私たちはおよそ2ヶ月前にクリスマスを共に祝いました。1ヶ月ほど前の1月20日は顕現後最終主日で、その後は受難週とイースターを軸にして、巡り来る聖日を、その前後で数えています。そして、今日は受難節の第3主日にあたります。レントと呼ばれる受難節は3週間前の2月13日水から始まっています。ちなみに、今年の受難週は3月24日で、イースターは3月31日になります。今年のようにクリスマスとイースターが近づいているのは太陽暦に倣って12月25日と決まっているクリスマスに対して、太陰暦に倣って、春分の後の最初の満月に続く安息日をイースターとする、数え方の違いによることから起きています。救い主のご降誕、受難の出来事、それに続く復活の喜びは分けて見るべきものであるよりは、3つを合わせて見ることの方が、聖書が語る、確かな救いの出来事に、私たちも与る近道であるように思います。実際のところ、聖書を始め、キリスト教では随所で、降誕、受難、復活を1つにして救いの真髄に与る道を私たちに伝えているのです。
先ほどご一緒に歌った讃美歌183番は、1861年キャロライン・ノエルと言う女流詩人が、本日、取り上げた聖書:フィリピの信徒への手紙2章6節以下に載せられた初代教会の「キリスト賛歌」に触発されて造られた歌詞に、同じくイギリスの名音楽家・ヴォーン・ウィリアムスが曲をつけて出来た讃美歌です。日本では余り馴染みのない讃美歌であるかも知れません。第II編13番で初めて日本に紹介されたので、日本ではまだ、歴史が浅いことがその理由に挙げられるかも知れません。しかし、世界では良く知れ渡った讃美歌です。何よりも病弱であった女流歌人のノエルによって、キリストの受肉と降誕、受難を通して人類の罪の贖いと勝利が力強く歌われた讃美歌です。そして、天上のもの、地上のものがすべて「イエスは主(救い主)であると告白する、スケールの大きなメッセージにヴォーン・ウイリアムスが感動して、彼女のために作曲した讃美歌でした。私たちの教会でも洗礼式に際して思い起こされる信仰告白は、この最も古いキリスト賛歌であるだけに、ノエルの歌詞とヴォーン・ウイリアムスによるこの讃美歌183番の素晴らしさが良く分るのではないでしょうか。
讃美歌21―183番では4節になっておりますが、元々は5節あり、第II編13番の終わり(第5節)では:
わがすべてを主に捧げ、 罪と咎にうち勝ちて
悩みの日に主を覚え, みこころにぞ、そいまつらん。
とあります。
1998年6月21日の高井戸教会で、この讃美歌が礼拝説教のあとに歌われた時、奏楽者であった吉田 實先生は第3節の途中でペダルが弾けなくなり、4節目では右手だけの伴奏になり、それでも、礼拝の後奏まで、勤めを果たされた後、ついに立ち上がることも出来なくなりました。これが、教会での最後の奉仕になったのがこの讃美歌でした。終わりまで辛うじて会衆と一緒に賛美できたのは、この讃美歌が素晴らしかったからである、とのお言葉を、後に病床で伺いましたが、既に結腸ガンが肺がんにまで達していて、2ヶ月ほどの闘病のあと、先生は天に召されました。そうしたこともあって、この讃美歌は私には忘れ難い讃美歌になりました。
主のご降誕、受難、復活が1つになっていることの恵みをこの讃美歌は歌っておりますが、私はこの3つが1つに重なるメッセージの素晴らしさを、1945年とその翌年のクリスマスに体験できたようにおもいます。クリスマスと言えば、私たちの目は、およそ2000年前(2012年前)に起きたベツレヘムに注がれます。空に輝いた大きな星、その星に導かれて遥か東方からベツレヘムにやって来た博士たち、馬小屋に眠る幼子と聖家族、その枕元に天から降った天使たちの輝いた姿と賛美の歌、それを見守る羊飼い達の群れ、これらは、どれもクリスマスには欠かせない、心温まる情景です。こうしたクリスマス物語は大人を楽しませてくれるのは勿論の事ですが、子供達がこの時節になると、心待ちにしている物語です。教会に集う大人たちも、子供の頃から慣れ親しんで来たメールヒエン(物語)であるからです。こうした情景が、ただ単に聖書の物語であるばかりでなく、今、目の前に繰り広げられている。戦争が終わって初めて迎えるクリスマス、それは、二度と味わえない、ある意味ではベツレヘムの聖家族の姿に最も近いクリススであったように思います。東京は一面焼け野原。荒涼とした焼け跡に、拾い集めてきたトタン屋根を掛けて、半分防空壕のような洞穴に大勢の人たちが雨露を偲いでおりました。代々木上原の駅前から富ヶ谷にかけても、こうした家とも言えない掘っ立て小屋が沢山あったのです。私は12月第3日曜日の午後4時から教会学校のクリスマス礼拝と祝会に出席するために参宮橋から、こうした焼け跡とアズマヤを見ながら歩いて行きました。この時の思い出は一生涯忘れられないものとなりました。教会は幸い戦災に遭わなかったので、しっかりとした建物が焼け跡のバラックと不釣合いな程、子供心にも頼もしく見えました。しかし、中に入ると、戦争の傷跡が残っていました。ストーブはあっても、燃やすものがなかったので、オーバーを着たまま礼拝と祝会が始まりました。ベツレヘムの馬小屋で神の御子がお生まれになった、と言うお話はピッタリそのまま、私たちの焼け跡に重なって聞こえました。周りが真っ暗ななかで、ローソクの光が、天から射してきた天使の輝きにピッタリでした。オルガンに合せて歌ったグローリア・イン・エクセルシス・デオも、まるで自分が天使になってイエス様を賛美しているような感激をもって歌いました。クリスマスはこのような立派な建物と、周りが明るい中で持たれるよりは、あの、焼け跡と暗闇のなかで幼子をお迎えした方が、確かに聖書の情景と1つになれたような気がします。後にも、先にも、このようなクリスマスはもう無かったので、本当に感激的な、また、貧しさの中にありながら、最も恵まれた降誕節を迎えることが出来ました。あの、聖書のお話は、馬小屋のような状況に身を置いて、野宿に近い生活へ追いやられた所で、最も感動的な拝観を幼な子に捧げることが許され、また、同じ状況に追いやられた人々と一緒に、御子の御降誕を喜ぶことが出来たように思います。それは私が9歳の出来事でした。終わりにサンタクロースから貰ったプレゼントはミカン1つでした。でも、それがどんなに貴重なもので、中々手に入らない、あの戦後の混乱状態の中でしたから、東方から来た3人の博士の一人が幼な子に謁見して捧げた黄金のようにさえ、ミカンは見えたのです。(焼け跡の中で迎えるクリスマスを体験した人々にとって、平和憲法を改悪しようとするような野望が起こせる筈がありません。)その翌年は喪中のクリスマスとなりました。1946年12月17日に2歳年下の妹が天に召されたのです。誰もが苦しんでいた食糧難から、栄養失調で妹は8歳の生涯を閉じました。悲しみの中で迎えたクリスマスは実に恵み豊かなものとなりました。それは、悲しみの中に篭るのではなく、目を馬小屋に転じて、お生まれになった幼子に向けることによって与えられた希望の光、それがクリスマスにはあったからです。暗い世の中に天の光を届けてくれました。そして、私たちも幼子が遣わされた国へ帰る希望がクリスマスであることを10歳の私でも悟らせて下さったのであります。
聖書のクリスマス物語には説明は不要です。あの幼な子イエスと同じ状況に身を置くだけで、輝く天の光が分りますし、命の危険を潜り抜けて、生きながらえて共に新しい命の誕生を喜び祝うことができることを、1945年とその翌年のクリスマスが教えてくれました。今も、世界のどこかで、同じような状況で、クリスマスと受難節を迎え、あの輝きと感激に与っている人々がおられるに違いありません。実は、聖書が語るクリスマス物語には焼け跡と同じような悲惨な出来事を土台にして、天から頂いた輝く宝物が語られていることに、改めて感謝したいと思います。マタイ福音書で言えば、ヘロデ大王が幼子の命を狙い、奪おうとするような暗い世の中が描かれています。そのような中にあっても小さな命が守られているなかに私たちは救い見出します。また、ルカ福音書には、身重の婦人に向かってまで、税金を取り立てるため、人口調査の命令を下し、故郷のベツレヘムまでナザレからおよそ200キロを越えて歩かねばならなかった暗闇が物語の土台になっています。ここにも権力者が民衆を収奪しようとする暗闇があるなかで、幼子は守られて誕生しています。
クリスマスの聖書物語と並んで、私たちにはヨハネ福音書のロゴス賛歌(1:1-18)と、本日、テキストに挙げましたキリスト賛歌(フィリピ2:6-11)も、世の闇の中に向かって救世主が世に来られた出来事とその意味を伝えている、又とない使信です。
ヨハネ福音書も、またパウロの手紙も主の到来を、乱れた世の混乱の中で神が肉の姿を纏った(受肉した)御独り子がこの世を救うために世に遣わされた出来事として語られています。
「言は自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。言は肉となってわたしたちの間に宿られた(14節)。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。・・・ わたしたちは皆、この方の満ち溢れる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。律法はモーセを通して与えられたが、恵みと眞理はイエス・キリストを通して現われたからである。いまだかって神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。」
②フィリピの信徒への手紙2章1-11節は先程ご一緒に目を通したところです。
ここでは前半の1節から5節までで、フィリピの教会が抱えている問題への解決を示唆するパウロの勧めが述べられています。実はこの問題点こそは、私たちが救い主の到来を必要としている、心貧しい状態を表しています。わたしたちが同じ思いになることは何と難しいことであったでしょうか。戦争や争い、敵対から殺害にいたる心貧しい生き方から、どのようにしたら、救い出されるのでしょう。これこそ、私たちが救い主を待ち焦がれる負の暗闇であります。2章の冒頭からパウロは、フィリピの信徒がキリストによって贖われる以前の貧しさを列挙しています。:すなわち、愛の欠如、交わりの欠乏、霊による一致が出来ていないこと、それを3節では利己心や党派心で動いて来た有様を述べ、少しでもキリストに立ち返るなら、その反対の心をもって、それはキリストの豊かさに与ることですが、キリストによる励まし、愛の慰め、霊による交わり、慈しみと憐れみの心をもって、同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合せて思いを1つにすること。そのために、パウロが働いて来たことを回顧させ、結びとして3つの勧告をもって前半を閉じています。
先ず第1に、「へりくだって互いに相手を自分より優れた者と考えること。」
第2に、「めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払うこと。」
第3に、「キリストに倣う生き方を心がけること。」
キリストがこの世に来て下さったのは先に挙げたわたしたちの貧しい心を豊かにするためでした。そのためにパウロが掲げた3つの勧めの内、第一に掲げたことは、ただ単に道徳的勧めではありません。「へりくだって」という言葉がキリストに倣う生き方へと結びついている所に、主の御降誕の意味が込められているのです。そのことへのを理解を促すために、パウロは教会で互いに捧げてきた、最古の讃美歌:「キリスト賛歌」(2:6-11)を引用しています。このキリスト賛歌は人々の一致への勧告を基礎付けるために引用しているので、主題はむしろ諸問題の克服にありました。それは自分を無にして相手のことを配慮すると言う、実践的な勤めです。己を無にすると言うことは、キリストがこの世に来られたそのあり方に倣う、と言うことです。ここで、「最古のキリスト賛歌」が引用されるのです。すなわち、キリストは神の性質、姿、形を持っておられたにもかかわらず、神と同じであることに固執せず、そうした自分の性質を全く無にして、人間の姿になられたこと、それも僕という仕えられるためではなく、仕えるために、しかも、十字架の死に至るまで、この仕える従順さを貫かれたと言うこと。クリスマスとはそういう仕方で御子がこの世に来て下さった事であり、ここに神の愛が表されています。只今6節から8節までを見て参りましたが、人々が「同じ思いとなる」ためにはこのキリスト賛歌の8節までで十分であったと考えられます。それは、神であられた御子が「へりくだって」ご自分を無にされた、その生き方に倣って、互いにへりくだることによって、同じ思いになることが出来る。それがパウロの勧めている所でした。しかし、このキリスト賛歌には、このあと、神による執り成しの勤めが9節から11節にかけて歌われています。この部分はフィリピの教会が抱えている問題と直接には関わっていないのですが、賛歌の続きをそのままパウロは載せています。それは、私たちにとって、大変有難いことでした。フィリピ教会が抱えていた固有の問題の解決方法を越え出て、初代教会の信仰告白が遺されているからです。9節から11節にかけて、キリスト賛歌の後半は、神による執り成しの勤めが歌われています。それはご自分を無にされ、死に至るまで従順であった御子を神が高く挙げ、元の姿を回復させると共に、天上のもの、地上のもの、地下のもののあらゆる被造物が御子を拝し、声を合せて「イエス・キリストは主(キューリオス:救い主)」であると告白して、父なる神に栄光を帰するためである、と言う歌で結ばれています。
ここには、キリストご降誕の出来事と十字架の意味が余すところなく示されています。御子のへりくだりに倣って、互いにへりくだり、仕え合う人々は交わりを回復し、その救われた人々の交わりの間で、「イエス・キリストは主である」との告白が御子と、御子を遣わして下さった神に捧げられるのです。代々木上原教会の交わりも正に、このような恵みによって生まれ、生かされてきた集団です。
フィリピ書にパウロが残した初代教会のキリスト賛歌はパウロ自身の創作ではない、とする根拠は何処にあるのでしょうか。まず、ここでしか用いられていない言葉、たとえば「固執する(ハルパグモン)」など、何が何でも手放さない、力ずくで手に入れたもの、を意味する言葉は、これが否定形で用いられたとしてもパウロらしくありません。それ以上に、内容上もパウロであれば、御独り子の降下と服従を語る場合には、それは人類を救う為であると言う救済論を伴ってパウロの手紙では語られるのに、ここでは、それが見受けられません。キリスト賛歌の前に、パウロが批判していた人々の混乱状態を止めるための、救世主の降下と無化を結びつけて初めて、それが人類救済と結びつけられていると言う意味では、救済論が生きてくるのですが、それは1節から5節までを繋げることによって、御降誕の救済論的意味として、パウロが補っているからです。
また、御子の死に至るまでの従順も、それだけでは、パウロには不十分に聞こえました。そこで「十字架の死に至るまで従順であった」を付け加えたのはパウロでした。日本語で読んでも、この一文は前の「従順」を説明する付加文であることが分ります。これを加えることによって、イエスの死は、ただの殉教死ではないと言っているのです。十字架という歴史上の具体的な出来事と、御子の死による人類救済が結びついていることを、パウロは初代教会が作ったキリスト賛歌に付け加えているのです。
丁度1年前の2月14日に、KYさんが天に召されました。廣石 望先生が今年と同じように、インドへ学生を引率してお留守であったために、教会の皆様のご協力を頂きながら、病床のお見舞いから葬儀などを私も担当させて頂きました。このことを通して、ご主人のKさん、ご長男のKさん、ご長女の美保さん方が、良き伴侶であり、お母さまであったYさんを、お見送りした後も、この教会の交わりにご参加下さっていることに対して、Yさんと神様に心から感謝しています。不幸と思える出来事を介して、新たな交わりの光が見えているのは、さながら、クリスマスと十字架が指し示す光を私たちに天上から照らしているように思います。Kさんご一家はこの1年間に「ありがとう」と題したミニ・パンフレットを、Yさんがお遺しになった文章を中心にして、お見送りの前後に起きたこと、そのお気持ちを故人に向かって感謝の心を込めてお書きになっておられます。昨年のクリスマスにその5巻目を頂きましたが、その中でYさんは「クリスマスは三度楽しむ」という、以前にお書きになったエッセイが載せられています。子供の頃楽しみにしていたサンタからのプレゼントを頂くことに心トキメかせていた第一のクリスマスから、今度は母親となり、また、祖母になってプレゼントを贈る側の心のトキメキを第二のクリスマスとしてお書きになっています。そして三度目のクリスマスの楽しみは、このような恵みを備えて下さった天からの贈り物への感謝と、ご自分をも大切に受け止めて下さる豊かな交わりに感謝を述べて閉じておられます。結びでは、ご自身の言葉でこう述べておられます:「みんながみんなプラスのストロークを受け止める仕組み」これがクリスマスである、と言うことです。
私たちが、こうして日曜日ごとに集められるのも、神様がクリスマスと十字架を通して私たちに備えて下さった恵みを思い起こし、感謝を捧げ、救いの喜びに与るためであり、「みんながみんなプラスのストローク」に与って生きることではないでしょうか。キリストによる励まし、愛の慰め、霊による交わり、慈しみと憐れみの心をもって同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、キリストによって1つ思いに結ばれた交わりは、たとい固体の死を迎えても生き続けます。そこには十字架の恵みがあるからです。自分の死も、親しい人の死をも受容して、キリストの復活に望みをおくことが許されるので「プラスのストローク」が働き続けているのです。そもそも私たちのキリスト教会はイエス・キリストの復活を記念する礼拝から始まっているのです。KYさんがいみじくも、「クリスマスは三度楽しむ」と言われたように、その三度目は今も毎週ずっと、続いているように思います。
幼子のご降誕と主イエス・キリストが私たちに与えてくださった出来事、さらに、その恵みを覚えて、わたしたちが為すべき勤めについて、コリントの信徒への手紙II9章9節で、パウロはこう述べています。
「あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。」
ここにも、主のご降誕と受難・十字架によって、わたしたちにもたらされた恵みが現されています。
今年も主の受難を覚える時節を迎えました。ご降誕と十字架を通して、私たちのために貧しくなってくださった主の恵みに感謝し、その豊かさを多くの人々と分かち合う中で、復活節の喜びに与りたいと祈りを合わせたく思います。
祈祷:
この世を愛するあまり、御独り子をこの世にお遣わし下さった父なる神様。
利己心や、虚栄、党派心など、暗い心に閉ざされた私たちを、主のご降誕から最後の十字架の死を通して、互いに仕え合う奉仕へと私たちを導いて下さったことを覚えて、心から感謝いたします。どうか、贖われた者として主に在る交わりを保ちながら、あなたの御心に適った勤めを果たして行く者とならせてください。