先週の水曜日から受難節が始まりました。今日はイスカリオテのユダとピラトという、ある意味で非常に対照的な二人を通して聖書の御言葉に聞いてまいりましょう。
ピラトという名前を耳にしたことのある方は多いと思います。多くの教会の礼拝で唱和しています使徒信条にも出てきます。「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず」という言葉で始まる信仰告白です。使徒信条というのは、「キリスト教とはどういう宗教であるか。私たちは一体何を信じるのか」ということを、最も簡潔に言い表したものです。原文のラテン語にして、わずか75の単語で記されています。
使徒信条の原形になるものは、恐らく2世紀後半、つまり100年代であろうと言われています。2世紀後半といえば、聖書が聖書として編纂されるよりもずっと以前、まさにそういう編纂作業が始まりかけた時代であります。その時代にすでに、この使徒信条の原形ができ、その時より、今日に至るまで、リレーのバトンのようにして、この短い信仰告白をキリスト教会は受け継いできたのです。日本基督教団の信仰告白の中にある「我らはかく信じ、代々の聖徒と共に使徒信条を告白す」という言葉が、そのことをよく表しています。この短い文章の中に、キリスト教のエッセンスがあります。
聖書の内容も驚くほど省略されています。この中には、イエス・キリストの言葉も全く含まれていませんし、イエス・キリストが何をなさったかということも記されていません。誕生からいきなり苦難と十字架、そして復活へと飛んでしまうのです。
人の名前はいかがでしょうか。この使徒信条の中に、イエス・キリスト以外に二人の人物名が記されています。たった二人だけです。一人はイエスの母マリアです。そして、もう一人が驚くべきことにポンテオ・ピラトなのです。何を省略しても、イエス・キリストの言葉をすべて省略しても、ポンテオ・ピラトの名前ははずすことができなかったのです。
使徒信条には、主イエスの道備えをした洗礼者ヨハネも出てきません。イエス・キリストの一番弟子であり、いわばキリスト教会の創始者であるペトロの名前も出てきません。使徒パウロも出てきません。すべて省略されました。
旧約聖書の人物はいかがでしょうか。アブラハムもモーセも出てきません。イザヤもダビデもすべて省略されています。それでもポンテオ・ピラトの名前は省略できなかった。キリスト教信仰にとって、ポンテオ・ピラトの名前はペトロやパウロよりも大事だと言うのです。それは、一体どういうことでしょうか。
その最も重要な意味のひとつは、ポンテオ・ピラトという名前によって、イエス・キリストの苦難というものが、私たち人間の歴史の中にしっかりと組み込まれるということでありましょう。この当時、イスラエル地方一帯は、ローマ帝国の支配下にありましたが、ポンテオ・ピラトという人は、ローマ帝国から任命され、紀元26年から36年までの間、シリア地方の総督(governor)でありました。その世界史上の10年間のいつかある日、ピラトはイエス・キリストを十字架にかけるという決定をくだしたのです。ピラトという名前は、聖書以外の歴史書にも出てくる名前、つまり私たちが歴史上きちんとさかのぼることができる名前なのです。その名前が、この使徒信条にあらわれるということは、イエス・キリストの苦難と十字架を、ただ信仰の内面的な事柄、あるいは何か抽象的なものにしてしまうことはできないということです。イエス・キリストは、確かに私たちの歴史をさかのぼったある時点において、苦しみをお受けになったのです。
二つ目の意味は、イエス・キリストがこの世のある権威のもとで裁かれ、十字架で殺されたということです。イエス・キリストは確かに殺されたのですが、たまたま強盗に襲われたのではありません。あるいは政治的であったとしても、右翼か左翼の過激派集団にねらわれてリンチで殺されたというのでもありません。総督というしかるべき肩書をもった人物(ピラト)の手によって正式に裁かれて死刑にされたということ、公的な権威のもとでこの世から追放されたということです。「この世」がイエス・キリストを裁いたのでした。
そうしたことからある意味では、たまたまポンテオ・ピラトは歴史に汚名を残すことになりました。使徒信条が唱えられる度に、ピラトの名も唱えられることになりました。初代教会(使徒たちの教会)以来、今日にいたるまで、果たして一体何度ピラトの名も唱えられたことでしょう。何億回でもきかないでしょう。まさに文字通り天文学的数字であり、想像がつきません。まさかそうしたことになるとは、ピラトは「夢にも思わなかった」でありましょう。もっとも「夢に思った」人物もいました。それはピラトの妻でありました。ピラトの裁判の中に不思議な文章が挿入されています。
ピラトの妻は、ここでイエス・キリストのことを、「あの正しい人」と呼んでいます。伝説によれば、彼女は後にクリスチャンになって、ついにはギリシアとエチオピアの教会で聖人として仰がれることになっていきます(4世紀に成立したと言われるニコデモ福音書)。
それにしても、この聖書本文を読む限り、ピラトはそれほど悪い人間には思えません。無理矢理この裁判をさせられたのでした。ピラトは何とかして、イエス・キリストを赦そうとした、もっと正確に言えば、何とかして自分が彼に有罪判決をくだすという役割を演じたくはなかったということが、今日の聖書箇所の中によくあらわれています。バラバ・イエスという男を引き出してきて、「どちらかを恩赦にしてやろうと思うが、どうか」と民衆にもちかけます。二度も同じことを民衆に聞いています(17節と21節)。もしも単純に聞くのであれば、一度でよかったでしょう。何とかイエス・キリストの方を釈放したかったのです。ピラトはついに怒ったように、こう言いました。「いったいどんな悪事を働いたというのか」(23節)。しかしついに群衆の声に押し切られてしまいます。最後に自分の手を洗いながら、こう言い放ちました。「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ」(24節)。こういう場合に手を洗うという行為は、身の潔白を表明する象徴的行為として申命記21章6節に示されています。
このピラトはユダヤ人ではありません。ローマから遣わされて、このユダヤ地方を治めているのです。その異邦人であるピラトが、あえてユダヤ人の習慣にならって、自分の身の潔白を表明しようとしているのはおもしろいと思いました。「お前たちの問題だ」というのは、「お前たちの好きなようにしろ」ということです。
果たしてピラトは、これで本当に責任がなくなったのでしょうか。26節には、「そこでピラトはバラバを釈放し、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した」とあります。しかしピラトがどういう風に思おうと、歴史(使徒信条)は、イエス・キリストを裁いた代表として、ポンテオ・ピラトの名前を残したのです。
このピラトについて思う時に、複雑な思いが胸をよぎります。決して人ごとには思えません。それほど悪い人間には思えません。歴史に名を残す程の人物でもありません。たまたま自分の赴任していた地方で、しかもたまたま自分が任についていた10年の間に起きた事件に巻き込まれたようなものです。考えようによっては、被害者です。この直前のユダヤ人たちの最高法院における宗教裁判の方がよほど悪意に満ちています(26章57節以下)。あるいは、この場にいた人間であれば、群衆の方が敵意に満ちています。
ピラトは多くのものを恐れ、びくびくしながら生きている人間でした。なにがしかの権力をもち、それを振りかざしながら、そしてそれにしがみつきながら、恐れを振り払うようにして生きていました。彼はよそから来てユダヤを治める人間として、ユダヤの有力な指導者を恐れていました。ユダヤの民衆を恐れ、ここで暴動が起こるのを恐れていました。また一方で本国ローマ帝国のカエサルを恐れ、自分の失政をカエサルに密告されることを恐れていました。そして幾分は、自分の目の前にいる謎のような不敵な人物をも恐れていました。上にいる人間を恐れ、下にいる人間をも恐れる。そして自分が遭遇した出来事をも恐れる。何かを決定する時には、自分が正しいと思うことで判断するのではなく、力関係を見ながら、どちらの方が自分に有利であるかということで判断する。何をするべきかを決める。そういう悲哀がこの男の背中に漂っています。
何かピラトの気持ちがわかる気がします。ちょうど今日の中間管理職、あるいはもう少し上で大会社の支店長か重役のような感じでしょうか。この後、お酒を飲んで、「俺にはどうしようもなかったんだ。他に何ができたと言うんだ」と叫ぶ彼の本音が聞こえてくるようです。それでは、果たして彼に責任はなかったのでしょうか。残念ながら、「ノー。やはり彼もその責任を免れない。いや最も重大な責任はピラトにある」と言わざるを得ません。上に立つ者の責任はそれだけ重いのです。
私が最初に働いた阿佐ヶ谷教会に速水優さんという方がおられました。後に日本銀行総裁となられた方ですが、その当時はまだある商社の社長さんでした。一昨年亡くなられましたが、私は、縁あって、親しくさせていただきました。歴代の伝道師(副牧師)は速水家の離れに住まわせていただいていたのです。その速水さんが、一度青年会の集会か何かで、こういう話をされたことがありました。彼自身、若い頃、職場で自分の地位がだんだん高くなっていくことに躊躇し、「自分の信仰と矛盾するのではないか。何か悪いことではないか。どう関係づければいいのか」と悩んでおられたそうです。その時に、信仰の先輩で、やはり社会で活躍されていた方が「地位があがることはデシジョン・メイキング(決定権)の幅が広がること。それを恐れてはならない」と励まされたそうです。地位が高くなればなる程、大きな決定にかかわるようになり、当然それだけ自分の決定に影響する人々が多くなるということです。それだけ責任も重くなりますし、逆にそれによって人や社会に貢献できることも大きくなるということです。当たり前のことのようですが、その言葉に、速水さんは、励まされて、「そうだ。恐れずにその自覚と責任をもって歩むことが大事なんだ」と吹っ切れたそうです。
責任ということで言えば、自分が積極的にくだした判断に対する責任も大きいですが、逆に何かができる地位(ポジション)にいたにもかかわらず、それをしなかった時の責任も大きいのではないでしょうか。別の言い方をすれば、たとえば自分が誰かを助けられる地位にありながら、それを用いてその人を助けようとはしなかった責任です。この世の法に鑑みれば、何も問われることはありません。しかし神様の前では言い逃れができない。「決断の幅が広がる」とは、まさにそういうことまで含んでくるということです。
いろんな例がありますが、第二次世界大戦中に、リトアニアの領事館に勤務していた杉原千畝氏のことを思い起こします。彼は、ナチス・ドイツの迫害から逃れて、東の方へ行こうとするユダヤ人たちに大量のビザを発給したことで知られています。それは、外務省の訓令に反することでしたが、彼は自分の地位を利用して、彼らを助けたのです。
聖書の中では、エジプトの王女が、ユダヤ人の赤ちゃん(後のモーセ)を助けたこともそうでしょう(出エジプト記2章)。その判断・行動は、王女であったからできたことであり、彼女のまわりにいる仕え女たちには、幾らそう願ったとしても、できないことでした。そういう風に考えれば、ある地位にあるということは、そこでできることをする責任も大きくなるということだと言えると思います。
この時のピラトがまさにそうでありました。この時、彼はイエス・キリストを釈放することができる地位にありながら(もっとも群衆によってピラトが引きずりおろされたかも知れませんが)、しかもその男が無罪であることを知りながら、彼を釈放しなかった責任です。群衆の言うとおりにしてしまった罪です。
さて、今日読んでいただいた物語に、もう一人見過ごすことのできない人物が登場します。イスカリオテのユダです。彼はイエス・キリストの弟子のひとりでありつつ、イエス・キリストを敵対者、つまり祭司長たち、律法学者たちに引き渡してしまった人物です。彼の運命というのは謎に包まれています。このユダについて、今日はあまり詳しく話すことはできませんが、ひと言だけ言えば、イエス・キリストは、このユダのためにも十字架にかかり、十字架の上でこのユダのためにも祈り(ルカ23章34節)、命を捨てられたということです。そこから先は神様の領分ですから、私たちは、すべてを最もよい道に導かれる主にお任せするよりほかはないし、そうすることが許されていると思います。
ユダは自分のやってしまったことに対する罪を重く受け止め、後悔し、何とかして事態をもとに戻せないか必死になっている様子が伝わってきます。しかし彼の申し出は、冷たく突き放されます。
「しかし彼らは、『我々の知ったことではない。お前の問題だ』と言った」(4節)。この「お前の問題だ」というのは、ピラトの「お前たちの問題だ」(24節)というのと同じ言葉です(単複の違い)。「勝手に好きにするがいい」ということです。それで「ユダは、銀貨を神殿に投げ込んで立ち去り、首をつって死んだ」(5節)というのです。やりきれない思いがします。
このユダの姿は、ある意味でピラトと対照的です。ピラトの方は責任逃れをしようとし、そこにかえってピラトの罪が浮き彫りにされていると思います。一方、ユダの方は自分の侵してしまった罪の重さを強く自覚し、その罪深さに耐えきれないで、そこから生じる呪いまで自分で引き受けようとした。あるいは自暴自棄になったということも言えます。
私は、皮肉なことにそこにユダの罪があらわれていると思いました。一般的には、ユダの罪というのは、イエス・キリストを引き渡してしまったことだと言われます。もちろんそれもあるのですが、それだけであれば、イエスを「知らない」と否定したペトロと相対的な違いしかないと思います(マタイ26章69節以下)。しかしペトロは、その後、悔い改めをして方向転換をしますが、ユダは独りで後悔をして突き進み、自殺してしまいます。ユダは自分でしてしまったことの罪を自分で引き受けようとしたのです。そこがペトロとユダの違いであったのではないでしょうか。自分でしたことの責任を、確かに自分で担わなければなりませんが、独りで完全に担おうとするならば、誰しも自殺せざるを得なくなってしまうのではないでしょうか。しかし実はそこのところにイエス・キリストは立っておられるのです。そこのところでその罪の為に身代わりになって十字架にかかって死んでくださったのです。
この姿は先ほど申し上げたように、ピラトと対照的ですが、ひとつ共通しているものがあります。それはどちらも最後のところでは神様を信じていない、イエス・キリストを信じていないということです。この二人の取った決断にはイエス・キリストがかかわっていないのです。しかしこの二人がもう八方ふさがりだ、自分にはもうどうすることもできない、他に取る道がないと思っていたその先に、実はもうひとつの道が開けているのです。それが聖書の示す道です。
私たちは、イエス・キリストのゆるしの中においてのみ、自分の罪を直視することができます。そしてそこにおいてこそ、自分が今何をしなければならないかが示されるのです。そうでなければ、ピラトのように逃げ回るか、ユダのようにそれに耐えきれずに、自滅するしかありません。
少し逆説的な言い方をすれば、私たちは、自分が御手の中に置かれていることを知る時にこそ、責任的な決断をすることができるのではないでしょうか。そのところでは、責任を委ねるということと責任を引き受けるという一見矛盾するようなことが不思議な形で一つとなって結びついています。責任を委ねつつ、責任を引き受ける。ボンヘッファーという人も、そういうことを大切にした人であると思います。主に委ねつつも、逃げないで引き受ける。真剣ではあるが、硬直しない。まじめではあるが、ユーモアがあり、ゆとりがある。そこにこそ信仰者の大胆な生き方が示されているのです。ユダとピラトを反面教師とて学びつつ、その向こうに見えてくるイエス・キリストに、すべてを委ねつつ、責任的に従っていく弟子の道を歩んでいきましょう。