2013.6.16

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「失われた羊」

廣石 望

ダニエル書3,31-33 ; ルカによる福音書15,1-7

I

 有名な「失われた羊」の譬えは、次のような状況で語られたとルカ福音書は物語ります。

 徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄って来た。すると、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」と不平を言いだした(1-2節)。

 食事が問題だったのです。食事は、どの社会においても単なる栄養摂取であることを超えて、象徴的な交わりの表現です。すぐに思い浮かぶのは結婚式の披露宴です。誰を招くか、どこに座ってもらうか、誰にスピーチをお願いするか、何を食べてもらうか、手土産には何を渡すかなど、私たちは細かく気を配ります。

 そのことは聖書の世界でも同じです。聖書に出てくる、幾つかの食事場面をふりかえりながら、イエスが「罪人」と呼ばれた人々と交わりの食卓をもったことの意味を考えてみましょう。

II

 創世記が伝える族長ヤコブをめぐる伝説の中に、義父ラバンとの確執の物語があります。ヤコブはラバンの二人の娘レアとラケルの夫ですが、ラバンから何かにつけて「いちゃもん」をつけられ、財産をめぐっても争いが生じます。ついに婿のヤコブは家族と家畜たちを連れて逃げだすのですが、気づいたラバンはこれを追跡します。そして二人は――ちょっと子どもっぽい感じがしますが――それぞれの「縄張り」の境界線に石塚を立てて和解します。「ヤコブは山の上でいけにえをささげ、一族を招いて食事を共にした。食事の後、彼らは山で一夜を過ごした」(創31,54)。

 つまり食事とは、争いの調停を象徴する行為です。イエスが「罪人」と食事することは、罪人を遮断する社会習慣によって生まれた敵意を乗り越える行為、またそうした社会の価値観に対する対抗行為でもあります。

 宴会での「席順」について、イエスはファリサイ派のある議員宅に招かれたときに、こう教えています。「婚宴に招待されたら、上席に着いてはならない。あなたよりも身分の高い人が招かれており、あなたやその人を招いた人が来て、『この方に席を譲ってください』と言うかもしれない。そのとき、あなたは恥をかいて末席に着くことになる。招待を受けたら、むしろ末席に行って座りなさい。そうすると、あなたを招いた人が来て、『さあ、もっと上席に進んでください』と言うだろう。そのときは、同席の人みんなの前で面目を施すことになる」(ルカ14,8-10)。

 私たちの社会でも、食事の席順は社会的なランクづけを象徴的に表現します。例えば披露宴で親族席は一番後ろ、会社の上司など主賓ランクの人々は一番前と相場が決まっています。こうしたルールを守らないと「非常識」と非難される。でもイエスは、なるべく上座に座るなと言うのです。

 金持ちと貧乏人ラザロの譬えを、ご存知でしょうか? 大金持ちの男が毎晩ランプを灯して遊び暮らした末に死んで、陰府に降った一方で、極貧者ラザロは孤独に死んだあと天使たちによって父祖アブラハムのもとに運び上げられた。そして陰府で拷問を受けている金持ちが目を上げると、「アブラハムとそのふところにいるラザロとが、はるかに見えた」(ルカ16,23――口語訳)。この箇所は、新共同訳では「宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが」となっています。アブラハムの「ふところ」というギリシア語表現が分かりにくいので、説明的に訳しているのです。古代では椅子とテーブルを使わず、寝椅子の上に半身に横たわって食事をしました。そのさいU字型に寝椅子を並べるのですが、一番奥まったところが「招待者」の席、そのすぐ手前が「主賓」でした。そして食堂の入口から見れば、招待者のちょうど「ふところ」の位置に主賓の頭が見えたのです。つまり極貧者ラザロは、族長アブラハムが催す天の宴の「主賓」として招かれたという意味なのです。

 さて先ほどのルカ福音書の文脈で、誰を食事に招くべきかについて、イエスはこう言います。「昼食や夕食の会を催すときには、友人も、兄弟も、親類も、近所の金持ちも呼んではならない。…むしろ、貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい。そうすれば…あなたは幸いだ。正しい者たちが復活するとき、あなたは報われる」(ルカ14,12-14)。

 このイエスの教えに従って、結婚式の披露宴に招く客を選んでいる人を私は知りません。先ほど申し上げたように、食事は社会秩序が象徴的に表現される場所です。イエスが「罪人」たちを招いたとき、彼は食事という場を、当時の社会秩序を逆転させるかたちで用いたのです。

III

 そして食事は、何よりも親密な交流の場です。

 最期の晩餐でイエスは、「パンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて言った、〈取りなさい。これは私の体である〉」(マルコ14,22)。日本でも「同じ釜の飯を食う」と言います。この晩餐の場面は、本当にこの上ない交わりの表現です。食べ物を分かち合うことで、〈私と君たちは一つだ〉と言うのですから。

 それだけいっそう、その親密さを裏切る行為の異様さもくっきり浮かび上がります。「あなたがたのうちの一人で、私と一緒に食事をしている者が、私を裏切ろうとしている」(マルコ14,18)。

 原始キリスト教がスタートして後、シリアのアンティオキアに重要な教会ができました。指導者はバルナバ、その下でパウロが働いていました。そしてこの教会には、ユダヤ人信徒と異邦人信徒が「交わりの食卓」をもつという習慣がありました。ところが、その教会をたまたま訪問していたペトロは、「ヤコブのもとからある人々が来るまでは、異邦人と一緒に食事をしていたのに、彼らがやって来ると、割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとしだした」と後にパウロが報告しています(ガラ2,12)。バルナバその他もこれに倣ったというのは、反ローマ感情とユダヤ民族主義が高揚するパレスティナのエルサレム教会に配慮して、アンティオキアでも異邦人との共同の食事を「一時的に棚上げ」にすることにしたのだろう、と学者たちは推定しています。

 ユダヤ人にとって、食事は重要なアイデンティティ・マーカーの一つです。異教徒とは基本的には食事ができません。ディアスポラで暮らす律法を守るユダヤ人が、異教徒と食卓をともにするパターンには、自分で調理したものを持ちよって同じテーブルで食べるものから、別々のテーブルで食べるものまでいろいろなものがありました。アンティオキア教会では、いったいどのような食事式――聖餐式のことです――が祝われていたのでしょうか。詳細は不明ですが、おそらく多くのユダヤ人信徒は、豚肉は当然ながら、異教祭儀のお下がりの肉や血抜きのしていない肉などは、とうてい食べられなかったと思います。

 ところでパウロは、ペトロとその他のアンティオキア教会のメンバーのやり方を指して、「福音の真理にのっとってまっすぐ歩いていない」(ガラ2,14)と評します。食事の仕方、誰とどのように食べるかが「福音の真理」を表現する場所になりうるのです。

 この点は、イエスの場合も同じです。「徴税人や罪人」とは宗教的に穢れた者たちです。その人々との食事は自らを穢す行為なのです。この社会通念を「ファリサイ派の人々や律法学者たち」は代弁しています。

 今でもインドにゆくと、上位カーストの人たちはダリット(アウトカースト)の人々とはいっしょに食事をしないのが普通ですし、ダリットの人たちが出したチャイは飲めませんし、握手もしません。私の故郷の教会で、父が若かったころ、被差別部落出身の信徒さんが握った〈おにぎり〉を食べるかどうかで皆で考え込んだ、というエピソードをご紹介したことがありますね。差別は、それほどきついものなのです。

 イエスが被差別者といっしょに食事をした、重い皮膚病の人シモンの家で客になり食事までした(マルコ14,3参照)というのは、しかし単なる社会福祉活動ではありません。

 彼は世の終わりに神が催してくださる宴の前夜祭を祝っているのです。

 あなたがたは、アブラハム、イサク、ヤコブやすべての預言者たちが神の国に入っているのに、自分は外に投げ出されることになり、そこで泣きわめいて歯ぎしりする。そして人々は、東から西から、また南から北から来て、神の国で宴会の席に着く。そこでは、後の人で先になる者があり、先の人で後になる者もある。(ルカ13,28-30)

 イエスにとって「神の国」とは喜びの宴です。そこには大昔の族長たちと預言者たちがいます。そしてそこに「東から西から」つまり異教徒たちが、また「罪人」として失われていた人々が参加する。その神の国の到来はもう始まった。イエスが行った罪人たちとの食事は、その喜びの宴の先取りでした。

IV

 その上で、イエスは羊の譬えを語ります。

あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、
九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。
そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰り、
友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。(ルカ15,4-6)

 「失われた羊」とは、イスラエル民族の中で、「罪人」というレッテルを貼られることで社会から失われた共同体メンバーのことです。イエスは、「イスラエルの家の失われた羊のところに行きなさい」といって弟子たちを派遣します(マタイ10,6)。また徴税人ザアカイのもとを訪ねて、「人の子は、失われたものを捜して救うために来た」と言います(ルカ19,10)。

 羊の譬えの中心は失われていた者が再び見出され、仲間たちのもとに戻ることの喜びです。ここにはイエスの神がどのような者であるかが、非常に印象的な仕方で表れています。この神は裁く神ではなく、ひたすら集め、ひたすら探す神です。失われていたものを見つけるまで、歩き続ける神です。この神の働きをイエスは体現しました。

V

 私たちの教会の婦人会であるガリラヤ会が応援している桜本教会は、長年いわゆるホームレスの方々への支援を行ってきました。その桜本教会の伝道師である鈴木文治先生から、最近のご著書『ホームレス障害者――彼らを路上に追いやるもの』(日本評論社、2012年)をいただいています。そこには桜本教会がどのようにしてホームレスの方々を支援してきたかが書いてあります。その中から、岩本国夫さん(愛称「クニさん」)の事例をご紹介しましょう。

 クニさんは2011年秋、午前3時半ころ、川崎駅近くの横断歩道を信号無視で渡っていたとき、バイクにはねられて亡くなりました。こんな夜中に何をしていたのかというと、空き缶拾いをしていたのだそうです。

 彼は地方の出身で、中学を卒業後、漁師であった親の仕事をしばらく手伝ったのち上京し、工場や飯場を転々としましたが、最終的にホームレスとして川崎に落ち着いたのだそうです。クニさんは生まれつき難聴でした。お母さまも聾唖者で、会話ができなかったそうです。さらに彼には知的障害があり、文字が読めませんでした。「神さまありがとうございます、アーメン」というだけのお祈りすら、何度練習しても言えなかった。教会のお手伝いをしても、かえって足手まといになることも多く、結局スリッパの出し入れをお手伝いなさったとのことです。

 クニさんに親しい友人はいませんでした。そしてドヤにいることを好まず、暗いうちから外にいて、一日中公園に座っていたそうです。

 そんな岩本さんが、72歳で洗礼を受けました。以下、引用です。

洗礼を受けたばかりのクニさんは、立ってみなにお辞儀をし、「仲間にしてください、仲間にしてください」と繰り返した。顔の表情が、その喜びを表していた。72年間の最後の2年間を教会の仲間と過ごしたクニさんは、人生の最後にひとりぽっちから解放されたのだ(17頁)。

 「仲間にして下さい、仲間にして下さい」――これは、これまで社会から排除されて苦しみに満ちた人生を歩んできた人が、主イエスの招きに応えた言葉ですね。

 鈴木牧師は、日本の教会の現状に対する鋭い批判を込めて、「キリストの福音の対象は、〈罪人と徴税人〉であり、〈障害者と病人〉であり、〈孤児と寡婦〉であり、〈レプタ銀貨2枚の極貧の女〉である。評価されることも褒められることもなく、むしろ蔑みと差別・排除の対象となっている人々だ。しかし、キリストはこの人たちを招き、この人たちに福音を説いた…。この世の力ある者、学者や裕福な者はむしろ低くみなされ、糾弾されたのではなかったか」と書いておられます(120頁)。

 私たちの教会はリッチな町にありますが、罪赦されて、このイエス・キリストに従いたいと願います。

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