きょうのテキストは「タラントンの譬え」と呼ばれる箇所です。ルカ福音書19章に「ムナの譬え」という並行記事がありますので、資料とされたもとの話があり、それをマタイとルカがそれぞれの編集意図をもってまとめたと考えられます。マタイでは主人と三人の僕が登場します。ストーリーは単純です。主人が旅に出るので、僕たちにそれぞれ違った額のお金を預けます。そして旅から帰ると預けたお金を清算するわけです。一人目、二人目の僕は預かったお金を元手に商売をしてもうけた、と報告すると『忠実な良い僕だ』とほめられますが、三人目の僕は預かったお金を地中に隠しておきそのまま返すと、『怠け者の悪い僕だ』と言われて追い出されてしまった、という譬え話です。編集者であるマタイの主眼は終末論にある、と普通は解釈されます。つまり、終末の裁きの時に人は救いか滅びかに分けられるので、その際の選別の基準が、預けられたお金の生かし方、つまり現在をどう生きていますか、になるというわけです。
私たちキリスト者はやがて来たる終末の時に向けて歩んでいますが、今をどう生きているか、言わば「中間期」の過ごし方が問題になります。ルカの「ムナの譬え」も基本構造は共通で、終末的な色彩が感じられます。僕の数とか預けられる金額とか細かい点はかなり違いますし、ルカが歴史的出来事を反映させているというような指摘はありますが、明確な基本的枠組みに共通点があります。
それは、ある人が旅に出る時自分の僕たちに財産を預け、僕たちは自分の能力に応じて預けられたお金を増やしたことが第一点。第二点は、僕の中の一人は主人が厳しい人であるのを恐れて、お金に手をつけなかったので、帰って来た主人の怒りに触れてお金を取り上げられた挙句罰を受けていることです。終末論的な色彩を帯びているのは、マタイやルカの背後にある教会の終末待望・再臨待望の信仰が関係しています。紀元一世紀も終わり頃になると終末到来への期待に少しずつ焦りが生じ始め、信仰的なトーンダウンが生まれ始めます。福音書の記者としては何らかの信仰的テコ入れをする必要があったでしょう。もとの話には終末的色彩はどの程度あったのでしょうか。私たち人間は神さまからいろいろな賜物を与えられているけれども、この賜物をどれだけ活用しているのだろうか、という単純な発想がポイントだったのではないでしょうか。「賜物」と言えば、コリント前書の12章にこういう言葉があります。『賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。務めにはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ主です。働きにはいろいろありますが、すべての場合にすべてのことをなさるのは、同じ神です。』
ここで何が言われているかと言うと、私たちはそれぞれが神さまから異なる賜物を委託されているけれども、それをどう活用するかが問題だ、という指摘です。そこできょうは終末的な発想から少し自由になって、私たちが神さまから預けられた資金をどう用いるか、つまり今を実際にどう生きたらよいのか、という点に焦点を当てて譬え話を考えることにします。そのために先ずキリスト教の土台が据えられた紀元2世紀から4世紀頃の歴史を思い出してみましょう。その時代の人たち、特にキリスト者がどういう生き方をしたかを参考にしてみたいのです。コンスタンティヌス大帝がキリスト教を公認したのは313年ですが、その頃には地中海圏には既に五大教区があり、都市部には司教が存在していました。ローマ帝国がキリスト教を公認せざるを得なかったのには事情があります。その一つは、ローマ帝国の手に負えなくなっていた貧民救済の働きを、キリスト教が担っていたという点です。
ローマ帝国が貧しい人を助ける場合、その対象はローマ市民です。ところがローマの支配地域でその資格を持っている人はほんの僅かです。キリスト教会は2世紀3世紀と時代が進んで行く中で、教会組織を活用して見事に貧民救済の業を進めていきました。キリスト教会は救済対象に「ローマ市民」などという条件は付けません。何人であろうと、そこに飢えた人がいれば救いの対象です。
少し具体的な例を挙げましょう。たとえばサンタクロース伝説のモデルと言われるニコラウスという人がいます。この人は小アジア、現在のトルコのミュラの司教でした。岩波新書の「サンタクロースの大旅行」という本に、司教のニコラウスが三人の貧しい娘の父親に金塊を与えてその娘たちを救ったというエピソードが載っています。また4世紀、現在のトルコにニュッサのグレゴリウスという司教がいました。カッパドキア教父群の一人です。彼は「施し」と題する説教を残していますが、そこには貧者の凄まじい姿が描写されていて、当時無視できない程の貧者が巷に溢れていたことが分かります。またカイサリヤの司教でバシレイアスという人がいます。彼は貧者のための救護施設を作りましたが、その規模は一つの町程もあったと言われます。彼はその施設への免税処置をローマの財政官に依頼した手紙を残しました。キリスト教がローマ帝国の宗教となってから、司教には一定の裁判権が与えられましたし、ローマ帝国の官僚と折衝するのも司教の仕事でした。つまり、当時の司教という職務は単なる宗教的職務を果たすだけではなかったのです。社会的な弱者を実際に救済する役割をきっちりやってくれる人物が司教として選ばれたとも言えます。
有名なアウグスティヌスのお師匠さんは、ミラノの司教アンブロシウスですが、彼は後の時代にホスピタルと呼ばれる病院の原型を建てています。彼などはキリスト教徒になって八日目に司教に選ばれていますから、こうなると単なる宗教的理由によって選ばれたというよりは、何か社会的な力量が認められることがセットになっているのです。貧しい人たちを助けるという行為は、多くの人たちの共感を得ますから、古代のキリスト教が世界宗教として発展していく理由の一つにこうした慈善活動があったことは確かです。そうした活動を進めるにはお金の力が当然必要になりますが、古代のキリスト者の中には、今で言う金融業をやって必要なお金を運用していた人がたくさんいたとも言われます。たとえば利子を活かすようなことです。
「タラントンの譬え」の主人は、『怠け者の悪い僕だ』と指摘した僕を前に、こう言っています。『わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きで返してもらえたのに』。ある一面から見ると、この譬え話は、お金の運用の仕方の話にもなります。それが終末を前にした生き方に重ねられているわけです。これをもっと広い視野で捉えると、もともとの話は、イエスさまがキリスト者の実際の生き方を示されたものであった、と思うのです。話の核はお金の運用ですから、貧者という社会的弱者の救済だったのではないでしょうか。なぜイエスさまが貧しい人々へ眼差しを向けられたと考えるかと言えば、イエスご自身が貧しく歩まれたからです。それだけでなく、生涯貧しい人々の近くで生きられました。この、イエスさまが生きられたように私たちも生きるというキリスト者の在り方が、この譬えにはもともと含まれていたのではないでしょうか。与えられた賜物を活かすというのは生き方の問題です。古代キリスト教社会は富の用い方や禁欲など、現代にも通用する優れた点をたくさん持っていたと思うのです。私たちもこの譬え話をヒントにして、自分のライフ・スタイルを変えるとか、いろいろな実験をしたらいいと思います。或いはもっと大きな視点で、現代の激動する世界経済を意識しながら、これからの社会の経済倫理構築にキリスト教はどんな役割が果たせるか、なんて考えるのもおもしろいでしょう。
借金が1千兆円を超えてしまった国に生きる私たちにとって、経済活動の倫理性に信仰的視点から物を言うのは意味のあることです。きょうはちょっと自由に語り過ぎました。祈ります。