2013.7.7

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「キリストと共に」

廣石 望

出エジプト記3,1-12 ; ローマの信徒への手紙6,1-11

I

 洗礼は通常、どのようなものであると理解されているでしょうか?

 「洗う」という文字は、おそらく「罪を洗い流す」というイメージから来ているのでしょう。さらに「聖霊の注ぎ」というイメージもあります。「バプテスマ」というギリシア語の原義は「沈め・浸し」ですが、西洋絵画では頭から水が注がれている図像表現が、多く見られます。あるいは本日のパウロのテキストにもあるように、「古い自分に死に、新しい自分に生きる」というイメージもあります。

 外部から見れば、頭にちゃぷちゃぷ水をかけたり、どぼんとプールや川に沈めたり、なんだか奇妙なことをしているわけです。学生から聞いた洗礼式に、真夏の海で教会員と泳いだ後、海水パンツ姿の宣教師から、水着姿のまま海で洗礼を授けてもらったという事例があります。そうか、塩水でもよかったのか…。

 受洗者の各人に、各人の洗礼式の記憶があるでしょう。――村上先生が何度か説教で語られ、最近出版された自伝にも記されている、ご自身の洗礼式の思い出は強烈です。北国の真冬、床の板張りの隙間から地吹雪が噴き上げる礼拝堂で、凍りついてしまった洗礼盤を、牧師先生が息を吹きかけて温めた手の平でごしごしこすって、水滴を得たという話しです(村上伸『良き力に守られて』91頁参照)。

 私は中国地方の田舎を流れる一級河川で、秋の日に洗礼を受けました。それなりに寒い主日の早朝で、河川敷にドラム缶で薪を焚いて暖をとりました。牧師先生は白い浴衣を来ていました。小学生だった私は白の体操服の上下という出で立ち。先生が先にじゃぶじゃぶと川の中に入り、腰あたりまでつかったところで立ち、私たち子どもは順番に川の中に入って洗礼を授かりました。牧師は私の胸と腰を支えて、私の体を水中に水平に沈めました。体の上を白い水が流れていったのを覚えています。

 洗礼式はとてもシンプルな儀式です。それでも何度見ても、本当に感動します。自分の存在をまるごと神に明け渡す、という覚悟を固めた人の静かな姿がそこにあるから、そして会衆の人々が息を詰めて、その決心を見守っているからだと思います。今は主観性の時代です。誰が何を言っても「それはあなた個人の意見でしょう」で終わり。しかし洗礼式では、すべて神さまにお委ねする、という〈私の外部〉の重要性がはっきり見えます。「恵み」という言葉が、くっきりと見える。

II

 最初期のキリスト教の歴史をみると、洗礼者ヨハネの洗礼をイースター後のキリスト教会が採用したことが分かります。

 洗礼者ヨハネの洗礼は、目前に迫った「火」による最後の審判に直面して、ただ一度「水」に沈められて象徴的に溺死することで、穢れと罪責の縄目から解放されることを目指していました。ユダヤ教には沐浴の習慣があり、衣類や家具や人の体などを、清浄規定に従って事あるごとに洗っていましたが、ヨハネはその「洗い」の儀礼を大改革して、〈死の禊ぎ〉の象徴行為を創設したようです。

 他方イエスは、ヨハネから洗礼を授けられはしたものの、自らはその宣教活動にさいしてはこれを継承しませんでした。イエスは救いをもたらす神の力である「神の国」を、自らの身体を通して実現してゆきました。罪人たちと食事して「神の国」の前夜祭を祝い、病気を癒し、悪霊を追い払って「神の国」の到来を証明し、譬えを語ることで「神の国」の到来したことの意味を告げました。だから、罪責(穢れ)への審判を前提とする洗礼は行わなかったのでしょう。しかし使徒言行録を見ると、ペンテコステの日にペトロの説教を聞いた人々が「3千人ほど」、早くもその日に洗礼を受けたと記されています(使2,41)。――イースター後の教会が、ヨハネが行った象徴行為である洗礼を、なぜ(再)導入したのかについて、詳しいことは不明です。

 それでもヨハネの洗礼と教会の洗礼には、共通点と相違点があります。共通点は、当然ながら「水」を使うこと、それからユダヤ教の沐浴儀礼とは異なり、どちらも生涯一度切りであることなどです。相違点としては、もはや目前に迫った最後の審判という状況認識は欠落し、いつでもどこでも繰り返して行われる儀礼であること、そして何よりも「イエス・キリストの名による(/に向けて)」の洗礼という内容を備えるようになったことです。

III

 本日のテキストでパウロが、洗礼とは〈キリストにあって罪に死に、神に生きることだ〉と述べていることは(11節参照)、基本的にその線上にあります。しかしパウロは、その共通理解に独特のアクセントをつけます。イエスの死と復活の運命への参入というモティーフがそれです。

それとも君たちは知らないのか、キリスト・イエスへと沈められた私たちは皆、彼の死へと沈められたことを。つまり私たちは彼と共に埋葬されたのだ、死への沈めを通して。キリストが父の栄光を通して死者たちから起こされたように、そのように私たちもまた命の新しさにあって歩むようになるために。(3-4節参照)

 ヨハネの洗礼は、もともと「溺死」のイメージでした。「注ぎ」や「洗い」に代えて、ここで「死」のイメージが再浮上しています。さらに新しいイメージとして、「埋葬」が加わります。洗礼はもともと「水」と結びついていたのですが、ここで「土」が追加されることで、キリストの「死への参入」という要素がたいへん強調されています。

 埋葬はすでに生じた死を確証するものです。したがって洗礼は、すでに生じた内的な「キリストと共なる死」を確証するものなのでしょう。そして埋葬場所には、当然ながら遺体や骨があります。ユダヤ人の間では、それらは強度の「穢れ」を引き起こすと考えられていました。だから墓地は居住地の外側に造営されましたし、祭司たちは近親者が亡くなった場合でも、葬儀への参列は厳しく制限されたのです(レビ記21章参照)。

 こうしてパウロのテキストは、〈君たちはキリストと共に不浄の只中へと葬られたのだ〉というニュアンスを含みます。ただしそれは、穢れの只中から神が「命の新しさ」を創りだすためであると。

IV

 キリストと共なる死と埋葬は、たんなる自然死ではなく罪の結果としての罰とも考えられているようです。

私たちの古き人は、〔キリストと〕ともに十字架につけられた。罪の体がもはや効力を発揮しなくなるため、もはや私たちが罪に隷従することのないために。(6節参照)

 「罪の体」という表現は、避けがたく「罪」を生みだし続ける〈この私〉という意味でしょうか。その〈私〉は十字架刑という名誉剥奪の恥辱の死を、キリストと共に死んだとパウロは言います。私が死ぬことで、私の生みだす「罪」はミュートされ、罪の奴隷であることもなくなったと。

 同時に、さきほど申し上げたように、「埋葬」は祭儀的な不浄を示唆します。そして、この「穢れ」は死に接触する者たちに伝染するので、洗礼を受けた者たちは本来であれば「私に触らないで。私は穢れています!」と言わねばならないはずです。しかしキリストの死は「命の新しさ」が生まれる場所、「罪への隷従」が終わる場所として、接触恐怖を乗り越える場所に変貌します。

 だから、パウロの伝える洗礼定式に、次のような文言が現れるのです。

もはやユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由人もなく、男と女の別もない。君たちはキリスト・イエスにあって一人だから。(ガラテヤ3,28参照)

穢れのただ中に清さを創りだす神の聖なる力を信じて病気を癒し、悪霊を追い祓ったイエスと同じスピリットを感じます。洗礼はこれまでは接触恐怖のゆえに決して交流できなかった人々を、死をくぐり抜けて互いに出会わせるための場になりました。この儀礼が、やがてキリスト教会への入信儀礼となったことも、よく分かります。

V

 さらにパウロは、キリストとの共死が彼との共生を生みだすことを、何度も言葉を変えて言います。

キリストが父の栄光を通して死者たちから起こされたように、そのように私たちもまた命の新しさにあって歩む。(4節参照)
私たちが彼の死の似姿との共生体になったのであれば、立ちあがりの〔共生体〕にも私たちはなるだろう。(5節参照)
私たちがキリストと共に死んだのであれば、彼と共に生きもするだろうと私たちは信じる。(8節参照)

 復活はキリストだけの特権でなく、信仰者にも与えられるのですね。ただしおそらくは未来の約束として――この点でコリント教会には、すでに霊を受けた完全体になった私たちに「未来の復活」は必要ない、と考えた信徒たちがいたもようです。それでも「命の新しさにあって歩む」ことは、今すでに始まっています。

 たいへん興味深いのが、「キリストの死の似姿との共生体になる」(5節)という発言です。新共同訳は「キリストと一体になってその死の姿にあやかる」と意訳します。難しいのは「共生体」(シュムフュートイ)という単語で、そのまま訳せば「いっしょ育ち/共なる育ち」です。つまり「キリストの死の似姿」が、信徒たちの生のかたちを刻印し、その死に似たものになる、いいえ、たんに似ているというより、その死の姿と合体している、という意味です。「あやかる」という日本語は距離感を前提していて、ちょっと違うような気がします。

 何れにせよこの発言は、信仰者がキリストの「死に体」として生きていると言います。人生の敗残者、あぶれ者、強い者たちの利益のために葬り去られた者として。外から見れば、穢れと不名誉に満ちた〈ごちゃまぜ集団〉であるのが教会です。ですから、もし教会がお上品な人たちの集まりであり、その敷居が高いとしたら、たいへん考えものですね。

 そのキリストの「死に体」を生きるとき、私たちには次のような、とても不思議な事態が同時に当てはまります。

キリストは死者たちから起こされてもはや死なない、もはや死は彼に君臨しない。(9節参照)。
キリストは死んだ。一度切り罪に死んだ。彼は生きる、神に生きる。(10節参照)

VI

 以前、ターミナルケアを実践しておられる鈴木荘一先生をお招きして、講演を伺ったことがあります。彼のご著書の中に、90歳の癌患者の方がクリスマスの夜に創った詩の一節が引用されています。

90年前 神さま しあわせな子船に一人の赤ちゃんを乗せて
この世に運んで下さった
この最初の船には 元気が赤ちゃんの私が乗っている
色が黒く あまり可愛いとはいえないけれど
丈夫で 天真爛漫なおてんばな女の子に育った
(中略)
今 しあわせな小船は ガンを乗せて迎えに来た
しあわせな小船にのっているから ガンは私に意地悪しないだろう
神さまはきっと私の望むところに(それは神さまの望まれるところ)
そこの港に着かせて下さるだろう
そこは天国 そこに喜んで凱旋する ハレルヤ
(鈴木荘一『ひとはなぜ、人の死を看とるのか』259-260頁)

 「しあわせな子船」というイメージが、この方の誕生と死を包みこんでいることが分かります。パウロのテキストと照らし合わせてみるとき、この「小船」とはキリストのことではないか、とりわけ「ガンを乗せて迎えに来た」それを通して、この方はキリストの「死の似姿の共生体」になってゆかれたのではないか、と思われてなりません。そしてこのことを通して、私たちは神のお望みになる「港」に着くという希望をもちます。つまり「罪に死に、神に生きる」という希望です。

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