2012.12.24

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「まことの神」

廣石 望

フィリピの信徒への手紙2,6-11

I

 教会は、12月25日に救い主イエス・キリストの降誕を祝います。クリスマスの祝日はこの日を含めて前後3日あり、1月6日(公現祭)まで祝いの季節が続きます。

 しかし新約聖書に、キリストが何月何日に生まれたかは書かれていません。ユダヤ人には誕生日を祝う習慣がありませんでした。これを継承した最初期のキリスト教徒も、異教徒たちが誕生祝いに〈どんちゃん騒ぎ〉するのを嫌い、むしろ故人の命日を祝いました。

 聖書で誕生日を祝うのは、ファラオなどの王たち、例えばガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスです。アンティパスは自分の誕生日に、とりまきを招いて王宮で歌あり踊りありの宴会を開きましたが、その座興のように洗礼者ヨハネを斬首させています(マルコ6,21以下)。最初期のキリスト教で、誕生祭が嫌われていたようすがよく伝わってきます。

 それでも、やがてキリストの誕生祭が現在あるクリスマスの時期に祝われるようになりました。もっともそれはようやく紀元4世紀のこと。キリスト教は、最初の300年間クリスマスなしでやってきたのです。4世紀には、しかし、東方では1月6日(オシリス祭儀の祝日)、西方では12月25日(太陽神祭儀の祝日)に別々に祝われていた誕生祭が、しだいに統合されました。

 その背景には、帝国による公認を受けてキリスト教に改宗はしたものの、あいかわらず異教の祭りに参加し続ける自称「キリスト教徒たち」を教会の礼拝に連れ戻す、という教会指導者たちの判断があったと思われます。

 戦後の日本で、クリスマスの習慣が受け入れられたものの、教会の外側で人々が騒ぐのは、かつてのキリスト教会が吸収した「異教的」側面が、再び教会の外側で噴出しているのかもしれませんね。もっともこの現象は、日本のような非キリスト教国に限らず、伝統的なキリスト教国でも似たりよったりなのですけれど。

 

II

 さて、パウロがフィリピのキリスト教徒に宛てて書簡を著したころ、キリスト誕生祭はもちろん祝われていませんでした。それでも今日の聖書箇所は、当時の教会で歌われていた讃美歌が引用されているだろうという学説があります。そしてその内容は、この聖夜にこそ読まれるにふさわしいものです。

 直前の文脈でパウロは、信徒たちに「同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせる」よう、また「たがいに相手を自分よりも優れた者と考え」「めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払う」よう勧めています(2,2以下)。つまり人間相互の倫理的なふるまいについて勧告を述べるという文脈です。

 そして「それはキリストイエスにも見られるものです」という一文を介して、今日のテキストが始まります。すると人間相互のあるべきふるまいを基礎づけるものとして、キリストのふるまいが引き合いに出されていると見てよいでしょう。

 

III

 本日の礼拝順序の裏面に印刷してありますように、この賛歌は前半と後半の二部に分かれます。前半では「神の子」キリストの身分放棄、つまり高い身分から低い身分への下降が歌われ、他方で後半は、神がキリストを天上界の頂点に引き上げた、つまり下方から上方への垂直移動が歌われます。

 前半から見てみましょう。日本語訳では必ずしもはっきりしませんが、ギリシア語原文を見ると、定動詞は三つです。それぞれに分詞形による説明が付記されています。

 第一の定動詞は、キリストは「神と等しくあること」に「固執しようとは思わなかった」というものです(6節)。これに〈自らは神の身分にあったのに〉という説明がついています。当時、「神と等しくある」ことを激しく求めたのはローマ皇帝たちでした。そのモデルは300年前のアレクサンドロス大王です。神に等しい身分は、武力によって奪いとるべきものと見なされたのです。――この点で、キリストのふるまいは真逆です。彼は初めから神であるのに、そのことを略奪物とは見なさなかったのですから。この発言は、皇帝神学に対するはっきりしたアンチテーゼであると思います。

 二番目の定動詞は、キリストが「自分を無にした」(原文は「自らを空っぽにした」)というものです。これに「僕の身分になり/人と同じ者になり/人間の姿で現れ」と詳細な説明がついています(7節)。要するにキリストは自らの高い身分を放棄することで、人間になったと言われています。古代地中海世界には、「名誉」を重んじる気風が社会の上流階級にゆきわたっていました。権力者は庇護者(パトロン)として多くの庇護民たち(クリエンテース)に利益を供与することで、自分に対する崇拝と忠誠を期待できたのです。これは不文律の社会的な義務関係です。その構造の頂点に、再びローマ皇帝がいました。――これに対してキリストは、高い身分から自ら降りることによって、身分と名誉を放棄した。この神は、世間の常識とは正反対のことをする、という意味なのでしょう。

 最後の第三の定動詞は、「へりくだった」(原文「自らを卑しいものにした」)です。しかも「死/十字架の死」に至るまでと但し書きがついています(8節)。十字架刑は、ローマ市民権をもつ者には適用が禁じられていました。市民権をもたない属州民や奴隷がきわめて重大な罪を犯した場合に、見せしめとして拷問の末にいびり殺すための処刑法だったのです。キリストと信じられるに至ったイエスは、この処刑法で殺されています。つまり神に等しい神の子は、人になることで高貴な身分を放棄したのみならず、人間として恥辱と卑賤の極みにある死を死にました。

 

IV

 そのさい、イエスの磔刑を目撃した人々には決して見えなかった特別な評価が、この賛歌には書きとめられています。「従順であった」(8節)という一言です。おそらく神に対する従順であり、その内容はキリストの生涯そのものだと思います。彼は社会の片隅に追いやられた人々のもとに行って病人を癒し、障がいを引き起こす悪霊を追い払い、穢れているとされた人々の家に泊まり…、そうして人々に神の愛を伝えました。それでも人々が最後に見たイエスは十字架にかけられ、神に呪われた一人のペテン師でした。

 では、この賛歌を歌った人々は、なぜそこに〈神への従順〉を見てとることができたのでしょう? それは賛歌の後半を見れば分かります。

 後半の定動詞は二つ、その第一は「高く上げた」です。神がそうしたと言われています。これは上向きの垂直移動です。冥界の底から地上界を通過して天上界の頂点に、つまり全宇宙の支配者へと昇り詰める上昇です。お気づきのように、これはキリスト復活への信仰の表現です。

 第二の動詞は、神がキリストに「名を与えた」、しかも「すべての名に優る名」をそうしたとあります。その内容は、これに続く目的節、「こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名に膝まづき、すべての舌が、〈イエス・キリストは主である〉と公に宣べる」ために、という部分を見れば分かります(9-11節)。キリストが受けた「名」とは「主/キュリオス」、すなわち旧約聖書のギリシア語訳(『七十人訳聖書』)でヘブライ語の神名を訳すために用いられた称号です。すなわちキリストこそが神だという意味です。

 

V

 賛歌の末尾に「父である神をたたえるのである」(11節末)とありますが、原文は「父なる神の栄光へと」という前置詞句です。これは神の子の卑賤と高挙の両プロセスの初めから終わりまで、すべてが「父なる神の栄光」を実現するためのものであったという意味です。この全プロセスの視野の中では、恥辱に満ちた十字架の死もまた神の御手の中にあります。

 ではこの歌は、全体として、神について何を表現しているでしょうか? おそらく以下の三つのことは言えると思います。

 ひとつは、人を救うことができるのは――神になろうと欲する皇帝ではなく――まことの神のみである。

 ふたつめは、人を救うことができるのは、最も卑しい身分の人になった神だけである。

 そして最後に、最も低きに降る神こそがまことの神である。

 

 この神の誕生を祝うのが、キリスト誕生祭の本来の趣旨であってしかるべきです。

 
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