2013.12.24

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「恵みと真理」

廣石 望

ヨハネによる福音書1,14-18

I

本当の神とはどのような存在か? この世界はなぜ存在するのか? この私は何のために生まれ、そしてやがて死んでゆくのか?――先ほど朗読したヨハネ福音書を生みだした人々も、そんな問いをもっていたように思います。そしてこの人々は、そうした問いの答えをイエス・キリストに見出しました。

イエスとはどのような人だったのでしょうか?

II

 イエスは、いわゆる紀元元年よりもおそらく数年前に、エルサレムから見れば北方のガリラヤ地方で生まれたユダヤ人の男性です。父と母、兄弟たちについては名前が、また姉妹たちもいたことが伝えられています。他方、妻や子どもについては一切の言及がありません。

 およそ30歳ころに家を出て、洗礼者と綽名された預言者ヨハネのもとに行きました。それはガリラヤから見て、南方のヨルダン渓谷にある荒れ野です。そしてヨハネから、ヨルダン川の水に沈められて象徴的に一度死ぬという意味の儀式、すなわち洗礼を受けました。ヨハネは「私が最後の預言者であり、次には神の裁きが到来する」と宣言していたので、イエスもそれを信じたのだろうと思います。

 しかししばらく後に、イエスは洗礼者ヨハネから離れます、「神の国が近づいた」と宣言しながら。ヨハネは人里離れた荒れ野で禁欲的に暮らしていましたが、イエスは同胞のユダヤ人が暮らす町や村に、自分から出かけてゆきました。そしてユダヤ教会堂を含む先々で教え、病人を癒し、悪霊を追い祓い、繰り返し被差別者たちと共に食事し、さまざまな譬え話を使って神について語りました。

 そのさいにイエスが当時の社会の聖と俗、清さと穢れの区別を一切ならず踏み越えて行動したことが知られています。彼は聖なる安息日に病人を癒し、穢れているとされた人々に触り、彼らが調理した料理をいっしょに食べました。

 イエスは、故郷と財産を棄てて放浪する生活スタイルをとりました。やがて、その周囲に同志たちの群れができあがります。同じように家族と職業を放棄して、食べ物と宿を行く先々で恵んでもらいながら、「神の国」の宣教を共同で行う者たちの集団です。そこには男性ばかりでなく、女性もいたことが知られています。イエスは彼らを町々、村々に派遣しました。当時の社会で、女性を引き連れて、定住地をもたずに活動するラビの存在は、他に伝えられていません。

 そのイエスは、過越祭という巡礼祭に参加するために、親族や仲間たちといっしょにユダヤ教の唯一の神殿があったエルサレムに上京しました。軍団を引き連れて、軍馬に乗って町の西側から入ってくるローマ総督とは逆に、東側から、しかも平和の王を象徴するロバに乗って都に入り、都市住民と巡礼者たちはこれを歓迎したと伝えられています。しかしイエスは、神殿がじきに崩壊するという預言活動を行い、神殿祭儀の円滑な運営を妨害したもようです。彼が「メシア」であるという風評も流れていました。神殿の祭司階級と、ユダヤを統治するローマ人の責任者たちは、このガリラヤ人を見せしめの処刑によって排除することを決め、直ちに実行に移しました。

 弟子たちは逃亡しました。イエスは自ら夢見ていた「神の国」の到来を見る前に、殺されて世を去りました。

III

 このイエスの生涯のどこが、先に述べたような神や世界、また私の存在理由に対する答えなのでしょうか?

 人としての尊厳を奪われていた人々は、病を取り去り、穢れを清め、喜びの宴を共にするイエスを通して「救いをもたらす神の力」をわが身に経験したと思います。掟を守ることによって達成される正しさに代えて、受けとることで実現する神の救いを、イエスは体を通して現わす存在でした。「律法はモーセを介して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを介してできごととなった」。

 しかしこうした真実な経験も、イエスが神に呪われた者の死である十字架の死を死んだとき、いったんは否定されたと思います。あの人は、神に棄てられて死んだのだから。小さな命のできごとは、暴力的な死によって一瞬で吹き飛ばされてしまいました。

 しかしヨハネによる福音書は、イエスが神によって起こされて、弟子たちに現れたと語ります。そのときイエスは、弟子たちに「あなた方に平和あれ」と挨拶し、人々の罪を赦すという役割を託しました、「私を見ることなしに信じる者は幸いなり」と語りつつ。

IV

 当時のユダヤ教社会では、神は言葉を通して世界を創造したと信じられていました。

 「神の国は近づいた」、つまり「救いをもたらす神の力は近い」と語り、行動したイエスは、やがて世界を造った神の言葉が人になった存在であると信じられるようになりました。イエスは神と世界の秘密を明らかにしてくれる存在である、という意味です。

 復活の光の中で、イエスが放った輝きが、創造者なる神のものであることが発見されました。「神をかつて見たことのある者はない」。しかしイエスを見れば、本当の神が分かる。イエスはこの世界にたった一人だけ存在する神のサンプル、「神の独り子」であると信じられるようになったのです。「私たちはその輝きを見た、父のもとの独り子のような輝きを、恵みと真理に満ちて」。

 そのことを信じた人々は、イエスの息吹に自分たちが生かされていると感じていました。だから福音書のイエスにこう言わせています、「真理の霊が来ると、あなた方を導いて真理をことごとく悟らせる」(16,13)。

 だからイエスの息吹に養われて生きる人々は、イエスの死後も、彼を通して受けとることを止めません、「恵みに次ぐ恵みを」。そしてこの恵みは、私たちを真理に至らしめる。「独り子なる神、父のふところに至る者――彼こそが〔神を〕解き明かした」のですから。

 私たちが今夜、キリストの誕生をともに祝うのは、本当の神が「恵みと真理」に満ちた創造者であることを私たちに現わしたイエスと、彼を世界に遣わした神を讃えるためです。

 皆さんのお一人おひとりに、メリークリスマス!

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