1996年4月に「らい予防法」が廃止され、聖書に「らい病」とあった記述の変更要請が諸教会、諸教区総会などで決議されましたので、共同訳聖書委員会はそれらを受けて訳語の変更を決定しています。その結果、1997年4月以降発行の版から聖書の「らい病」という記述は「重い皮膚病」と改められました。私は鹿児島県鹿屋市にある国立ハンセン病療養所星塚敬愛園内にある恵生教会の金曜集会の御用を14年間務めさせて頂き、たいへん恵まれた信仰経験がありますので、その変更を感謝をもって受けとめた一人です。
最初に申し上げておきますが、今は「らい病」という呼称を用いません。菌の名称は「らい菌」です。病気自体は「ハンセン病」と呼びます。聖書の「らい病」がハンセン病ではないということを、私は沖縄愛楽園の園長をされた犀川一夫先生からお聞きしました。ハンセン病に医学生の時から関わり、ハンセン病療養所の医師として長らく勤務され、キリスト者としても長い信仰生活を送られた先生は、旧約新約の原語に遡り、聖書の「らい病」が「ハンセン病」ではないということを力説されておりました。
「モーセ五書」には「ツァーラハト」というへブル語が数多く出てきます。かつて「らい病」と訳された語です。特にレビ記13章14章はこれが特別に取り上げられています。犀川先生は何故「ツァーラハト」がハンセン病ではないのかを医学的に説明してくださいました。レビ記の当該箇所には、「皮膚に白い湿疹が生じ」とか「患部の毛が白くなる」という表現が出てくるのですが、これはハンセン病の症状ではない、とハッキリおっしゃっていました。しかも当該箇所には、ハンセン病に特徴的な抹消神経症状としての麻痺については何も触れていない、と言われるのです。
紀元前6世紀の中国・インドの医学書には既にハンセン病による麻痺症状が記録されているそうで、聖書の舞台であるオリエントでそれが知られていないことは考えられない、ということでした。しかも疫学的・考古学的にこの時代にオリエントにはハンセン病の存在は認められていないそうです。オリエントにハンセン病が入ったのはアレキサンダー大王の世界制覇の時だと見られています。つまり紀元前4世紀の終わり頃です。ですから新約聖書の時代には既にオリエントにはハンセン病が存在していたわけですから、新約聖書の「重い皮膚病」にハンセン病が含まれていた可能性はあるのです。
それではなぜ「ツァーラハト」がハンセン病と考えられたかと申しますと、旧約聖書がギリシャ語に翻訳された時、70人訳ですね、「レプラ」と訳されたのです。 しかし当時ハンセン病は「エレファンティアシス」(象皮病)という呼称で知られていたそうですから、「レプラ」はハンセン病ではないのです。ではなぜ「レプラ」がハンセン病と考えられるようになったかと言いますと、ガレノスという医師がハンセン病の一病型をレプラと称してからだそうです。カトリックの公用聖書であったヴルガータが「レプラ」という訳語をギリシャ語から継承したので、以後、ハンセン病とレプラが結びついて混乱し、各国語の翻訳でも「レプラ」がハンセン病として訳されてしまったわけです。そこで結論として、聖書でかつて「らい病」と訳されていた病はハンセン病ではない、と犀川先生は結論されました。 いろいろごちゃごちゃ申し上げましたが、なぜ「らい病」が「重い皮膚病」と変更されたかの理由はご理解頂けたと思います。
イエス様の時代は「らい菌」の存在も分からなかった時代ですから、おそらくハンセン病と症状が似たような皮膚病はひと括りに「らい病」とされてしまったのでしょう。テキストの12,13節には重い皮膚病患者十人が『遠くの方に立ち止まったまま、声を張り上げて、“イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください”と言った。』とありますが、この人たちは旧約以来の伝承に従って、「汚れた者」とされて、人々から接触しないように町の外に隔離されていたと思われます。少なくとも伝染性の皮膚病の持ち主だと見られていたのです。
イエス様は旧約の伝統に倣って、彼らに『祭司たちのところに行って、体を見せなさい』とおっしゃっているだけで、直接癒しの言葉を口にしてはおられませんが、彼らが指示通り祭司たちの所へ行こうとすると、途中で癒されたのを知った、とあります。旧約的に言いますと、清められたわけです。そして十人の中の一人だけが戻って来て、イエス様の足もとにひれ伏して感謝しました。16節にはこの一人の人がわざわざ『サマリア人だった』と書いてあります。しかも18節では更に念を入れて『この外国人』と断っています。つまりこの物語では、「サマリア人」「外国人」が神を賛美するために戻って来た、ということが中心になっていると見ていいでしょう。ご存知のように、ユダヤ人はサマリア人とは交際しませんでした。天敵同士の関係と言えます。イエス様がエルサレムに登ろうとすれば、サマリアを通るわけですが、きょうのテキストの伏線は既に9章51節以下や13章22節以下にありました。そこではイエス様一行がサマリア人から歓迎されないのです。
天敵同士ですから当然と言えば当然でしょう。そのサマリア人が重い皮膚病を抱えてイエス様に出会い、「癒された」ときょうのテキストは強調しています。この重い皮膚病がハンセン病であった可能性も勿論ありますが、ユダヤ人サイドから見れば、サマリア人・外国人という差別のレッテルに「重い皮膚病」というこれまた人々から排除される重荷が二重に貼られているわけです。イエスさまはこういう人を癒されたのだ、とこの物語でルカは強調しています。敵対したままでは交わりが生まれることはありません。イエス様の癒しはこの対立関係を確実に修復する役割を果たしています。それまでの社会状況、常識からは思いもつかなかった敵対関係を修復する機能をイエス様の癒しは表わしています。イエス様がこの一人のサマリア人・外国人に出会わなければ、そして奇跡を行わなければ、ユダヤ人とサマリア人の大きな溝はそのまま残されたことでしょう。
しかしイエス様の癒しは、一人の人間の病を癒されただけではなく、敵対する人々をつなぎ合わせる楔を打ち込んでいるということを、私たちはしっかり見なければなりません。イエス様は奇跡を行われますが、私たちは私たちなりの行動をもってイエス様の奇跡の働きを何とか継承できるように努める責任があるのではないでしょうか。敵対する者同士の間にイエス様のように、奇跡なんか起こすのは無理だよ、と始めからあきらめていないで、奇跡とまでは言わないものの、私たちなりにできることがあると思うのです。
例えば、現在嫌中・嫌韓の首相の下で、日中関係・日韓関係は冷え切っていますが、私たちはどんどん民間外交を進めて行けばよいのです。来月私の関係する外キ協は韓国から20名ほどの牧師を招いて広島でシンポジウムを開催します。私にはとても親しい中国や韓国の友人たちがおりますので、嫌中・嫌韓という想いがどこに由来するのか理解できませんが、外キ協という小さな組織でも政治的に対立している国家間に信頼の楔を打ち込むことができる、と確信しています。
政治状況からだけでは打開できない敵対関係を、国家などという重荷を背負わなくても、私たち市井の人は工夫しながらどんどん信頼関係へと修復していくことが可能です。国家だとか国益だとかを強調する時には、大抵私たちの日々の暮らしというような発想は無視されているのですが、私たちはそんな大袈裟なことを言わなくても良い働きができるのです。少なくとも私はそういう想いで今回の国際シンポジウムを準備してきました。
イエス様はご自身では奇跡の業を行いますが、イエス・キリストを信じる私たちにも、一人ひとりを活かす形で奇跡を起こされるのだと思うのです。私たち自身はそれが奇跡だとは見えないのですが、出来事の流れの中でイエス様は私たちに奇跡をもって導いてくださる、と私は信じています。そういう意味で小さな私たちなりの奇跡を積み重ねてまいりましょう。
『立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った』とイエス様は私たちにも声をかけてくださっています。