2012.7.8

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「信仰の追認識」

関田 寛雄

創世記15,4-6 ; ヨハネによる福音書4,46-54

 

 このたびはお導きによりまして代々木上原教会の礼拝に参加することができ、兄弟姉妹とともに礼拝を守ることができる光栄を感謝しております。

 個人的なことで恐縮ですが、私は代々木上原教会とは学生時代に深いかかわりを持たせていただきました。当時は赤岩栄先生でした。信仰上の問題を抱え、迷い続ける神学生であった私は、赤岩先生の書かれた「私はイエスを裏切らない」や「永遠の探求」という書物に本当に刺激されまして、何度かこの教会にうかがったことがあります。

 最初にうかがった時に玄関で迎えてくださったのは善野碩之助先生でした。今川崎で百歳近いお歳を迎えていらっしゃいますがお元気です。最初の礼拝で私の右に座っておられたのが、今思いますと椎名麟三さんでした。萬岳楼という箱根の旅館での修養会に3回も参加いたしました。赤岩先生の「指」の愛読者でもありました。椎名麟三さんとも車座になって談合したことが何度もありました。なつかしい思いがいたします。

 そういう教会に招かれましたことはまことにうれしいことですが、先ほどのお祈りにありましたように、今、羊飼いがいらっしゃらない。それは大変悲しい、寂しい、つらいことです。けれどもそういう時にこそ、まことの羊飼いであるイエスキリストをしっかり仰ぎ見るように導かれているのではないか。教会とは何であるか、牧師とは何であるかということをしみじみと学ぶ、ある意味では信徒の信仰の成長の時ではなかろうか、そんなふうに思います。よき羊飼いが与えられることを心からお祈り申し上げますが、どうぞこの期間をそのような意味で、決して無為に過ごすことなく、むしろまことの羊飼いを仰ぎ見る実り多きときとして、過ごしていただくことを心からお願いいたします。

 

 今日の説教に「信仰の追認識」というむつかしい題をつけてしまいまして、今日初めてこの教会においでになった方、あるいは今、道を求めていらっしゃる方にとりましては、つまずきになるような題で申し訳ございません。簡単に申しますと、信仰の真理というものは後からわかってくるよ、ということなのです。信仰の奥義というものは、あとからあとからわかってくるものだよ、ということを今日お話したいと思います。

 聖書の物語に沿ってお話しいたしますので、もう一度ヨハネによる福音書4章をお開きいただきたいと思います。イエス様がバプテスマのヨハネの集団から訣別してガリラヤに移ってこられた。それはおそらくバプテスマのヨハネの運動の方向性と、イエス様の方向性が違ってくる、ということだったのでしょう。このカナという所は、ヨハネ福音書2章において、水をぶどう酒に変えるというイエス様の奇跡が行われたところです。

 その近くのカファルナウムに王の役人がいて、おそらくイエス様の奇跡のお力を伝え聞いたのでしょう、イエス様がガリラヤにおいでになるということを知りカファルナウムからやってまいりました。ぜひとも自分の息子の病気を癒してもらいたい、そのためにカファルナウムまできていただけませんか、というのです。

 初めて会う先生に自分の居るところまでおいでいただきたい、というちょっとあつかましいお願いですが、父親としては切なる抑えがたい思いでイエス様のところまで来たのだと思うのです。ところがその男に対してイエス様はかなり厳しい言葉をのべられます。「あなた方はしるしや不思議なわざを見なければ決して信じない」と。これはイエス様が今まで数多く経験されたことなのだろうと思います。

 もしイエスが天からのメシアであるならば奇跡を行ってみろ、不思議なことをやってみろ、それができたならば信じてやるぞ、というような態度に、イエス様は何度も何度もお遭いになっている。この王の役人もまたおそらくそのような態度のひとりであろう、と厳しいお言葉で「あなた方はしるしや不思議なわざを見なければ決して信じない」と言われた。見たなら信じます、不思議なことをやってくれたから、それを見たから信じますという信仰をイエス様は批判されるわけです。ずっと後のほうでトマスという人間に復活のイエスが「見ないで信じるものは幸いだ」という言葉をおっしゃっています。

 しかし本当のところ、「証拠をつかんだ」「確かなものがある」「客観的にすごいことをやった」ならば信じてやろう、そういう信仰は、凡そ信仰ということを問題にする場合に、しばしば抱く思いであろうかと思います。私も川崎の下町で開拓伝道をいたしましたけれども、ある新興宗教の方が、一生懸命自分たちの宗教の宣伝をするわけです。その言い方が奮っています。「まぁ3ヶ月やってみてごらんなさい。ご利益(りやく)がなければやめりゃぁいいんだから。」という言い方でもって、どんどん入会を勧めておりました。

 「まぁ3ヶ月やってみて、ご利益がなければやめりゃぁいい。」というのが、日本社会のおおかたの、信仰に対する意識なのかもしれません。そういう中にあって「見ないで信ずる」ということはどうしたらできるのだろうか。証拠も何もなく信ずることはどうしたらできるのだろうか。先ほどアブラハムの言葉を読んでいただきましたけれど、星の数のようにお前の子孫は増え広がるだろうと神様はおっしゃった。何の保証もない。けれどもアブラハムは自分をハランから導き出してカナンまで導かれた神様のお導きを知っておりますから、信じます。結果は見ない。結果が起こるかどうかわからない。実際のところ星の数のように子孫が増えると言われたって妻のサラはどんどん年とっていくし、自分も衰えていくし、子どもが与えられない。仕方なしにイシマエルという側女に作らせた子どもで子孫を守ろうと考える。そういう不信仰なアブラハムにもなったわけです。でもともかく、神様の、証拠も何もないお約束を信じた。それを神様が「アブラハムの義」と認められたと書いてあります。

 

 カファルナウムの王の役人はどうして「見ないで信ずる」信仰に転ずることができたのか。イエス様は、切なる思いで迫ってくる「主よ、子どもが死なないうちにおいでください」――切なる父親の思いですが―― その父親に対して、突き放すように「帰りなさい、あなたの息子は生きる」という言葉を語られました。そして、その言葉を聞いてこの役人は帰って行ったのです。どんな思いで帰って行ったのでしょうか。大丈夫だ、もう安心だという確信を持って帰って行ったでしょうか。「帰れ」と言われたわけですから、帰らざるをえない。でもあんなふうに言われたけれども、いったい本当にそうなるのだろうか? 疑心暗鬼というか、一抹の不安を抱きながら帰らざるを得なかったでしょう。

 一抹の不安、不信を抱きながら帰っていくこの父親。私は信仰の世界というのは、生涯、一抹の不安、信じ得ないという部分が残り続けると思うのです。私も幼いときに信仰を与えられて、ここまで生きてまいりました今、つくづく思いますけれども、「信じられない」という部分が残り続けるのです。どうしてこうなるんだ、なんでこうなるんだ、答えがでてこない。そういう状況がつきまとっています。

 

 「信仰なき私をお助けください」というこの父親の言葉がありましたね。「信じます、信仰なき私をお助けください」と。「信じる」ということは、一抹の不信が残り続けるから「信じる」なんですよ。「信じる」ということが解ってしまったらおしまいです。一抹の不安を残し続けるから「信じる」わけです。そのことによってこそ、信仰は力強く支えられていく。信仰という世界は、解ってしまうことはありません。「卒業」はありません。解ってしまったらおしまいです。解らないものが残る。

 人間が生きているこの人生において、解ってしまうことなんかありえないでしょう。今度の東日本大震災のあの事件を見まして、大船渡、釜石、陸前高田と回ってきましたけれども、言葉を失うというか、出てくる言葉は「なぜですか、どうしてですか」。愛する者を一瞬のうちに波にさらわれていった人たち、すべての財産を失った人たち、働き場を失った漁師たち。「なぜですか、なぜですか」と言わざるをえない。そういうところでどうして「見ないで信ずる」なんてことができるだろうか。

 

 信仰というものは、その人の人生が終わるまで「信じられない」ということが残り続けるのです。でも「信じられない」と思ったことが、繰り返し繰り返し違った形で、必然性をもって心によみがえってくる。この役人は「帰れ、あなたの息子は生きる」と言われて、それを信じて帰りました。その心は決して「わかった」と晴れやかになったわけではなかったと思いますけれど、途中でしもべたちが迎えに来て、「実は、あなたの息子は生きている。ちょうどイエス様が『あなたの息子は生きる』と言われた時と同じ時に」と言われ、家族も皆イエス様を信じたという――これはまぁ「見たから信仰」になってしまう、そういうめでたい話ではございますけれども――、私が今日問題にしたいところは、そのように不信と疑惑と不安と悲しみと、先行きはわからない、という思いを抱えながらも、なお信じていくとはどういうことなのだろうか、ということです。

 

 私が少年のころに敗戦を迎えまして、私は中学校は関西学院でした。英語の先生は、戦争中は「予科練に行け」とか「戦車兵に志願しろ」とか言ったのに、戦後は「英語」を教えてくれるのです。それで私は、いったい先生は今、何を信じて生きているんですかという質問をしたことがあります。手紙に書いたのです。いつもはすぐに返事をくれる先生なのですが、なかなか返事をくれない。ちょっとがっかりしていますと、二週間ぐらい後の英語の時間に「このクラスのある人から、戦争中に先生はこう言ったじゃないか、僕たちもそれを信じて一緒に戦ってきた。敗戦を迎えた今、先生は何を考えているんだ、何を信じているんだ、そういう手紙をもらった。自分はまだこの手紙に答えが出せないでいる。自分自身も戦争の勝利を信じていたし、そのために一生懸命努力をしてきた。思いがけない事態を迎えて、今も迷い続けている」とおっしゃった。その言葉を聞いて私は、この先生も私と同じ悩みを悩んでいらっしゃったんだなぁと、その先生に対するこだわりが、すーっと消えていくのを感じたのです。先生はさらに言葉を継いで、でも君たちよりも何年か長く生きた人間として言えることがあるとすれば、マタイ福音書10章26節に「隠されているもので現われてこないものはない。覆われているもので公にならないものはない」という言葉がある。今は、本当のことは覆われていてわからないかもしれない。何がどうなっていくのかわからないかもしれない。けれども本当のことは必ずいつか現れるのだ、覆いは解かれてあらわになるのだ。このイエスの言葉を信じて、今は、勉強を続けようじゃないか、と言われたのです。

 この言葉によって私は、戦後のどさくさの中で、何もわからない、先の見通しもないなかでも、やがてあらわになる真実がある、そのことを信じて生きよう、と戦後を生きることができるようになったのです。

 そういう言葉との出会いが、見ずして信ずる信仰へと私たちを変えてくれると思うのです。見たから信ずる、という信仰を、イエス様は決して否定されません。見たから信ずる信仰も、序の口としては、入り口としてはそういうスタイルでもいいんだよ、と。イエス様はヨハネ福音書の後のほう(ヨハネ14:11)で、「私のわざによって信じなさい」ということをおっしゃっています。イエス様は不思議なわざをなさる。そのわざによって信じなさい、そういう「見たから信仰」をイエス様はあたまから否定されません。それもきっかけだ、「序の口」だ。そこからはじめればいい。けれども、「見ずして信ずるものは幸いである」。そのためには、言葉との出会いなのです。ですから私どもは信仰生活の中で、パウロが言っていますように「私の福音」というものを、一人ひとりがつくる必要がある。私の言葉、私にとってのいのちの言葉というものを、一人ひとりが確認する必要があるのではないでしょうか。その言葉によって生き、その言葉によって生涯をまっとうできる、そういうみ言葉との出会いを大事にしていただきたい。・・・そして、新しい牧師がおいでになったときには、早速その聖書の言葉を申告してください。いつどんなことになるかわかりませんから、「この言葉によって弔いをしてもらいたい」と申告していただきたい。

 

 結果として思惑どおりではない、とんでもない事態になったとしても、み言葉との出会いがあるならば、それに耐えられるのです。私が自分の学問上の大きな示唆を受けたヴィクトール・フランクルという心理学者がいます。ご存知のようにこの方は『夜と霧』という書物で、アウシュビッツの惨憺たる体験を語っていますが、あるとき日本に来られて國學院大學でゼミを開かれた。それに参加させていただいたことがあります。

 そのときにこんなことをおっしゃったのです。ウィーンにどんどんドイツ軍が入ってきてユダヤ人のシナゴーグ(礼拝堂)を片っ端からつぶしていく。ユダヤ人狩りです。その時期に、たまたまアメリカに留学する話がまとまった。これは幸いだ、平和の国アメリカでしっかり勉強したい、とその気になったのだけれど、いざ出発の日が近づいてくると、どうにも気持ちがおさまらない。そのときあるシナゴーグが爆破されたと聞いて、父親が爆破されたシナゴーグの破片を持ってきた。その破片は、十戒が納められている棺の、一から十までのナンバーの「五」という数字の石のかけらで、フランクル先生の机に置いてあった。フランクル先生は後からそれに気づき、何でこんなものがあるんだろうと石を調べてみますと、「五」の文字がある。十戒の五、「汝の父と母に従え」です。その「五」という数字を見たときに、フランクル先生は留学を断念して、どんなことがあっても父と母に従って収容所に行こう、という決心をされたのです。

 

 その収容所の結末はもう言うまでもありません。奥さんも子どもも両親も皆、収容所で殺されてしまった。十戒の第五の戒めには、「あなたの父母を敬え、そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる」とありますけれど、フランクル先生だけが生き残った。父と母に従ったことによって、神様の祝福が与えられたか?父も母も家族も皆、死んでしまった。「なぜですか、どうしてですか」という問いが起こらざるをえなかったと思います。

 けれどもフランクル先生は、その講座の終わりにこう話されました。自分はすべてを失ったけれども、あのときみ言葉に従って、父と母に従い収容所に行く決断をしたことは決して間違っていなかった。そのことを今、十戒の民の一人として誇りに思う、と。

 

 見ずして信ずる信仰のその奥義は、やがて必ずあらわになる。いまお一人おひとりの中で「なぜですか、どうしてですか」という問いをもち続けていらっしゃる方がおありかと思います。しかしやがて、覆われているものは必ずあらわになる。信仰はあとからあとから、より深くわかってくるものなのです。信仰の真理は――追認識などとむつかしい言葉を使いましたけれども――あとからあとからより深い信仰の奥義、その喜び、希望、幸いというものが示されてくるのです。そのことに生きてまいりたいと思います。この教会のやがて与えられる羊飼いとともに、よりよき祝福に満ちた信仰生活が続けられますように、お祈りをしていきたいと思います。

 

   

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