受難節も押し迫ってきて、来週はいよいよ棕櫚主日を迎えます。受難の関連記事事から学びます。きょうのテキストは、エルサレム途上にあった主イエスに向かってヤコブとヨハネの二人の弟子が願い事を申し出ることから始まります。
彼らが言いますには、主が栄光を受けられる時に、自分たちを主の右と左に座らせて欲しい、ということでした。そこでまずこの右と左という表現を取り上げて、どんな意味が込められているのかを考えてみます。聖書の世界では右を上位とする例があります。創世記35章にあるヤコブの話です。妻ラケルが難産の末、二番目の男児を産み落とそうとする時、名前をベン・オニ(私の苦しみの子)と名付けて欲しいと言って息を引き取ります。父親ヤコブは生涯こんな不幸な名前で呼ばれるのは不憫だというので、これをベニヤミンと呼ぶことにしました。ベニヤミンのベニは私の息子、ヤミンは右手という意味です。それは右手を幸いと見ているからです。旧約では神さまにも右手・左手があると見られていました。出エジプト記15章12節には、『あなたが右の手を伸べられると、大地は彼らを呑み込んだ』とありますし、詩編110編1節には主のみ言葉として『私の右の座に就くがよい。わたしはあなたの敵をあなたの足台としよう』とダビデは歌っています。新約ではイエスさまが天に昇られてから、神の右の座に着かれた、とマルコ16章19節に書いてあります。もちろんこれは、イエスさまが神の国ですべての権威を与えられたという意味です。右と左というのは実は聖書の世界だけではなく、世界中の歴史の舞台にもしばしば使われている表現形式です。もちろん、日本の歴史にも中世には右と左という表現がありました。太政大臣のすぐ下は左大臣で、右大臣はその下になります。これは天子は常に南を正面として座ることに関係があるようです。天子から見ると左側が東で、そこから日が昇ります。まァいろいろですが、どんな時代でも、人間というのは権力者の右と左の位置を意識するらしいのです。もちろんそれは、地位に対して強い執着を持つという意味です。仕えるよりは仕えられる存在になりたいという欲求は、人間の本能的な望みであると言ってよいかも知れません。
話を戻します。ヤコブとヨハネの兄弟はガリラヤ湖畔で主イエスに召し出されていますが、この兄弟はペテロと並んで、いわばイエス側近3人衆とでも言うべき存在です。12弟子の中でも中心的役割を担った忠実な弟子たちでした。
しかし、一朝一夕にそうなったわけではなく、やっぱり主イエスの身近にあっていろいろ信仰的に鍛えられた結果だと思います。英国のオスカー・クルマンという学者によると、二人は熱心党(ゼーロータイ)と呼ばれた政治グループと関係があったらしいということですが、そうだとすると、弟子としての生活を送る中でも、熱心党が主張する政治的変革を自分たちの先生であるイエスが成し遂げてくれるのだ、と信じていたはずです。イエスさまから「雷の子」と名前を頂戴している程ですから、結構激しい性格の持ち主だったのでしょう。兄のヤコブはイエスさまの死後、ガリラヤの教会の首班者になっていったとも見られています。
使徒言行録の12章の冒頭にありますが、ガリラヤを統治することになったヘロデ・アグリッパ汾「によって紀元40年頃にはもう殉教していたようです。主イエスに従いつつ歩む中で、ヤコブとヨハネは彼らなりに、もうすぐ主イエスの地上での歩みが終わりに近づいていることをうすうす覚っていたと思いますが、そうした時、自分たちの地位を確保しておきたいと、ついそういう考えが頭をもたげたのでしょう。だとすると、この兄弟にとっての右左という問題は、単に地位名誉を求める執着心ということではなく、信仰に絡んでいたとも考えられます。
熱心党に政治的に関わっていたにせよ、そうでなかったにせよ、彼らの求めた左右の位置というのは、自分たちの信仰、特に終末観につながっていたのではないでしょうか。ですから、一般的な執着心―欲望というレベルで、彼らが口にした右左問題を片付けてはいけない気がするのです。もちろん、そうは言っても、主イエスの役割をイエスご自身と同じように理解していたはずはなく、その理解には、当然限界があったことは確かです。だからこそ、イエスさまは彼らの願いに対して、“あなたがたは、自分が何を願っているか分かっていない"と答えられているわけです。ヤコブとヨハネはいったいどんなふうにイエスさまのお言葉を受けとめたのでしょうか。おそらく彼らにとってイエスさまの言葉は不可解であったと思います。人間というのは、自分の求めるものは自分が一知っている、と思っていますから、「いったい我々の先生は何を言っておられるのだ」といった感覚があったでしょう。たとえ、自分のなすべきこと、自分の務めは分からなくても、自分のして欲しいこと、自分の欲求は分かっていると私たちは普通考えています。私はヤコブとヨハネの方が私たちよりはるかに信仰的であったと思いますが、その上でイエスさまは、時代を超えて、私たちにもよく聞こえるように、“あなたがたは、自分が何を願っているか分かっていない"とおっしゃっているように思えます。もっと別な言い方をするとすれば、こういうことではないでしょうか?つまり、“あなたがたは、信仰生活を送る中で、求むべきものを求めず、求めても仕方ないものを求めている"という指摘です。
ですから今、私たちは、自分の心と目を何に向けて生きているのかを、省みなければなりません。このことは、受難節に与えられているイエスさまから私たちへの宿題だと思うのです。このテキストを読んでいますと、いつの間にか私たちは、自分とはあまり関わりがないかように、「雷の子」ヤコブとヨハネの姿を遠くから眺めている気分になったりするのですが、実は二人の弟子たちを眺めるなどという余裕は私たちにはないはずで、自分に関することばかり性懲りもなく求め続けている私たちに、イエスさまが、神の子としての宣言として、“あなたがたは、何を求めているのか分かっていない"と語りかけておられるのです。その上で、“このわたしが飲む杯をあなたも飲む"と言われています。ヤコブはおそらくイエスさまの死後、十数年後に自分も同じ道を辿るとは思っていなかったでしょう。しかし、主が“このわたしが飲む杯をあなたも飲む"と言われたら、実際そうなるのです。これは私たちが予測し得るような出来事ではありません。自分には少しばかり信仰があると考えても、あるいはほとんど信仰はないと考えても、イエスさまに“このわたしが飲む杯をあなたも飲む"と言われた時にはそうなる、と聖書はいうのです。神の言葉の厳然たる実現性をこの記事は示しています。私たちの群れの中に、「あの人は信仰的には器ではない」と多くの人たちが考えている人がいたとします。しかし、その人を神が選ばれるならば、その人は主の杯を飲むように導かれるのです。きょうのテキストには、人の子が、主イエス・キリストが、仕えられるために来たのではなく、仕えるために、そして、多くの人たちの身代金としてご自分の命を献げるために来た、ということが明確に語られています。
これは、神の愛とは労苦する愛なのだ、ということです。イエス・キリストに従うには、苦難にあずかる覚悟が必要となります。神さまを愛するとは、具体的に言えば、この世において、神さまと一緒に苦労することです。教会は神さまの宮なのですから、教会に連なり、教会で生きれば、私たちは自分の周りの多くの人々の救いのために、新しい苦労を加えられるとも言えるでしょう。けれどもそれは愛の苦労だと主は言われます。これは、イエス・キリストと一緒になす苦労ですから、喜びと感謝とをもってすることができる苦労なのです。
キリスト者はその喜びを聖書からいただいている存在です。きっと世間では何故教会なんかに行くのだろう? こんな不景気な時代に、なんで献金なんかささげるのかと、不思議に見ているのでしょう。それは説明して納得を得られるものではありません。ヤコブとヨハネがイエスさまと一緒に過ごす生活の中で少しずつ教えられていったように、私たちも信仰生活、教会生活を続けていく中で養われていくのです。それでも神さまの愛が分からないという方は、たとえば、自分が親として子供たちにささげる苦労を考えれば、少し参考になるかもしれません。自分のかわいい子どもたちにささげる苦労は、紛れもなく確かに苦労ですが、その苦労は喜びが湧いてくる苦労です。この積極的な苦労こそ、イエス・キリストと共にすべてのキリスト者がこの世でなすべき苦労ではないでしょうか。苦労といえばそんなもの背負い込みたくないと反射的に考えるかも知れませんが、イエスさまと一緒にする苦労には本当の平安があります。もちろんそれは、物の豊かさや、経験から得られる平安ではありません。信仰者にだけ与えられる神さまの愛です。受難節の歩みはまた、神の愛を確かめる歩みでもあります。この愛を受け止めながら、棕櫚の主日を迎えましょう。