I
どのように共同体を形成し、これを維持するか――これは私たちの社会では、何よりも地方自治体や国など行政上の問題です。最近は「グローバルガバナンス」という言葉も聞きます。経済その他のファクターが、ひとつの国だけで完結しないほど国際的に結びついているからでしょう。
ある共同体を維持するためには財源が必要です。それは端的に言って、子どもや高齢者や病気の人あるいは障がいをもつ人たちのように、十分な収入を得るための活動ができない人が共同体には必ずいるからです。年金制度は、現在働ける人が今はもはや働かない人たちを支え、やがて働かなくなったときには支えてもらうという、ある種の相互扶助の仕組みといえるでしょう。
財源が要るという点は、教会が新しい牧師を招く場合も同じです。今日の使徒言行録のテキストは、エルサレムに原始教会が誕生したころの話ですが、共同体維持のために、現在と同様に「献金」という仕組みが使われたと言われています。
II
じつは今日の箇所と内容的に非常によく似た報告が、少し前の文脈にあります(使徒言行録2,42-47)。
彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。すべての人に恐れが生じた。使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていたのである。信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。
この報告によれば、エルサレム原始教会の活動は、およそ以下の5つの点にまとめることができます。第一に「教え、交流、パン裂き、そして祈り」。ここでいう「パン裂き」とは、現在の私たちがいう聖餐式と愛餐式が合体したものであるようです。第二は「奇跡」、例えば治癒奇跡ではないかと思います。第三が「財産の共有と分配」。第四が「神殿参詣」と、家の教会での「共同の食事」および「神への賛美」。そして第五に、民族内でこの共同体が「好評」を得たことです。
今日の箇所と共通するのは、何よりも第三の「財産共有と分配」です。その具体例としてバルナバの献金が新しく言及されます。しかしそれだけでなく、第二の「奇跡」の要素にも、じつは言及があります。「使徒たちは、大いなる力をもって主イエスの復活を証しし」(33節前半)とあるときの、「大いなる力」とは奇跡を指すからです。やはり治癒奇跡ではないでしょうか。つまり病気の癒しが、イエスの復活を証言するものだったのです。さらに「皆、人々から非常に好意をもたれていた」(33節後半)とあるとき、それは2章にいう「民衆全体から好意を寄せられた」(2,47)と同じことと見えます。しかしギリシア語原文に「人々から」はありません。直訳すれば「大いなる恵みが彼ら一同の上にあった」。すると「大いなる恵み」は前の文章の「大いなる力」とパラレルであり、むしろ〈神〉から来るもの、つまり聖霊の力を指している可能性が大きいです。
使徒たちは聖霊の力により、治癒奇跡を通して主イエスの復活を証言し、神の恵みは共同体の上に注がれた。それが証拠に、この集団には生活に困窮する者が一人も出なかった。
III
さて今日の聖書箇所は、古くからエルサレム教会における「原始共産制」として知られています。カール・マルクスなどの共産主義の理論家たちによっても、非常に高く評価されました。
もっとも本物の共産主義とは異なり、ここで私有財産の否定は前提されていないようです。「一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく」(32節)という発言の真意は、私有財産に対する独占的主張を自発的に放棄することにあり、自由献金によって必要に応じた分配というかたちの相互扶助がなされました。
なぜ、こうしたシステムが必要だったのでしょうか。もともとユダヤ教に相互扶助の習慣がありました。しかし具体的な理由の一つに、かつての弟子たちがガリラヤからエルサレムに移住してきたことがあるかもしれません。イスカリオテのユダが脱落したせいで「12人」グループに1名の欠員が生じたので、その補欠選挙を行うという場面に、次のような描写が出ます(使徒言行録1,13-15)。
彼らは都に入ると、泊まっていた家の上の部屋に上がった。それは、ペトロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレ、フィリポ、トマス、バルトロマイ、マタイ、アルファイの子ヤコブ、熱心党のシモン、ヤコブの子ユダであった。彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた。そのころ、ペトロは兄弟たちの中に立って言った。百二十人ほどの人々が一つになっていた。
弟子たちも、そしてイエスの家族――母マリアとイエスの兄弟たち――もエルサレムに来ました。それぞれが家族や兄弟を連れてきた可能性が高い。そして彼らの全員が、ただちに職業活動を行うことは難しかったろうと思います。
さらにエルサレム教会は概して貧しかったようです。パレスティナ外部に成立した諸教会から、たびたび献金が送られました。例えばパウロは、かつての「エルサレム使徒会議」を振り返って、こう言います(ガラテヤ2,10)。
私たちが貧しい人たちのことを忘れないように、とのことでしたが、これは、ちょうど私も心がけてきた点です。
パウロが「貧しい人たち」と呼んでいるのはエルサレム教会のことです。彼らは自ら「貧者」と自称したのかもしれません。
他方で貧困からの解放は、神がイスラエル民族に古くから与えた約束でした(申命記15,4)。
あなたの神、主は、あなたに嗣業として与える土地において、必ずあなたを祝福されるから、貧しい者はいなくなる。
今日の聖書箇所は、この約束が実現した、原始エルサレム教会は「真のイスラエル」であるという意味です。
IV
もっとも、そう簡単に事が運んだわけではないことが、直後のアナニアとサフィラのエピソード(使徒言行録5,1以下)から知られます。
この夫婦は不動産を売却し、「これがその全額です」と言って、しかしじっさいにはその一部を教会に献金しました。それを見抜かれた彼らは、「あなたたちは人間でなく神を欺いた」「神を試みた」と非難されて、次々に息絶えたという悲惨な話しです。――せっかく献金しようとしたのに、ちょっと嘘をついたせいで神罰を受けて死んでしまうなんて!
おそらく高額な献金をする人が共同体の中で発言力を増すという現実があり、そのような立場の人に欺瞞があってはならないという要請があるので、こうした恐ろしい教訓的なエピソードも伝えられているのでしょう。
イエスやパウロと同時代に、死海のほとりで、クムラン教団と呼ばれるグループが共同生活を営んでいました。死海写本から、彼らが用いたであろう『共同体の規律』という巻物が発見されており、そこにこうあります(1QS 6,24-25)。
もし自分たちの中に、故意に財産を偽る者が見出されたら、その者を多数者から1年間分離し、その食物の4分の1の罰が課される。
クムラン教団は参入者や支援者たちの寄進を受けて、かなり裕福であったと推定されています。彼らは防衛のための武器も常備していました。この共同体に参加する者が、財産についてワザと嘘の申告をした場合、その人は正規メンバーの集会から1年間排除され、さらに共同体から支給される食糧も4分の1がカットされるというわけです。食べ物を削られるのは、かなり応えたことでしょう。
V
さて、エルサレム原始教団の相互扶助システムを現代に生かす働きがあります。皆さんご存知の、グラミン銀行が行うマイクロクレジットです。
この銀行の創設者はバングラデシュの経済学者ムハマド・ユヌス氏です。農村部の貧困層を対象に低金利で無担保の融資を、しかも女性たちを対象に行いました。貸し付けは非常に小額です。だから「マイクロクレジット」。しかも銀行の主たる所有者は、借主である女性たちです。「グラミン銀行」の「グラミン」とは「村」を意味する「グラム」から来ているそうです。これは「村銀行」なのです。ユヌス氏とグラミン銀行は2006年、ノーベル平和賞を受けています。
そのユヌス氏の『自伝――貧困なき世界をめざす銀行家』(早川書房、1998年)に、次のような一節があります。
金をめぐって、金のために、金ととともに創設されたマイクロクレジット運動は、その核心部の最も深い根の部分では、金とは全く関連していない…。それは一人ひとりの人間が持つ潜在的な能力が最大限に発揮されるのを支援するものである。…人間の夢を解放し、この星で最も貧しく最も不幸な人たちが尊厳や尊敬、そして生きる手段を獲得するのを助ける道具なのだ。(347頁)
つまり「金」ではなく、「人」を相手にしているのだというわけです。さらにあるサミットで彼が行ったという発言に次のものがあります。
このサミットは経済的差別(ファイナンシアル・アパルトヘイト)の時代に別れを告げることを宣言するものです。このサミットではクレジットがもはやビジネス以上のものであると宣言します。食料と同じように、クレジットも一つの人権なのです。(348頁)
後にグラミン銀行では、物乞いに無利子でお金を貸す事業がなされました。そのさい返却期間はたいへん長く、さらに融資を受ける人に事業を興す義務もないそうです。
VI
どうして、このようなことが可能なのでしょうか? こういう社会の仕組みを支える基盤は何でしょう?
そのことが、今日の聖書箇所の冒頭に書かれていると思います。すなわち
信じた人々の群れは心も思いも一つにしていた。(32節)
岩波版の新約聖書では、ギリシア語により忠実に「信じた者の集団は、心と魂が一つであった」と訳されています(荒井献訳)。「心も思いも」ではなく「心が魂」がひとつだった。そして「すべてを共有する」とは、プラトンやアリストテレス以来、友情や友愛の理想的表現としてよく知られていました。
エルサレム原始教会の場合、この「心と魂が一つ」であることの具体的表れが、「使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ること」だったのでしょう。つまり教会の共同性や活動そのものが、神の「大いなる力」「大いなる恵み」の表れだったわけです。
じつは「心をひとつに」というステッカーを昨日、偶然見かけました。見たのは、宮城県名取市の閖上(ゆりあげ)地区です。仙台平野を流れる名取川の河口にあり、2011年3月11日の大津波で壊滅的な被害を受けました。この地区は海に面した低地で、高台がまったくありません。津波は川を遡上し、かなり奥まで届きました。今は瓦礫も撤去され、かつての町は家の敷地の枠だけが残り、その上に草がぼうぼうに生えています。町そのものが根こそぎにされたのです。
連れていって下さったのは宮城県出身の方たちでした。並んで立っているだけで、故郷を共有する人だけに分かるような深い悲しみが、その方たちにあるように感じられました。急ごしらえで作られた高台の慰霊所に、「心をひとつに!」というステッカーは貼られていました。
でも、どうやって? もうこの町には誰もいないのです。町は消えてしまった。どうやって心をひとつにすればいいのでしょう?
エルサレム原始教会の人々は「心と魂が一つ」だった。「魂」と訳されたギリシア語「プシュケー」のもうひとつの訳語は「命」です。「心と命が一つ」。そして、その「命」が生きている者たちの命だけでなく、亡くなった方々の命でもあるとしたらどうでしょう。生者と死者が一つの心と命でつながることができるとしたら。
そのとき私たちは、例えば政府や財界がめざすいわゆる経済復興とはまた違うレベルで、被災された方々や亡くなられた方々と共に生きることができるようになるかもしれません。