2012.04.8

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「復活の福音」

廣石 望

ダニエル書12,1-4 ; コリントの信徒への手紙一15,1-11

 

I

 イースター、おめでとうございます。今日は福音の始まりを記念し、祝うための祭りです。福音は、イエスの復活への信仰とともに始まりました。今日は、パウロが伝えるテキストを手がかりに、福音とは何であるかを考えてみましょう。

 

 パウロはコリント教会の信徒たちに宛てて、かつて自分が宣教した福音を思い起こさせようとしています。

 イエスの死と顕現が起こったのが紀元30年ころ、パウロがコリント書簡を書いたのが紀元50年代の前半と言われていますので、イエスの死後、およそ四半世紀が過ぎた後の発言です。

兄弟たち、私は君たちに告げる、私が君たちに宣教した福音を。
それは君たちが受けたもの、
そこに君たちが立ってきたもの、
それを通して君たちが救われるものである。(1-2節参照

 パウロは自分が宣教した福音について、三つの説明をつけています。ひとつめは、君たちが「受けた」もの、つまりコリントの信徒たちが自分で思いついたのではなく、他の人から伝承として受けとったものであること(新共同訳「受け入れた」は、キリスト教信仰に入信したという意味に誤解されるかもしれません)。二つめは、その受けとられた福音にコリント教会の信徒たちが立ってきたこと。そして三つ目は、その福音を通して信徒たちに救いが与えられることです。

 これら三つの付加的な説明は、福音が外側から与えられ、そこに立つ者たちに救いを与えるものであることを示しています。

 面白いことにパウロはこの説明に、皮肉というかユーモラスな但し書きを加えます。「どんな言葉で私が君たちに福音したか、もし君たちが覚えているならば。もし君たちがムダに信じたのでなかったならば」(2節後半を参照)。――新共同訳はこの箇所をとても真面目に受け止めて、〈まさか福音を覚えていないときは救われませんよ。その場合、信じたことがムダになりかねません〉という警告、ないし脅しの意味に訳しています。しかしギリシア語原文で読むと、〈まさか君たちはそれを忘れたわけでも、ムダに信じたわけでもないでしょう、ふふふ〉というユーモラスな響きがあるように感じます。

 

II

 続けてパウロは、こう言います。

私は君たちに、第一のもののうち、私も受けたものを伝えた。(3節前半を参照)

 「受けた―伝えた」という伝承の授受を現わす表現を用いて、パウロは福音が伝承に遡るものであることを明示します。「第一のもののうち」という表現は、「福音」と並んで、他にも大切なものを伝えたという意味です(新共同訳「最も大切なこととして」は少し強すぎます)。イエスの言葉や聖餐の伝承などが、そうした「第一のもの」の中におそらく含まれるでしょう。

 さて「福音」伝承の本体は、キリストを主語に、その前半(A:3節後半から4節前半)が「死」を、そして後半(B:4節後半から8節)が「復活」を扱うという二部構成から成っています。

 イエスの「死」(A)と「復活」(B)の両方に、「書物に従って」つまり旧約聖書に証言されている通りに、という意味の但し書きがついています(新共同訳「聖書に書いてあるとおり」)。そして後半部分(B)の大きな特徴は、「〜に現れた」という表現の反復によって、イエスの顕現を体験した人々のリストが付記されていることにあります。

 

III

 この「福音」伝承の特徴を、三つの点から見てみましょう。

 

 第一のポイントは、できごとの配列とその意味についてです。

 ここには〈死んだ/埋葬された/起こされた/現れた〉という時系列に沿ったできごとの配列があるように見えますが、じつは一か所だけ動詞の時制が違います。すなわち「起こされた」だけが現在完了形なのです。あえて「起こされている」と訳せます(新共同訳は、あっさり「復活した」と訳します)。ちなみにギリシア語「エゲイロー/起こす」には〈横のものを縦にする〉と並んで、〈眠っていた人を眼覚めさせる〉の語義があります。したがって「死んだ」から「現れた」に至る一連のできごとは、キリストが神によって「起こされている」、死から呼び覚まされて神の命を生きている、というリアリティーの地平でこそ意味をもつと考えられているのです。

 それから「起こされている/現れた」という順番は、認識の成立としてはおそらく逆順です。「現れた」と表現される顕現体験(原語の語義は「見られた」)が先ずあり、その後で初めて「起こされている」という認識が成立したにちがいないからです。死んで埋葬されたイエスつまり死んでいるイエスが、あろうことか活ける者として私たちに現れた。これは分かりやすく言えば、「出たぁ!」という体験です。どうしてそれをお化けか怨霊だと思わなかったのは、よく分かりません。何れにせよこの体験から、やがて「イエスは神によって起こされている」という解釈ないし推論が成立しました。

 ちなみに顕現体験は、死んだままで活きているイエスに出会うことです。墓の中でイエスの死体がゾンビのようにむっくり起き上がるのを目撃するという意味ではありません。新約聖書には、まるで見てきたかのように墓の中のできごとについて報告する記述は、一切存在しません。

 

 次のポイントは「書物に従って」という注記についてです。

 この但し書きは、原始キリスト教を生きた人々が、神によるイエスの「起こし」の意味を旧約聖書に問い続けたことの証言です。

 イエスの死が「私たちの罪のため」であるという解釈句の背後には、とりわけイザヤ書53章の「苦難の僕(しもべ)の歌」があるだろうと多くの人が考えています。「彼が刺し貫かれたのは私たちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは私たちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって、私たちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって私たちは癒された」(イザヤ53,5)、あるいは「私の僕は、多くの人が正しい者とされるために、彼らの罪を自ら負った」(同11節)と言われています。

 他方、イエスの復活が「三日目」であったという時間的限定は、預言者ホセアの書と関係があるかもしれません。「主は我々を引き裂かれたが、癒し、我々を打たれたが、傷を包んで下さる。二日の後、主は我々を生かし、三日目に、立ちあがらせて下さる」(ホセア6,1-2)。

 しかしご覧の通り、上記の二つの聖書箇所ははっきり名指されているわけではありません。おそらく、もっと広い意味関連が考えられているのだと思います。

 

 そして第三のポイントは「顕現証人」のリストです。

 このリストは時系列であると同時に(「次いで」「その後」などの表現を参照)、証人の重要度ランキングを現わしています。最初の証人「ケファ」(ペトロのアラム語名)は、次にでる「十二人」の筆頭者です。両者とも、生前のイエスを最もよく知る人物たちです。しかし彼らは皆、決定的瞬間にイエスを見棄てたことが知られています。それでもペトロは、後にエルサレム原始教会の最初の指導者になりました。ですから、このリストの発祥地はエルサレムだろうと思います。これが北方のアンティオキア教会に伝えられ、パウロもその地でこの伝承を「受けた」のだろうと思います。

 ちなみに新約聖書ではペトロへの復活顕現は広く前提されていますが、イエスとの出会いを具体的に物語る伝承はほとんどありません(ヨハネ21,15以下の「私の羊を飼いなさい」という復活者の委託を含む伝承は、教会指導者になったペトロの名誉回復を果たすための後代の創作です)。

 続いて「500人以上の兄弟に一度に」現れたという証言は、他にこれだと思われる証言がなく、どこでどのように生じた顕現であるのか不明です。「ヤコブ」はイエスの実弟で、ペトロの次にエルサレム教会の指導者になった人物です。また「すべての使徒たち」はペトロを含む十二人からは明らかに区別されていて、具体的に誰のことなのかよく分かりません。

 ちなみに福音書にはマグダラのマリアへの顕現や(ヨハネ20,11以下)、エマオ途上の二人の弟子たちへの顕現(ルカ24,13以下)が語られていますが、それらにどんぴしゃり対応するものは、このリストにはありません。顕現の場所もエルサレム近郊だったりガリラヤだったり、ばらばらです。つまり顕現はあちこちでいろいろな人に生じ、それらを検閲して「決定版」顕現履歴を作ることは、はなからムリだったのだと思います。

 リストの最後に、パウロ本人が言及されています。しかも「すべての者たちの最後に」という但し書きつきで。顕現はパウロで〈打ち止め〉という意味です。使徒言行録によれば、イエスが「40日間」地上で顕現し、天に昇った(使徒言行録1,3以下1,6以下)その後でパウロへの顕現が生じています(同9,1以下)。彼自身はコリント教会に向かって「私は使徒ではないか。私は主イエスを見たではないか」(コリント一 9,1)と主張します。しかしパウロの顕現体験が、ペトロその他の体験と果たして本当に同列に扱えるものであるかどうか、議論の余地があると思います。パウロが本物の使徒であるかどうかについて論争があったことは、コリント書簡から知られています。

 

IV

 最後に改めて「私たちの罪のため」という言葉の意味について考えてみましょう。

 この発言は、イエスの顕現を神による「起こし」と解釈した後に、では彼の死がそもそも神とどういう関係にあるのかを問うた後に、初めて到達できた認識であると思います。

 もっとも「私たちの罪のため」という表現の意味内容については、昔からいろんな意見があります。

 ひとつは、これは弟子たちの慙愧の念の表現だという理解です。私たちが見棄てたことが原因でイエスは殺されてしまった。彼が死んだのは私のせいなのに、私一人が生き残ってしまい恥ずかしいという感情です。東日本大震災で家族を失ったある学生の言葉を、私は忘れることができません。彼女はこう言いました、「震災直後の自分の行動をずっと後悔してきた」。これはある種の〈喪の作業〉といってよいでしょう。

 他方で、「私たちの罪」とあるときの「罪」が複数形であることに注目して、これはモーセ律法への背きの罪責に対する贖罪死のことであるという理解があります(レビ記16章を参照)。その発展形が、アウグスブルク信仰告白(16世紀)にあります。すなわちキリストは「現実に誕生し、苦しみ、十字架につけられ、死に、葬られた。それは彼が原罪だけでなく、その他すべての罪の犠牲となるため、そして神の怒りをしずめるためであった」。

 しかしながら、現代に教会に初めてやって来て「福音」を聞く人は、「2000年前のあるユダヤ人の刑死について、私に責任などあろうはずがありません」と言うでしょう。また神殿で動物の血を流すことで、祭司に執行してもらう犠牲の儀式をモデルに出されても、それは現代人の生活実感から遠いものです。ましてや私たちの国の伝統宗教には、動物の血を注ぎ、肉を焼く習慣はありません。

 では、パウロはどう言っているでしょうか?――彼は自分を指して「月足らずで生まれたようなもの」と言います。「月足らず」と訳されたギリシア語の原語は「死産・流産」の意です。つまりパウロは、自分は〈生まれそこない〉のようなものだと言います。さらにこう続きます。

 

この私は、使徒たちのうちで最も僅少なる者であり、使徒と呼ばれるに十分でない。神の教会を迫害したのだから。しかし神の恵みのおかげで、私は私である。そして私に〔注がれた〕彼の恵みは、虚しくできごととはならなかった。むしろ私は彼らすべてに優って労苦した。いや私ではなく、神の恵みが私とともに〔労苦した〕。だから私であろうと、かの者たちであろうと、私たちはそのように宣教し、君たちはそのように信じたのだ。(9-11節参照

 

 パウロにとって教会の迫害者であったという事実、自らの攻撃性の認識は永遠に消えることのない刺、そして負い目です。しかしこのことに「神の恵み」がぴたりと寄り添っていることに注目したいと思います。神の「恵みは、虚しくできごととはならなかった」。「私ではなく、神の恵みが私とともに」労苦したという発言は、新しい使命を与えられたパウロが、自らのうちに傷を抱えながらも再生を遂げたことの証言です。

 そしてそのことは、同じ現実に遭遇した他の人々との共同歩調を意味します。「私であろうと、かの者たちであろうと…」。たとえ考え方や路線が違っても、神の恵みを頼りにともに働き、ともに信じる。それが私たちの福音です。

 


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