「ローマの信徒への手紙」は、使徒パウロがまだ行ったことのないローマの教会に宛てて書いた手紙です。 当然人づてには先方の事情を聞いていたはずですが、実際に教会の様子を見聞したわけではないので、アドバイスとか何かを伝えるにしても、その内容にはおのずと制約が加わったことでしょう。 これがもし、相手がコリントの教会ならば、メンバーの顔が次々に浮かんできて、紛争があったとしてもその様子を具体的に想像できたでしょう。 ですから会ったことのないローマ教会の人たちへ信仰生活上のアドバイスや倫理的勧めやらを書き送るとしても、その内容はいきおい常識的にならざるを得なかったと思われます。 どうしても一般論的な叙述にならざるを得ません。 そうした手紙執筆の背景を、先ず理解しておきましょう。 12章から14章にかけては「生活」とか「規範」とか「隣人愛」とか小見出しにあるように、いわゆる倫理的アドバイスが述べられています。 きょうのテキストの小見出しは「兄弟を裁いてはならない」ですから、教会生活上のアドバイスであることが分かります。 その内容ですが、現代ではあまりピンと来ません。 どういう場合に兄弟を裁いてはならないかと言えば、食事をめぐって生じた問題が取り上げられているのです。 ところでパウロと食事に関する問題と言えば、コリントの教会での出来事を思い出します。 おそらくパウロの脳裏にも、コリント教会で起こった出来事が浮かんでいたことでしょう。 たとえば第1コリントの8章をちょっと見てください。 309ページです。 「偶像に供えられた肉」と小見出しがついています。 そこでは肉を食べるという食事をめぐって、教会に生じた問題が取り上げられています。
どういうことかと言いますと、一度異教の礼拝の偶像に供えられた肉をクリスチャンは食べてもよいのかという問題です。 これは当時の社会の様子を見る必要があります。 ローマ帝国支配下の都市は主に地中海沿岸部に広がっていましたが、それらはみなユダヤ人から見れば、異教社会でした。 ギリシャにしてもエジプトにしても、都市には大体その土地を背景にした神々の神殿があって、そこではいろいろな動物が生贄として神々に供えられていたのです。 で、それぞれの神殿に供えられた動物の肉は、神殿でそのまま腐っていったわけではありません。 町の食肉業者に卸されて、市場で売り出されていました。 そこでクリスチャンの中には、ひとたび異教礼拝の偶像に供えられた肉を食べてよいかどうか迷った人たちがいたのです。 他方、自分たちクリスチャンは律法から自由に解き放たれたのだから、どんな肉でも食べますよという人たちもいました。 パウロはこの相反する意見を調停しようとして、コリント教会への手紙にアドバイスを書いたわけです。 教会で一緒に食事をしようと思っても、市場から買ってきた肉を「さあ、みんなで食べましょう」とはすぐに言えなかった事情がよく分かります。 当時のクリスチャンの多くは、まだまだ意識としてはユダヤ教につながっている人も多くいましたから、異教の偶像神に供えられたものを口になど出来ないと考えたのです。 パウロはそうした事情をよく承知した上で物を言っていると思います。 パウロ自身もユダヤ人として生まれ、ユダヤ人として教育を受けて育ったのですから、ユダヤ人意識の強いクリスチャンならば、異教の偶像神に供えられた肉を気にした感覚はよく理解できたでしょう。
しかし地中海沿岸に広がっていったキリスト教というのは、ヘレニズム・キリスト教とでも呼ぶべきもので、ユダヤ人でないクリスチャンが次々に誕生していったわけですから、教会の中には、ユダヤ教の影響を受けない傾向がどんどん広がりつつありました。 異邦人クリスチャンの数がますます増えつつある中で、教会も異邦人であったヘレニスト・クリスチャンたちに、さすがにユダヤ人のようになれとは要求できなかったでしょう。 こうしたユダヤ的キリスト教とヘレニズム的キリスト教のぶつかり合いの問題が、形を変えていろいろな箇所に散見できます。 肉を食べるかどうかというのはそうした問題の一つです。 さて、きょうのテキストで問題になっているのは、野菜だけを食べる人とそうでない人の対立です。 パウロはここで野菜だけを食べる人を「信仰の弱い人」と表現します。 反対に何を食べてもよいと信じている人が「信仰の強い人」です。 未だ知らない教会にこんなに具体的なことを言うのは、あらかじめこうした問題が起こっていることを聞いていたからでしょう。 パウロはこのローマ書の8章までに信仰の有無については論じていますが、信仰の強弱という言い方はしてきませんでした。 信仰についいての強弱だから、そりゃ強い方がいいよ、と単純には行きません。 パウロは考え方の違いをそのように表現しただけだからです。 ここで信仰が弱いと言われている人は、「野菜だけを食べる人」です。 今流に言えば菜食主義者ヴェジタリアンでしょう。 菜食主義という言葉は近代に生まれた言葉ですが、肉食をせずに生きてゆこうとする考え方は古代からありました。 多くの場合、宗教的、思想的な信条によることが多いようです。 仏教やヒンドゥー教でも基本的には肉食が禁じられていますから、菜食主義のお坊さんもたくさんおられます。 きょうのようなテキストが残っているということは、キリスト教でも教会が生まれて間もない頃から肉食の是非が論議されてきたということでしょう。
古代ギリシャではピタゴラスもプラトンも理想とする国家の食べ物は植物性のものだとして、動物の肉は入れていません。 ヨーロッパではヴェジタリアンの存在はしっかり社会的に認知されていますから、レストランなどでもその旨を告げれば、ちゃんと対応してくれます。 日本ではそうはいきませんから、私たちは野菜だけを食べると言われてもどこかピンと来ないのです。 レオナルド・ダ・ビンチもベンジャミン・フランクリンもトルストイも菜食主義者ですし、ヴェジタリアンの有名人を挙げればきりがありません。 もちろん欧米にはヴェジタリアン協会があります。 ですから菜食主義というのは現代でも種々の観点から支持されている考え方です。 もっとも魚や乳製品だけは許容する立場とか細かく分ければいろいろです。 パウロがこのテキストで「信仰の強い人」と指摘しているのは、ユダヤ教的な生き方から解放されて、自由に振舞うことのできた人たちです。 対して、これまでの分の生き方や社会通念にどうしてもこだわってしまう人たちが「信仰の弱い人」です。
パウロは1節でまず『信仰の弱い人を受け入れなさい、その考えを批判してはなりません』と言っています。 こういう言い方をしているのは、当時の教会において、食事をすることが教会活動の重要な要素であったことを窺わせます。 この点は特にパウロと関連付けなくても、福音書の中に描かれたように、イエスさまが人々と食事を共にされる情景が、ヘレニズム教会の中にも脈々と継承されていたということでしょう。 イエスさまが人々から嫌われていた罪人や徴税人と会食されたというシーンは当時の人々に強烈な印象を残したに違いありません。 パウロは、肉を食べてよいかという問いには、互いに裁いてはなりませんと勧めていますから、イエスさまの行動に比べれば、だいぶ穏やかな物言いである印象です。 おそらくローマ教会内では様々な背景を持った信徒たちが、それぞれ自分のこれまでの生活信条を引きずっていたということでしょうから、お互い強固な考え方をぶつけ合っていたということではなかったと思います。 パウロはローマ教会の内部事情を誰かから聞いて、近い将来、考えの違う者同士がぶつかり合うことがないようにアドバイスを送っているように思えます。 教会内で軽蔑したり、裁いたりしないよう勧告しているのはそのためでしょう。 パウロは喧嘩両成敗的な物言いはしません。 そうではなく、考え方の異なる双方の行為は、共に「主のため」だと言うのです。 ひとことで言えば、宗教的寛容さがいかに大切かを指摘しています。 現代の私たちの教会も、食事の問題に限らず、どの教会であれ、考え方の違う者同士が共に存在します。 パウロの指摘によれば、私たちキリスト者が最終的に帰る場所は、7節以下にあるように、生き死にが自分のためではなく、他者のためなのだということを自覚することにあります。 11節の言葉は最初に読んだイザヤ書45章からの引用です。 すべては主なる神さまの裁きの前にあります。 兄弟を姉妹を裁いてはならないことを今一度確認いたしましょう。 お祈りします。