2015.9.6

音声を聞く(MP3, 32kbps)

「権力批判の信仰的根拠」

秋葉正二

申命記17,14-20 ; ヨハネによる福音書19,17-22

 宗教と国家、あるいは信仰と政治の関係は、どの時代にも重要な問題ですが、その関係は各々の時代の中で捉え直す必要があります。 きょうはこの問題を申命記から学ぼうと思います。 紀元前1000年から1200年頃のイスラエルは各部族のリーダー的存在であった士師と呼ばれる人たちが民族の存亡を賭けて戦った時代でした。 カナンへはエジプトの侵略があり、ペリシテ人が山岳地帯まで進攻するなどイスラエル民族にとっては大変な時代でした。 やがてカナン定住化が進むにつれ、民の中から一つの声が湧き起こります。 サムエル記上8章には、民が王を要求する記事があります。 王制の成立に関する伝承記事です。 民の中には周囲の諸民族のようになりたいという願望があり、とうとうその声を預言者サムエルも無視できなくなりました。 ですからイスラエル王制の起源は決して信仰的なものではなく、世俗的なものです。

 民の声を受けて、やがてサウルを王とする統一王国がスタートしました。 ペリシテ人の存在はイスラエルにとって相当厄介だったのでしょう。 サウルもその後のダビデも生涯をペリシテ人との戦いに明け暮れました。 ペリシテという名が、パレスチナという地名の元になったほどです。 イスラエル王国の絶頂期はソロモン王の時代です。 知恵の王と言われる通り、ソロモンには政治的・経済的手腕だけでなく、軍事的なセンスもありました。 ソロモン王の軍馬の厩舎跡はメギドで実際に発掘されていますから、大規模な戦闘騎馬集団を持っていたことが分かります。

 ところで、そうした王制に対して批判的な人たちがおりました。 その人たちの主張として、申命記には王に関する規定が出てくるのです。 それが今日のテキストですが、全体的に見れば、王の権限や役割を積極的に進めるものではなく、むしろ制限する方向性を持っています。 16節には『王は馬を増やしてはならない』とあります。 当時馬は最大戦力です。 この規定に照らせば、軍馬をたくさん揃えていたソロモン王は王の資格に欠けるということになります。 ダビデ王朝は早くも3代目で分裂しますが、ソロモンの王位継承の顛末を見ても、王朝などというものは一皮めくればドロドロした権力闘争以外の何物でもありません。

 どの国でも民衆を統率するために、必ず王の英雄譚が生まれますが、イスラエルも例外ではありませんでした。 ただ旧約聖書はダビデの倫理的問題性やソロモンへの王位継承の血なまぐさい争いなどを隠さずに詳しく書き記していますから、その点では評価ができます。 17節には『王は大勢の妻をめとって、心を迷わしてはならない』とありまが、ソロモンの後宮は有名ですから、やはり王としては失格です。 『銀や金を大量に蓄えてはならない』というのも同様です。 とにかくソロモンは民に対して労役を課すという賦役王国を生み出したわけですから、王権がいかに肥大して、絶対化や専制化が起こっていたかが想像できます。

 さて申命記は、ただ過去の古代王制を後ろ向きに批判しているだけではありません。 いわばソロモンを歴史的教訓として王制に対して警告を発しているのです。 15節には王を「同胞の中から立てる」ことと、「外国人を立てるな」ということが言われていますが、これなどはその後のイスラエル王制をめぐる問題を反映しているのでしょう。 後のオムリ王朝をつくったオムリ王などは外国人ですし、オムリの子はバアル神殿を建てたエリヤ物語でおなじみのアハブ王です。 アハブはフェニキアの王女イゼベルと政略結婚して、バアル宗教を政治宗教として導入したことは皆さまもよくご存じです。

 それでは申命記の王の規定にとって、王権への批判や制限は、どのような根拠から可能だったのでしょうか。 つまり信仰的な根拠です。 まず考えられるのは18節と19節の記述です。 それによりますと、王は祭司のもとにある原本(これは申命記です)から写しを作り、それを手元において『生きている限り読み返し、神なる主を畏れること』を学ばなければなりませんでした。 「ヤーウェを畏れる」ことを学ぶのは全イスラエルに命じられていることですから、たとえ王であろうとこの点では他の民と同じだと言うわけです。 おそらく紀元前7世紀に申命記を公布したというヨシヤ王の宗教改革が関係しているのでしょう。 そのようにヤーウェの前には支配者の権力も相対化されるというのです。 ここには明確な権力の絶対化への歯止めがあります。 そこでは権力が神格化されることなどはあり得ないのです。

 王権への批判と制限の信仰的根拠のもう一つは、20節にある『同胞を見下して高ぶらない』ことです。 同胞とは神ヤーウェの契約の仲間としてのイスラエル人です。 神と契約を結ぶことにおいては、王も民も同じだというのです。 この契約共同体の平等性が支配者の権力を相対化します。 申命記の背後にある契約共同体としてのイスラエルの伝統が、王に関する規定の信仰的な根拠となっている、これが王権の肥大化や専制化を制限します。 この紀元前7世紀頃に成立した文書を今日私たちがどのように受けとめ、どのように生かしてゆくことができるかというのが私たちキリスト者に与えられた責任でしょう。

 先ほど聖書朗読で新約のヨハネ福音書の19章17節以下も読みました。 イエスさまが十字架につけられる際、ローマ総督ポンテオ・ピラトが書いた罪状書きが十字架の上に掛けられましたが、そこには「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」とヘブライ語・ラテン語・ギリシャ語で書かれています。 それを巡って祭司長たちとピラトとのやりとりが記されています。 祭司長たちはピラトに「“ユダヤ人の王”と書かずに、この男は“ユダヤ人の王”と自称した、と書いてください」と頼んでいます。 けれどもピラトは『わたしが書いたものは、書いたままにしておけ』と拒否しました。 このテキストなどは「ユダヤ人の王」とはどんな王なのかを考えるキッカケを与えてくれます。 ピラトが拒んだ通り、イエスさまが「ユダヤ人の王」ならば、それは申命記の王制批判で指摘されて浮かび上がってくるような、本当の「ユダヤ人の王」だと思うのです。

 ルカ福音書の22章には使徒たちが「自分たちのうちで誰が一番偉いだろうか」と議論している記事があります。 その時イエスさまはこう言われています。 『異邦人の間では、王が民を支配し、民の上に権力を振るう者が守護者と呼ばれている。しかし、あなたがたはそれではいけない。あなたがたの中でいちばん偉い人は、いちばん若い者のようになり、上に立つ人は、仕える者のようになりなさい』。 これはイエスさまが示してくださった信仰共同体の在り方でしょう。 福音に基づいた信仰共同体は間違っても権力志向であってはなりません。 イエスさまのこの言葉には政治的な意味も含まれていると思います。

 今、私たちの社会には、「安全保障法制」と銘打った「戦争法案」が政府によって提示されています。 そこに支配者の権力が見て取れないでしょうか。 圧倒的な数の憲法学者が違憲だと指摘し、元最高裁の長官までもが違憲だと断じる法案を数の力で押し切ろうとしている政府に、権力の匂いはないでしょうか。 私は間違いなくあると考えています。 「平和憲法」は第二次世界大戦の悲惨な経験を踏まえて、戦前までの歩みを乗り越える形で、平和と主権在民と基本的人権の尊重を謳って生まれてきました。 私が生まれる前年の1947年に施行されています。 この平和憲法があるお陰で、アジアの国々も好意的に戦後の日本を見てきてくれたのだと思います。

 教会は支配者が権力を振りかざそうとする時に、その動きを批判し、止めなければなりません。 私たちキリスト者には権力志向ではない新しい生き方を身につけることが促されていると思っています。 これは古代王制の時代から変わらぬ大切な課題ではないでしょうか。 イエスさまはそうした権力志向ではない新しい生き方を身につける努力をしなさい、と信仰者へ励ましを与えてくださっているのです。 申命記の王制批判もイエスさまのお言葉も、政治的な射程を持っていると思います。 仏教教団の方々もそれぞれの信仰理解の中で、同じようなことに気づかれたのではないでしょうか。 掲示板に聖護院門跡の門主の一文を7月から8月にかけて掲げておきました。 また私は真宗大谷派(東本願寺)の「安保関連法案、絶対認めない」という声明文を読みました。 こういう時代に、宗教者が物を言うことはとても大事なことだと思います。

  私は、教会は本来権力を批判的に見てきたと理解しています。 とりわけプロテスタント教会は最初からルターの万人祭司論を掲げてきましたが、ルターは教会の在り方として特権身分としての聖職者を否定して、神の前での平等を唱えたのです。 ですから教会の中に務めの違いはあっても、身分の違いはありません。 権力の行使を基本的に認めないのです。 このことは教会が社会に対しても主張してよいことだと思います。 たとえ平和構築の仕方に理解の相違があるとしても、権力を握っている者が、民衆の声を無視して権力を行使してよいはずはありません。 私たちは信仰共同体の形成の意味をきちんと捉えて、国に対しても声を挙げるべきだと考えます。

お祈りします。


 
礼拝説教集の一覧
ホームページにもどる