06あなたを呼び求めます
神よ、わたしに答えてください。
わたしに耳を向け、この訴えを聞いてください。
07慈しみの御業を示してください。
あなたを避けどころとする人を
立ち向かう者から
右の御手をもって救ってください。
08瞳のようにわたしを守り
あなたの翼の陰に隠してください。
09愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れず、 10兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。 11怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。 12希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。 13聖なる者たちの貧しさを自分のものとして彼らを助け、旅人をもてなすよう努めなさい。 14あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。 15喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。 16互いに思いを一つにし、高ぶらず、身分の低い人々と交わりなさい。自分を賢い者とうぬぼれてはなりません。 17だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい。 18できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。
先週の4日から7日まで、つまり火曜日から金曜日まで、沖縄のキリスト教学院のシャローム会館において、第3回9条アジア宗教者平和会議が開かれました
この教会からも、週報に書いてあるように何名かが参加しました。Kさんは、たまたまこの時期に時間をとれるということがわかり、直前になって私が事務局の仕事を手伝ってくださるようお願いしました。当日になって出された英語の声明文の翻訳や、遅れて到着した参加者を飛行場から会場まで案内したりと、目立たないところで大活躍してくれました。
合計11カ国から220名が集まりました。キリスト教、仏教、イスラム教、その他の宗教家が参加しました。
最初の日は、どしゃ降りの中、自衛隊基地の中に土地を持っている人、つまり「反戦地主」が、基地内にある自分の土地に案内していただき、沖縄の伝統的な宗教家と交流の時を持ちました。またひめゆりの平和資料館や摩文仁の平和公園、戦争中、野戦病院として使われた地下にある自然の洞窟、アブチラガマ等を訪ねました。
2日目は、普天間飛行場を見下ろせる嘉数公園、また普天間飛行場の移転先と言われている辺野古の海岸を視察しました。
2日目の水曜日の午後から、金曜日まで3日間にわたって会議が行われ、沖縄の歴史を学んだり、各地の取り組みについて報告し合いました。そして最後に声明文を作成し、それを持って県庁で要請行動を行い、記者会見をし、最後に国際通りで平和行進をしました。
さまざまな宗教者が平和を祈る集会はよくあります。たいていは戦死者のために祈り、霊をなぐさめたり、御霊を鎮めるという方向に向かいます。その結果、戦死者をあがめるようになり、さらには、戦争を美化するようになる集会もあります。
しかし今回の集会は、死者を讃えるという方向に向かうのではなく、平和を求めて祈り、戦争に反対して声をあげ、さらにはあらゆる軍備に反対するために宗教者がともに行動しようとするものでした。このような動きは、まだまだ少数の動きでしかありません。
でも少数であっても、平和のために祈り、また祈るだけでなく声をあげ、非暴力の行動を起こそうとする人たちがいるのも事実です。今回の集会は、宗教家として、平和憲法9条の内容を踏まえながら、ともに平和を求め、9条をさらに多くの人たちに訴えていこうとするものでした。
平和会議の開催中に、会議と並行して、日本基督教団の沖縄教区と北米の教会との交流会、またフィリピンの教会との交流会が開かれました。また韓国の代表者たちとの交流会もありました。
沖縄の戦後の歴史を考えるときに、沖縄に大きな影響を与えた北米の教会の宣教師の活動を忘れることはできません。宣教師らは、沖縄の土地が、1950年代に米軍によって収用された際に、その不当性を訴え、沖縄の人たちの人権を守るために優れた働きをしました。すでに亡くなった伊江島の阿波根昌鴻さんの活動を支えたのも宣教師でした。今回、そのような宣教師の働きや北米の教会からの支援を覚え、感謝する機会を持つことができたことはとても意義あることでした
今回、初めて沖縄に来たという北米のある教会(=教派)の代表者は、かつて「沖縄の教会を訪問しよう」と希望者をインターネットで呼びかけたところ、その動きが、沖縄と韓国の米軍基地内の教会の代表者に知られてしまい、米軍基地内の教会を訪問するようにと要請を受けたというエピソードを紹介してくれました。その代表者は、もし米軍基地内の教会からの招待を受けたら、さまざまな圧力がかかり、基地内の教会との交流だけに多くの時間を取られてしまうことになると考え、とうとう訪問をものををキャンセルしたそうです。その担当者は、今回、このような平和会議に参加でき、基地の中の教会ではなく、外の教会と交流できたことをとても喜んでくださいました。そしてこういう交流を続けたいと提案されました。
軍事力によって、平和が維持されるのだと考える人たちがいます。基地の中にある教会は、まさにそう考える人たちの教会です。彼らは、戦争は必要悪で考え、大きな悪を滅ぼすために、小さな悪は肯定されると考えます。いや大きな悪を滅ぼすために武力を行使することは、悪ではないと考えます。実際に世界のあちこちで戦争が行われており、その戦争を拡大させないためにも、武力を使わなければならない‥‥と考える人たちがいるのです。
しかし私たちは、戦争によって平和を造り出したり、維持できるとを考えるべきなのでしょうか。しかしそれでは人類は永遠に戦争を克服することができません。私たちは何を祈るべきなのでしょうか。私は、私たち信仰者は、戦争がなくなり、あらゆる軍備を必要としなくなる時代が来ることを祈るべきだと思います。そしてそのように祈りつつ、そのような時が来るように、声をあげ、行動を起こすことが大切だと思います。
でも私たちに何ができるのでしょうか。
ローマの信徒への手紙の12章の9節以下を、18節の「できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい」をキーワードにして読むことが可能だと私は思います。
そのために、私たちは9節以下の個々の点を実現する必要があります。
人を愛すること、悪を憎み、善から離れず、兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思うこと、‥‥これらは、すべて平和へとつながります。平和のためにこそ私たちは、怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなければなりません。 希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈る必要があります。
祈ることはとても大切です。信仰者として、たえず祈る必要があります。祈るということは、祈りさえすれば何もしなくていいということではなく、祈りながら私たちも祈る者としてのふさわしい歩みをするということを意味します。私たちは平和を祈りつつ、平和のために声をあげたり、行動を起こすことが求められています。。
13節の「聖なる者たちの貧しさを自分のものとして彼らを助け、旅人をもてなすよう努めなさい」という部分は、「聖なる者たち」こそ、「平和のために祈り、活動する人たち」であると考えて読むことができます。私たちは、平和を造りだそうと活動している人たちを、自分のこととして応援することができます。自分ではたいしたことができなくても、彼らを助け、彼らをもてなし、平和をつくる彼らの活動を応援することもできます。そのことも大切なことだと思います。
また、私たちは、平和を求める活動を妨害する人たちのために、祈ることも大切です。
それでは、戦争に協力したり、実際に戦闘行為を行う人たちに対してはどう接するべきなのでしょうか。14節の言葉がヒントになると思います。そこに、「あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません」とあります。このように考えるなら、私たちは、戦争に協力したり、軍事施設をつくるために働く人たちに対し、その行動はよくないと指摘しながらも、しかし相手を呪うようなことをしてはなりません。世界が平和になるということは、最終的には、戦争に協力したり戦争を肯定する人たちも、その平和にあずかるということを意味します。その人たちが呪われるように望むべきではなく、むしろあらゆる人たちが祝福を受けるべきだと考え、そのためにこそ私たちは平和をつくる歩みをすべきです。
大切なことは15節にあるように。「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣く」ことです。これ以上、この箇所をていねいに読んでいくことはしませんが、こういうことを通して、18節にあるように、「できる限り、多くの人たちと平和に暮らす」ことができるようになるのです。
私たちはキリスト者として平和のために何かをしようとすると、全世界を平和にするためにはどうしたらよいかと、考えがちです。でもいきなり、全世界をどうするかと考えるのではなく、私は、まずは自分にできることから何かをすることが大切だと思います。
つまり平和をつくりだすために、まずは、自分のいるところで、できる限り多くの人たちと「愛をもって」、ともに生きる努力を積み重ね、平和に暮らす努力をすることが大切なことです。
パウロがいた時代のローマは、ローマ帝国の首都でした。ローマ帝国は、当時、地中海沿岸のさまざまな地域を支配し、軍事力と経済力によってその地域の平和を維持していました。ローマ帝国がその権力と権威によって実現することのできた平和を「ローマの平和」と呼ぶことができます。しかしそれは軍事力と経済力によって維持されたはかない平和でした。ローマは一時的には繁栄しましたが、そのローマといえども不滅のものではありませんでした。
パウロは、そのようなローマにいる人にむかって、愛をもって他者と結びつき、自分とは異なる人とともに生きることによって平和に暮らすことを求めました。それこそまさに「キリストの平和」であると表現できます。
「ローマの平和」が軍事力と言い経済力によるものであったとするならば、「キリストの平和」は、愛による平和と考えることができます。人間を神に造られたものと理解し、お互いに愛をもってともに暮らすところから、できるところから輪を広げていくことが大切です。
沖縄に平和をもたらすために何ができるのか、韓国のために何ができるのか、そのことを考えることはとても大切なことであり、常に考えていかなければなりませんが、そうしつつ私たちは、まずは、自分の身近なところから平和を造り出すために愛のある行いをし、また祈ることが大切なことだと思います。
この代々木上原教会にも、牧師である私の家族を除いても、まだ沖縄出身の人たちがいます。また沖縄でなくても、外国人がいます。韓国やアジア出身の方たちもいます。ジュリアン宣教師から、フィリピンやアメリカのことを学ぶこともできます。9条アジア宗教者会議は次回はフィリピンなので、フィリピンのことを学び、フィリピンと交流することを計画してもよいと思います。
いずれにせよ愛をもって一人が一人と出会い、相手とともに歩む努力をすることが大切です。出会うとは、自分が相手によって変えられることを引き受けることです。自分にしがみついていては相手を愛することはできません。愛をもってともに歩むこと。相手が喜ぶときに喜び、泣くときに泣く、そういう交わりをつくり、その輪を広げていくこと、そのために祈ること‥‥、パウロはそのような生き方をローマの人たちに求めたのです。
確かに軍事的、経済的にローマはうまくいっていると言えるかもしれない。しかしそれは見かけだけの平和にすぎません。見かけだけの平和のかげで、人々は孤立し、政治的権力や経済力によって心がすさみ、心が冷えていきます。パウロは、そういう中にいる人たちに、キリストの平和の実現を呼びかけたのです。「ローマの平和」は、やがてこの地上から姿を消しましたが、「キリストの平和」は、今なお発展の途上にあります。それはやがて「神の国」へとつながるのです。
キリストの平和が実現するように祈り、行動することを私たちは神さまから求められています。私たちはできるところから、身近なところから、しかし自分の力により頼むのではなく、神に祈りつつ、またキリストに支えられて、平和のために愛の一歩を確実に歩みだす者となりましょう。
神さま、
主イエス・キリストのみ名によって、祈り願います。
軍事的、経済的に維持される平和ではなく、
キリストにある平和を追い求めることができますように。
そのために、兄弟愛をもって愛し、
愛をもって相手を尊重し、
主に仕え、希望を持って苦難を耐え、
祈りながら歩むことができますように。
平和のために活動する人をささえ、
平和に反する行動をする人を呪うのではなう、祝福し、
喜ぶ人とともに喜び、泣く人とともに泣き、
身近にいるさまざまな人と平和に暮らすことができますように。
この祈りを主イエス・キリストのみ名によって祈り願います。
アーメン