イエスさまの少年時代のことはほとんど分かりません。ガリラヤのナザレ村で両親に仕えてお暮らしになっただろうということだけです。講談社の文芸文庫に、「トマスによるイエスの幼児物語」というのがありますが、これは歴史の再構築という意味ではほとんど役に立ちません。福音書記者ルカはイエスさまの少年時代を描いて、イエスさまが後に歴史を変えてしまうような大きな出来事をなさった時代に、クリスマスの誕生物語以降の歴史をつなげるために表現上の工夫をしたのであろうと見られています。私たちとしては正典であるこの福音書の記事を丁寧に辿っていくしかありません。
さてテキストです。イスラエルでは男の子の成人式は満13歳ですが、ルカがわざわざ12歳と書いているのには訳があります。男の子は成人式を終えると「律法の子(バル・ミツバ)」と呼ばれて成人として迎えられますが、彼らは以後毎年「過越の祭」(ペサハ)に参詣するためにエルサレムに神殿詣でをするのが慣習でした。これは現代に至るまで連綿と守られています。当時エルサレムの人口は5万人くらいですが、過越祭の期間中は、その数が15万人以上になったと言いますから、街中ごった返していました。テキストで「12歳になった時」とあるのは、12という数に象徴的な意味も込めてあるかも知れませんが、成人式の予行練習の意味合いでしょう。祭りの期間が終われば巡礼集団はそれぞれ自分の村へ帰って行きますが、イエスさまの家族には一騒動がありました。両親は自分の息子が帰途についた集団の中にいると思って出発をしたのです。12歳ですから、ある程度の自由な行動を許したのでしょう。
両親は一日分の道のりを歩いたところでようやく息子がいないことに気付き、捜し回っています。ごった返す中ですから、時にはこうしたことも起こり得ます。エルサレムからナザレまで約100キロ、三日の行程ですから、おそらく30キロ以上は来てしまっていたのでしょう。東京からの距離に換算すると、熱海とか高崎辺りまで来てしまったことになります。40節の『たくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた』という表現からは、思春期に入ったばかりのイエスさまがヨセフとマリアの下で健全に育っていたことを窺わせます。親子の絆も濃密だったのでしょう。とにかく両親との間に起ったこの事件の顛末をルカが記したわけは、それを記すことによってどうしても読者に伝えたいことがあったからだと思うのです。
両親は息子がいないので、とにかくエルサレムに引き返しました。そして息子を発見したのは三日後の神殿の境内でした。なんとイエスさまは、学者たちの真ん中に座って問答していたというのです。イエスさまは後に神殿で祭司長や律法学者を相手に、急所をズバリ突いた数々の発言をされるのですが、その際の姿を彷彿させるかのように少年は賢い受け答えをしていたようです。両親は驚いただけでなく、きっとあきれもしたでしょう。
母マリアはこう言っています。『なぜこんなことをしてくれたのです。ご覧なさい。お父さんもわたしも心配していたのです』。普通なら「お父さん、お母さんご免なさい」と子どもが謝って一件落着ですが、イエスさまの場合は違いました。常識では理解できないことを口にされたのです。曰く、『どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか』おそらくこの言葉を聞いて両親は目を白黒させたことでしょう。普通ではとても理解できない言葉です。ヨセフとマリアとって、少年イエスは父の生業であった大工職を立派に継いでくれることこそが一番嬉しいことだったに違いありません。当時それが家や暮らしを安泰にしてくれる一番身近で確実な方法であったからです。
しかし、両親が見たものは、律法学者と渡り合うという予想もしない姿でした。もしかするとこの長男の姿に、両親は何か不吉な影を見たかも知れません。そうして両親にとっては理解不能な言葉であったかも知れませんが、おそらくイエスさまはこの時に何らかの確実な自己認識を持たれたのです。メシアとしての自覚の兆しがこの時に現れたのです。そこでとにかく先ず、この言葉がどんな意味であったのかを探って行くことにしましょう。
ルカ福音書は3章から所謂イエスさまの公的な宣教生活に入るのですが、その公的宣教生活を開始される準備段階として、既にイエスさまは特別な少年としての生き方を始められつつあったことをルカは示したかったのではないでしょうか。公的宣教生活に入られてからは、日毎に神の子としての自覚を増していかれるイエスさまですが、既にその片鱗が現れていることを示して、ルカは読者に対して公的活動へ移行していく流れを容易にしたのです。ことは神の子メシアに関わることですから、ルカにとっては福音書の編集上、どうしても誕生物語から公的生涯への橋渡しとしての少年時代の挿話が必要だったということです。
ところで、イエスさまの最後の活動舞台もエルサレム神殿でした。受難の七日間のエルサレム神殿での出来事が、この少年時代の逸話によって先取りされていると見ることもできます。受難の記事はルカ福音書の19章以降に書かれていますが、そこでは民衆をはじめ、祭司長や律法学者たちを相手に示されたイエスさまの教えの数々が圧巻です。「権威についての教え」「ぶどう園の譬え話」「皇帝への税金の話」……、どれをとっても要所を押さえた発言には思わずうなってしまいます。その中に「人の子が栄光を帯びて雲に乗って来る」とか「いつも目を覚ましていなさい」という言い方で一連の終末論的な言葉づかいが出てくることを思い出してください。それらはやがて十字架と復活の出来事を経て、ご自身が弟子たちに新たな姿を現される前兆でした。つまり、それまでのイエスさまのすべての歩みがこの十字架と復活の出来事へと行き着くのです。イエスさまの少年時代の逸話もその流れの中にあると言えます。
ルカの結論はその点に集約されて行きます。ですから私たちはこのイエスさまの少年時代の姿に思いを馳せながら、イエスさまが私たちのために行き着かれる到着地点に目を留めなければなりません。ルカが祈りを込めて描いた少年イエスの姿の中に、私たちは公的宣教活動をなさったイエスさまの受難の生涯の前触れを見ているのです。イエスさまは少年の時代に早くも血縁などに左右されずに歩まなければなりませんでした。血縁を超えて歩むなどということは、私たちには通常考えられないことです。
私はこの正月、孫たちと過ごす日々を与えられているのですが、かわいい孫たちと血縁を絶つことなど微塵も考えられません。イエスさまが十字架と復活の道へと進まれたという意味には、この血縁を絶つことが含まれています。このことだけを考えてみるだけでも、十字架と復活の道がどんなに厳しいものであったかを窺い知ることができます。ルカは神の子に与えられたその厳しい試練の道を示すために、この少年イエスの姿を記したのです。まことに聖書という書物が、驚くべき内容を秘めていることに改めて思い知らされます。イエス・キリストの姿は、家族や親類など肉親の絆、あるいは民族とか国家といった枠の中には、いくら捜しても見つかりません。人間の置かれた限界を超えることができるのは、ただ信仰によってのみであることを、私たちは理解しなければなりません。人間にはただ一つだけ、信仰というキリストを知る道が備えられているのです。
教会はこの道を世に示すために誕生しました。私たち教会に集う者は、どんな形であれ、救い主イエス・キリストにつながる幸いを与えられています。これはどんなに感謝しても仕切れない恵みであることを自覚したいと思います。この恵みを自分の中だけにしまっておくことは、神さまの望まれることではないはずです。『わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか』という少年イエスが口にした言葉の意味が少し分かるような気がします。『イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。』とルカは書きました。これは神の子としての少年イエスの祝された姿を彷彿とさせる一言です。馬小屋に誕生されたイエス・キリストは、身も心も健やかに成長し、知恵が増し、背丈が伸びたのです。イエス・キリストの宣教活動への準備は神さまの下で誕生の時から、そして少年時代から、綿密な計画に沿って既に始まっていました。クリスマス・シーズンはこの幼子や少年のイエスさまをあらためて捜し求める私たちの人生の旅の始まりでもあります。クリスマスは毎年行うからもう飽きた、なんてことは信仰生活にはないのです。
つい先日、皆さまとご一緒に2014年のクリスマスをお祝いできた幸せを思い出します。その幸いを胸に抱きながら、新しいイエス・キリストの年2015年を迎えることができました。これまた感謝な出来事です。イエスさまは公生涯に入られた時、何度も「エゴー・エイミー」(私は在る)という言葉を口にされました。それはイエスさまがご自身を、旧約聖書の中で「わたしは在ってあるもの」という名前でご自身を現わされた神であると認識して、「自分を信じることがあなたの救いにつながる」と弟子たちや周囲の人々に教えられたことと関連しています。普通の人間には持ち得ない強烈なアイデンティティーをイエスさまはお持ちになりました。私たちがイエスさまの言われたことを真似て口にしたら、それは単なる狂人と言われてしまうでしょう。イエスさまだけが少年の頃から、その強烈な自己認識、アイデンティティーを持ち続けられたのです。52節のルカの表現は真実で美しいなと思います。
今、私たちの世は親子間の断絶や世代間の不和に喘いで、悲しい事件が一杯です。親子が相互に相手の気持ちが分からないと嘆きます。これはきょうのテキストに重ねれば、親が子を捜している構図でしょう。そこには迷子になった人間を神さまが捜しておられる構図も重なってきます。今、名実ともに2015年を主の年とするために、心新たに歩みを進めて行きたいと願っています。祈りましょう。