2013.9.15

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「人間をとる漁師」

廣石 望

コヘレトの言葉9,7-12; ルカによる福音書5,1-11

I

 今日のルカ福音書のテキストに、新共同訳聖書は「漁師を弟子にする」というサブタイトルをつけています。しかし他のよく知られたシンプルな召命物語――イエスが通りがかりに「私について来なさい」と呼びかけると、すぐに「従った」というパターン(例えばマルコ1,16以下)――と比較すると、非常に複合的な内容を備えています。

 まず神の言葉を聞こうとする「群衆」に言及があり、イエスは舟にのってガリラヤ湖の水上から岸辺の群衆に「教え」ます。このドラマティックな場面設定は、マルコ福音書でイエスが譬えを用いて群衆を教えたときと同じものですね(マルコ4,1以下)。要するにイエスは〈宣教活動〉を行っている真っ最中なのです。その文脈の中に、弟子たちの召命というエピソードが配置されています。

 続いて物語の中央部には、イエスが漁師たちに大漁をプレゼントするという〈奇跡物語〉がとりいれられています。ご存知のように、ガリラヤ湖での大漁という非常によく似た奇跡物語が、ヨハネ福音書の終章に伝えられています(ヨハネ21,1以下)。ただし、そのときのイエスは〈復活者〉であり、奇跡は復活顕現と結合しています。これに対して私たちの物語は、生前のイエスが行った活動の初めころという設定です。加えてペトロといっしょに召された者たちとして言及される「ゼベダイの子ヤコブとヨハネ」は、後にペトロと並んで原始エルサレム教会で「柱」と呼ばれた〈使徒〉たちです(ガラテヤ2,9参照)。――つまり私たちのテキストは、生前のイエスについての物語でありながら、早くもそこにイースターのまばゆい光が差し込んでいるようなのです。

 以上のように私たちの物語は、〈群衆への宣教〉というモチーフに枠どりされ、〈復活者イエスの顕現〉と〈原始教会によるキリスト宣教〉というモチーフを内に含みながら、召命伝承に本来のモチーフである〈弟子の召命〉について語ります。すなわち「今から後、あなたは人間をとる漁師になる」という言葉を受けて、「彼らは…すべてを捨ててイエスに従った」(10-11節)。

 この複合的なストーリーはどのようにしてできあがったのでしょうか。もともと肝心なときに師イエスを見棄てて逃げたペトロが、復活者イエスから「人をとる漁師になる」という約束を受けとる話が出発点にあり、それが生前のイエスの活動に逆投影された上で、大漁物語が付加されて現在のストーリーができあがったのか、それとも生前のイエスに関する伝承として大漁奇跡の物語がまず伝えられており、それがやがてペトロの召命と結合したのか――研究者たちの意見はさまざまです。

いずれにせよ復活信仰の視座から生前のイエスについて語るとき、何らかのかたちで――今回であればイエスが大漁をもたらすというかたちで――今は天に挙げられている神の子イエスの権能が透けて見えるということなのだと思います。

II

 さて、召命物語の主人公ペトロの本名は「シモン」、ヘブライ語にいう「シメオン」です。彼の故郷はガリラヤ湖北岸の少し奥まったところにあるベトサイダ村です。イエスに出会ったときは、同じガリラヤ湖北岸にある村カファルナウムで、妻の家族と暮らしていました。職業は漁師です。その彼がイエスに向かって「主よ」と呼びかけ、これまでの職業をなげうってイエスに従うことで「人をとる漁師」になりました。

 私たちに親しい「ペトロ」という呼び名は本名ではなく、「岩」を意味するニックネームです。その由来については議論されていますが、マタイ福音書は彼こそが〈教会の基礎〉、霊的な礎(いしずえ)であるという意味に理解しています(マタイ16,18参照)。

教会の霊的な「岩」となった使徒ペトロは、もともとパレスティナの辺境地ガリラヤ出身の一介の漁師シメオンだったのです。社会身分としては農民と同レベル、文字を読む教育は受けていなかったかもしれません。そしてこの人はイエスの最初の弟子、最初の顕現証人の一人になり、最初の異邦人伝道者の一人にもなりました。またその最期は、帝国の都ローマでの殉教死であったと伝えられています。後にその墓をローマ皇帝コンスタンティヌスが「発見」しました。現在はその上にBasilica di San Pietro in Vaticano、つまりローマ・カトリック教会の総本山である聖ペトロ大聖堂の大伽藍が聳え立っています。

ローマ教皇は、使徒ペトロの使徒権の継承者をもって自任しています。もっともヴァチカンの中を行き来する高位の聖職者たちに、〈元漁師〉という雰囲気はまったくありませんね。むしろ〈大僧正さま〉たちといった印象です。

III

 さて後の偉大な使徒ペトロも、この召命物語の冒頭では舞台の脇役にすぎません。神の言葉を聞こうとやってきた群衆の脇で「網を洗っていた」彼らは、イエスに乞われて、いわば説教壇の代わりに「舟」を提供する役割を果たすだけです。

 そして群衆は「岸辺」に、イエスは「舟上」にいます。――しばしば「岸」「陸」は〈確かさ〉の象徴であり、「水」は〈底なしの不確かさ〉を示唆します。群衆は〈確かさ〉の側に、つまりイエスの話がつまらなければいつでも立ち去れる位置に、他方でイエスは風が吹けばゆらゆら揺れる〈不確かさ〉の位置にいます。「神の言葉を語る」ことには、独特の不確かさがつきまとうのでしょうか?

 余談ですが、私は中国地方の瀬戸内海に面した田舎の、田んぼを頼りに生きる百姓の倅です。故郷のJR単線をしばらくいったところに小さな漁師町があります。私たちはみな同じ高校に通ったのですが、気質はまったく違いました。漁師の息子たち・娘たちは概して声が大きくて目立ちたがり、他方で田んぼ型の私たちは大人しくて協調的でした。――山中のナザレ村出身の大工の息子イエスと、ガリラヤ湖畔出身の漁師の息子シメオンたちというコンビは、果たしてうまくいったのでしょうか…?

 その大工の息子イエスが、今は「神の言葉」の説教者として、小舟の底板一枚を隔てて〈水〉の上にいます。水上のイエスには〈岸辺〉とはまた別の種類の確かさが必要かもしれません――現代であれば、伝道者として献身する者に明確な「召命意識」なるものが要求されるように。

 イエスが発揮する確かさは、私たちのストーリーでは「大漁」によって象徴されます。「おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった」、「二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった」(6-7節)。これはガリラヤ湖の漁師たちに顕現した、創造者なる神の力です。

 水上のイエスを通して神の力が現れ出ることが可能になったきっかけは、漁師たちが自分たちの確かさ――プロの漁師としての技量と経験、「先生、私たちは夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした!」(5節)――をいったん棚上げにして、「しかし、お言葉ですから」と言いつつ、もう一度試してみなさいというイエスの提案を受け入れたことにあります。

 ところで、夜通し働き続けて何の収穫もないという労苦は、研究者にとっては身近な経験です。何時間も必死で文献を読み、考え続けたけれど、やはりはっきりしたことは掴めないまま、あっという間に夜が明けるのです。思うに、大量の放射性物質を漏洩し続ける原子力発電所の最前線で働く技術者の方々は、もっと苦労なさっていることでしょう。

 それはともかく、プロの漁師たちは「しかし、お言葉ですから」と言って――ギリシア語原文には「しかし、あなたの言葉に乗せて」、つまり〈あなたに賭けてみましょう〉というニュアンスがあります――大工の言葉に信頼しました。この柔軟な態度が、陸で生きる者と海で生きる者たちの間に新しい確かさを開いたのです。

IV

 「人間をとる漁師」という表現は、キリスト教の伝道者をさす表現として、たいへん有名になりました。

 ところでルカ福音書で新共同訳が「人間をとる漁師」と訳している箇所の原文は「人間たちを生け捕りにする者」です。「人間をとる漁師」という表現は、マルコ福音書が伝える召命の言葉、すなわち「ここへ〔来い〕、私の後ろに〔続け〕。そうすれば君たちを人間たちの漁師にしてやろう」(マルコ1,17参照)に現れます。

 常識的に考えれば、「人間をとる漁師」とはかなり人聞きの悪い言葉です。漁師たちが使う「網」は日本語におけると同様、旧約聖書においてもしばしば〈罠〉のメタファーです(例えばコヘレト9,12)。つまり「人間たちの漁師」とは、人に罠をかけてかどわかす者、詐欺師、人攫いのことです。

 もしかするとこの表現は元来、放浪と托鉢と乞食(こつじき)に生きたイエスとその仲間たちが、当時の社会から受けた非難中傷の言葉であったかもしれません。

 例えばイエスの親族は、彼の「気が変になっている」という噂を聞いて、家の恥と思ったのか力ずくで取り押さえにやってきた、という伝承が残っています(マルコ3,21)。一家の長であるのに、あろうことか家を棄てて放浪しながら、病気癒しや悪霊祓いなどというおよそ怪しげな所業をして回っているからです。

 そのイエス自身が、「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない」と言っています(マタイ8,20並行)。定住地をもたない流れ者として、現代風に言えば、住民票をもたない路上生活者として生きたということです。

 あるいは彼が行う悪霊祓いをさして、〈そんなことができるのは悪霊の頭ベエルゼブルとつるんでいるからだ〉、早い話が〈イエスは悪霊憑きだ〉という中傷がありました(マルコ3,20以下)。

 「見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ」(マタイ11,19並行)という誹謗に至っては、イエスが〈人の道から外れた放蕩息子、どうにもならないダメ人間だ〉いう意味です。

 そして極めつけに、イエスとともに放浪する男たちについて「去勢者」という、およそ当時の社会で男性を嘲笑する上で最悪の表現が用いられた可能性があります。「母の胎からしてそのように生まれた去勢者があり、また人間たちに去勢させられた去勢者があり、天の王国のゆえに自らを去勢した去勢者がいる」(マタイ19,12の岩波版新約聖書1995年、佐藤研訳――新共同訳は「去勢者」を「結婚できない(/しない)」と意訳)。

 現在の文脈では、この発言はおそらく「天の王国のゆえに自らを去勢した去勢者」を、つまり独身の宣教者として生きる者たちを擁護するものです。しかし「去勢者」という表現そのものはもともと、「父の家」を出ることで、〈妻を娶って男子を生ませ、ゆくゆくは家の財産を相続させる〉という男性の役割を拒絶した者たちに対する、強烈な罵りの言葉であったと思います。

 「人間をとる漁師」という表現も、以上のような、イエスと仲間たちに伝統社会が向けた誹謗中傷の系列に入るのではないでしょうか――〈あいつらは元漁師だ〉、それが今は〈人を網にかけて浚って行く者になった〉。イエスたちはそれを敢えて自称表現として採用したのです。伝統社会がイエスに感じとった〈いかがわしさ〉は、自らが属する社会集団に伝統的な価値観からの離脱に由来します。その意味では「沖に漕ぎ出せ!」(4節)とは、伝道者や牧会者だけでなく、イエスに従おうとする者たち皆に当てはまる要請です。私たちは皆、自分が生まれ育った価値観から一歩踏み出すことを求められているわけです。

V

最後に、沖に漕ぎ出そうとする者たちにとって、ゆらゆら揺れる〈水上〉を進んでゆくための、霊的な支えとなるものについてのイメージを探ってみましょう。

いろいろな可能性があるに違いありませんが、ここでは使徒言行録が伝えるパウロの難破漂流から、ある場面をとりあげます。パウロはエルサレムで逮捕され、カイサリアで2年ほど拘束された後に、皇帝から直接裁判を受けることを申し出て、都市ローマまで未決囚として護送されます。その途中にクレタ島沖の地中海で難破し、14日間漂流した後にマルタ島に漂着するわけです。暴風の中を航行していた最中について、次のような場面があります。

〔人々は〕船体には綱を巻きつけ、シルティスの浅瀬に乗り上げるのを恐れて海錨(かいびょう)を降ろし、流されるにまかせた。(使27,17)

 船体を「綱」で巻いたとは、大きな波に打たれて船体が分解するのを防ぐためでしょう。なお「海錨」と訳された単語の意味はやや不明なのですが、「海錨sea anchor」とは、「荒天で航行が困難になった船舶が横波を避けて漂泊するため、船首から海中に投じる帆布製の凧(たこ)のような船具」なのだそうです(『大辞林』)。

通常、帆船は風の力を利用して、場合によっては海流に逆らって進むものです。ところが海錨は、まったく逆に、水中に「帆」ないし「凧」を張るというのですから不思議な感じがいたします。要するに海面上で暴風に吹き飛ばされたり、高い波を真横からまともにかぶって船体が壊れたりしないようにするための技術なのだと思います。

 私たちがイエスに従って生きるとき、ときには風を頼りに、海流に逆らって進む必要があるでしょう。しかしときには暴風と波浪から身を守るために、逆に海流を頼って、深い海の流れに身を託すというケースもあるかもしれません。そんな時代が来ないよう前もって努力したいものです。しかし仮にそのような状況になったときは、イエスがこの「海錨」のようになって船を導いてほしいと願います。

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