が始まったスタートラインはおそらく20数年前に遡ります。どういうことかと言いますと、彼はその当時のことを思い出しながら一つ一つ確認するように次のような表現を用いていると思うのです。
まず6節です。『実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった』ことが挙げられます。次に8節、『わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださった』ことが述べられています。そして10節。『敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいた』ことが書かれています。パウロは自分が20数年前、信仰がスタートした頃の確信を振り返っているのだと思えてなりません。
これらの事柄は、パウロにとって単純な過去の出来事ではありませんでした。原文では今取り上げた三箇所の文章の動詞には、ギリシャ語特有のアオリストという不定過去が用いられています。不定過去という時制は、過去に一回的に起こった特別な出来事を表現する際に使われる時制で、日本語や英語にはそういう時制はないので、完全に訳し切ることが出来ません。普通の過去時制になってしまったりするわけです。この20数年前と言う近接過去に起こったイエス・キリストの十字架と復活の出来事によって、パウロにとってこの世界は決定的に変わってしまいました。
おそらく彼はダマスコ途上の不思議な回心のことも思い出していたに違いありません。パウロにしてみれば、その一日をもって神の国の完成、神の裁きの日、いうところの「終末の日」へのカウントダウンが始まったのです。若かりし頃、多くのキリスト者を告発し、牢獄へ送り込んでいた自分が、よりによって自分が迫害していた人々の大元締めとも言うべきイエス・キリストに出会って、その人生を180度転換させられてしまったのです。
爾来20数年を経た今、エフェソにおいてまだ会ったこともないローマの教会の人たちに向けて手紙を書いている、そういう「今」が彼の前にあります。そこで、近接過去に触れましたので、対称の位置にある近接未来について触れますと、そこで初めてパウロの終末観全体がおぼろげに見えて来るような気がします。しかし、ここで難しいなと思わされるのは、パウロの思想には互いに相矛盾するような要素が併存しているという点です。
例えば、近接未来に関することですが、フィリピの教会の人たちに対し、キリストの間近い未来を前にしている今、『常に喜びなさい』と勧める言葉が「フィリピ書」4章4,5節にあります。あるいは「コリント前書」15章15節以下で、まもなく死人の復活や生き残った者たちに変化が起こることにも触れています。そうかと思うと、「ガラテヤ書」4章45節などでは、『時は満ちた』と捉えていますし、「コリント後書」5章17節では、新しい創造はキリストにあっての現在なのだ、とも言い、「コリント前書」10章11節では、新校舎に向かって『時の終わりに直面している』とも言うのです。
次から次へと目まぐるしくこうした表現に出会いますと、私などはこんがらかってしまって整理がつきません。どうしてこういう近接過去と近接未来が混在するような、読者の目を白黒させるような言い回しが多いのだろうか、と考え込んでしまします。一つの理由が考えられます。それは、おそらくパウロが生きていた時代に、すでに終末を待望する熱狂主義者が現れ始めていたという状況です。
そうした終末を待望する熱狂主義者たちに対峙すれば、自ずから彼らに対して、その時々の状況に応じた言い回しを駆使しながら反論しなければならなかったでしょう。パウロは彼らに向き合って一つ一つ丁寧に彼らの主張に反駁を加えたのだと思います。パウロも決しておとなしい人間ではありませんから、時には熱を持って反論したはずです。そこで思うのですが、私たちはパウロの一つの言い回しに振り回されてはならないよう気をつけたいのです。
どういう文脈の中で、どういう意図をもって、パウロは語っているのか、じっくり考えながら彼の言葉に接する必要があります。そもそも終末思想は、後期ユダヤ教の黙示文学に由来するものでした。イエスさまは言うなれば、その壁を破られたわけで、その際イエスさまがどのように壁を破られたかをパウロは自分流に表現したのです。
ユダヤ教以来の終末思想の典型は、「この世の終わりが近い」あるいは「メシアがまもなく到来する」というものですが、原始教会の信徒たちの人たちは当初その思想に乗っかったのでしょう。そうして十字架に架けられ、復活したイエスさまが再びこの世にやって来られる、という形で新しいキリスト教の終末論を構築して行ったのだと思います。パウロが異邦人伝道を盛んに展開している頃になると、少しずつ事情は変化していました。
20年経ち、30年経ってもイエスさまはまだやって来る気配がない…………彼らは段々と焦り始めたのでしょう。そして1世紀も終わり頃になると、例えばヨハネ福音書を生み出したグループ、ヨハネ教団とも呼ぶべき群れの人たちは、イエス・キリストの受肉・到来・十字架・死と復活ですべては完結しているというふうに考えます。だから共観福音書とヨハネ福音書の間には終末理解に関する違いがあって当然です。そこで思うのですが、私たちが想像をたくましくして、たとえばきょうのテキストを書いているパウロに感情移入して考えてみようと努めるとします。でも、おそらく「キリストの死」と「終わりの日」の緊張感の中で生きたパウロの緊迫感は私たちには実感できないでしょう。
現代の私たちの中では、十字架と再臨の間に置かれていた緊張感などは、すっかり失われているからです。パウロの著作から見えてくることですが、彼は終末的な「今」を理解する一つの方法として、「艱難を受けている今」を強く認識しています。そこからは近接未来の終わりの日がイメージとして浮き上がってきます。それがキリスト教の大きな流れとして、つまり終末の遅れの延長線上の再臨待望という形でずっと保持されてきました。キリスト教成立から2000年経ち、終末待望は遅延を重ねながらもなお近接未来として私たちの前にある、と言えます。
しかしそうは言っても、近接過去とか未来とかは人間の時間感覚でそう捉えているだけで、神さまが導いている歴史は人間の認識しうる時間感覚をはるかに超えているのです。ヨハネたちのグループが理解したように、既に終末は到来したというのも確かに終末理解です。パウロの言い方に従えば、私たちは「あなたは十字架の出来事と来るべき終末の間にある「今」をどう生きていますか?あなたは十字架の血によって義とされているのですから、今を自覚的に生きなければなりませんよ」と問われているに違いないと思うのですが、「既に実現している終末を今どのように生きていますか?」とヨハネたちからも問われているのです。
どちらにしても「今」の自分の生き方が問題にされています。終末に関する表現は、パウロ一人をとってみてもその表現は多様なのですから簡単にはいきませんが、確かなことはイエス・キリストにおいて起こった神の国の歩みが、今もなお完成に向けて進みつつあることです。人間の時間軸を基準にすれば、終末理解は一様には行かなくなりますが、私たちの信仰理解の中核には人間の時間軸を超えたイエス・キリストの十字架と復活という事実が信仰によって示されているのです。
ですから時間軸をどのように取ろうが、私たちとしては十字架と復活という出来事を通して神さまと和解させて頂いているのだから、何の心配もせずに、各々自分の「今」を思う存分生き抜きなさい、と受け止めればよいのです。私たちは一人ひとり自分の「今」を生きる責任があります。自分の「今」にはどんな具体的な問題意識があるのでしょうか。変える必要のない「今」と変えなくてはならない「今」が私たちの中でせめぎ合っています。冷静にそれを判別する力を信仰によって養い、変革が必要な世界を変えるよう生きることができるといいなと思います。祈ります。