2010.11.21

音声を聞く(MP3, 32kbps)

「ご計画によって召された者たち」

陶山 義雄

詩編139,7-18; ローマの信徒への手紙8,28-30

 

 本日は、教会の暦によりますと、本年最後の主日で、終末主日と呼ばれています。また、同時に収穫感謝の聖日です。来週からは、待降節(アドヴェント)を迎え、私たちは喜びに包まれたクリスマスの季節に入ります。このような日に代々木上原教会の講壇を司る光栄に預かることが許されましたことを、主にあって、村椿牧師先生と役員会の皆様、そして教会員の皆様に心から感謝申し上げます。村上先生を補佐し、13年間この教会にあって協力牧師を至らないながらも勤めることができたのは、ただ今お読みしたロマ書8章28節、冒頭の言葉、「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たち」の交わりに支えられていたからであることを、心から告白いたします。この聖句は、9月の終わりに発行された、『代々木上原教会の教会便り』に私も一文を寄せた際に、引用させて頂いたところであります。「御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、私たちは知っています。」この中で「共に働く」と言うことについて、西方写本と呼ばれているギリシャ語聖書では、「万事が益となるように(神が)共に働いておられると言うことを、私たちは知っている」、つまり、神の働きによってそうなっていることを語っています。実際、代々木上原教会の誕生は、パウロが語るこの言葉が、その通りに成就していることを証ししています。

 ひと頃、大阪検察特捜部がフロッピーの日付を書き換えて、厚生労働省の事務次官を有罪に落とし込めようとしたことが大きく報道されました。私はこの日付書き換えを聞く度に、上原教会が1994年4月4日に東京都知事に提出した「借地建物消滅同意書」を思い出すのです。都庁側は93年度の予算で教会の移転保償を何とか済ませたかったのですが、地主と教会側の最終合意、それは、地主側が保障費分割の割合を教会側と五分五分にしようと、合意に難色を示して手間取ったために、提出が3月末日に間に合わず、4月に入ってしまったのです。95年度の予算から支給されるとなると、本当に支給されるのか、また、何時になるか、予算が十分に都の側に付かなかった場合には96年度に支給が先送りされるリスクもあったのです。ところが、東京都第七建設事務用地(水道道路拡張用地)第1課の責任者の方が、私共を呼び止めて下さり、提出日を4月4日ではなく、3月31日に書き換えるように奨めてくださったのです。予算が今なら残っているから、直ぐにでも支給できる、と申し出てくれたのです。もし、こうした助言と働きかけがなかったら、この教会は建たなかったかも知れません。村上先生と上原教会側の出会いが、1994年の6月を逃していたら、恐らく実現はしなかったかもしれません。大阪地検特捜部とは違い、日付を変えたのは都庁側と私たち双方が合意の上で変えたのですから、許されても良いでしょう。日付の変更にやや疚しさを感じていた私たちに、事務所の方が言われたのは、3月31日の日付で提出されても、仕事に取り掛かれるのは今ごろなので、事務所側には、3月31日も4月4日にも作業には全く変わりはない、と言われ、教会側を安心させて下さったのです。教会という公の建物を建てようとする私たちの祈りと願いを、相手の方々も理解し、地主側の引き伸ばしにあって、提出期限に遅れたことに同情し、後押しして下さった時、私たちの力を越え出た何かが働いて、奇跡が実現したと本当に感じざるを得ませんでした。ここにも神の御計画が働いていたことを私は信じています。実に不思議な、導きであったとしか考えられない出来事でした。

 『教会だより』に寄せた中身で、一点だけ補足しておかなければなりません。それは、村上先生の説教を毎回、心待ちにして伺っていながら、「最も重要な掟」(マルコ12:28-34マタイ22:34-40ルカ10:25-28/30-37、申命記6:5レビ記19:18)について村上先生がお話下さったことに異議を申し立てているかのような書き方をしまったことについて、痛く反省をしています。私の真意は先生を批判することではなく、福音という観点から聖書のメッセージを全て的確に捉えて私たちに語ってくださったことに、毎回、満たされた思いを持ち、心から感謝を申し上げたかったのです。唯、私は、分析的思考が強く、各福音書の記述の相違点に注目し、どれが、イエスの本物の言葉であるかを詮索する傾向があり、このような者が、講壇に立つのは相応しくないと、神様は私に次々と病いをお与え下さった。これも神のご経綸であると病いを得たことも感謝しています。しかし、代々木上原教会で指導にあたる先生方と役員の皆さんが、今回、このような機会を備えてくださった時、私に回心と撤回を求めておられるように受け止めました。実際、ガン患者は自分で病いに閉じこもる傾向をもっています。病気なら仕方がない、先ずは直すことなのだ。しかし、病気であっても、それを乗り越えて普段と変わりなく働き続ける方々を多く見ています。この会堂にあるパイプ・オルガンを設置するにあたり、ご尽力下さった吉田實先生は、ご自分が肺がんを罹っていることを夫人以外の誰にも明かすことなく、礼拝で最後の讃美歌を伴奏している最中にペダル鍵盤の演奏が出来なくなり、急遽、入院され、それから程なく天に召されました。最後まで現役に止まろうと精一杯、勤められたのです。1997年11月にこのオルガンが設置されて、吉田先生をお招きして披露演奏会を開いた時、先生は既に肺がんを患っておられたことも後から分かりました。礼拝で演奏中に倒れたのはそれから半年後のことでした。先生に倣って私も、もっと積極的に生きていけるように改めて行くことが「御計画に従って召された者たち」の集団に相応しい生き方であると、反省しています。

 

 先ほどお読みした詩編第139編は私の愛唱聖書なのですが、この聖句にも主の御計画に与かって生きる詩人の信仰が歌われています。

「あなたの御計らいは如何に貴いことか。神よ、それは如何にか数多いことか。数えようとしても、砂の粒より多く、その果てを極めたと思っても、わたしはなお、あなたの中にいる。」(139編第17〜18節)

この詩が大好きだ、と言うのは、私自身が歌われている様に思えるからであります。

「どこに行けば、あなたの霊から離れることができよう。どこに逃れれば、御顔を避けることができよう。」(7節

熱心なクリスチャンを両親とする家に生まれ、教会生活が凡てに優先される生き方を10代の半ばまで私も両親に倣って続けて来ましたが、中学3年頃から反抗期を迎えました。時には日曜日の教会を休み、受験勉強を理由にして家に閉じこもることが高校時代になるに従って増えて行きました。しかし、そう言う私を突然病いが襲いかかり、大喀血のあと、17歳にして寝たきりの状態に落ち入り、何時治るのか、あるいは、このまま人生が終わってしまうか分からない状態に落ち入って、初めて主の御意が何であるかを、自分でわきまえ、信仰の告白出来る様になりました。

 「わたしは言う。『闇の中でも主はわたしを見ておられる。夜も光がわたしを照らし出す。闇もあなたに比べれば闇とは言えない。夜も昼も共に光を放ち、闇も、光も変わるところがない。』」(11〜12節

 この言葉は本当にその通り、私に当てはまる告白です。また、「死が、そのまま滅びに終わらない、と言う、聖書の御言葉は、病める者、死に行く者にとっては大きな福音です。それが、本日ご一緒に読みました、ロマ書8章でパウロが証しする福音です。先ほどお読みした8章28節以下は、その結びにあたる部分であります。8章そのものは、パウロが「キリストを信じる信仰によって人は義とされる」ことを3章(21節)以来述べて来たのでありますが、その、信仰義認の頂点であり、結びをなすのが、8章です。掟や業によらず、信仰によって、人は神の前に立つことが許される。それは終わりの時に完成するのですが、その終わりを見つめながら現在、被造物の縄目である体の滅びから贖われることを待ち望む。肉の存在を今だ抱え持ち、死の縄目から解き放たれていなくても、霊によって神の子、つまり、死から贖われた生活が始まっていることをロマ書8章18節から述べたあと、28節以下では、終わりの日の勝利宣言へとパウロは筆を進めているのです。

 「凡ての造られた者は、虚無、すなわち、死の力に服しており、凡ての造られたものは、今日まで、共にうめき、共に生みの苦しみを味わっていることを、私たちは知っています。霊の最初の成果を頂いている私たち、キリスト者でも神の子とされること、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。わたしたちはこのような希望によって救われているのです。」(8章16〜24節)

「人生に希望さえあれば、どんな辛いことにも耐えられる」と語ったのはニーチェでしたが、聖書が教える、この希望を受け入れると、病状も、めきめき回復の方向へ向い、私は二年で床を上げ、4年目には東京神学大学に進むことが許されました。しかし、この事は、私個人の救いではありません。パウロの言葉に従えば、「神の子らの出現を待ち望む」集団があり、その交わりに加えられていたから、信仰と希望に与かることが許されたのである、そのように心から信じています。教会とはそう言う所なのです。「神の子ら」とは、何か神から遣わされて来た神的救済者と言う意味ではありません。死ぬべき定めを負った私たちが、キリストの死と復活に希望を託して、霊に預かってキリストと同じ姿に変えられる、という希望に生きてきた人々の集団が、「神の子ら」になるのです。今はまだその途上にある存在が私たちであります。それが、「神を愛する者たち、御計画に従って召された者たち」とパウロによって呼びかけられているキリスト者集団であります。これらの人たちには万事が働いて益となる。その中には、肉体的な滅びでさえも交わりの中で益となることを語っているのです。もとより、肉を纏った私たちは未だ、完全には霊的存在にまで高められてはおりません。しかし、「神は召し出された者たちを終わりの時には義とし、つまり、御子の姿に似た者として下さると言うこと、それが栄光に与かると言う、終末の出来事としてパウロは結びに語っています。

 

 今日は、終末主日です。終末を覚えながら礼拝を守ると言うことは、終わりの時に与かる栄光を見つめながら、今を生き抜く、という事であります。パウロは同じローマの信徒への手紙14章7節以下で、主の栄光に与かって今を生きる信徒の生き方について、こう語っています。

「わたしたちの中には、だれ一人自分のために生きる人はなく、だれ一人自分のために死ぬ人もいません。わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。キリストが死に、そして生きたのは、死んだ人にも、生きている人にも主となられるためです。」

この言葉には、終末に与かる恵みが今生きている私たちにも既に始まっていることを表わしています。生きている私たちは、要は、どれだけこの終わりの約束に向って、現在の自分を近付けて行くことができるのか、が問われているのです。それが、終末主日を守る意味であります。

 

 ご計画に従って召された私たちは、キリストが終わりの日に備えて下さる栄光を仰ぎ見ながら、地上に生きる旅人のような存在です。私たちは終わりに与かる栄光と、地上にあって時には惨めな状況に置かれて生きている、言わば二重生活者であります。しかし、どんな暗闇があっても、既に主の栄光を見ている私たちは、希望を持ち続けます。暗闇の行き着く先が、自分や親しい者の死であっても希望は消えません。霊によって行かされているからです。

 私はこの二重性を10代の後半、二年間、病床にあった時に聖書から知らされました。また、「モーツアルトの手紙」を読んでいるうちに、僅か22歳の1778年7月3日、旅先のパリで母を亡くしたモーツアルトの生き方の中に、この二重性を発見して、大変感銘を受けました。その時、受けた感動は今も私の中に生きています。旅先で母を亡くした悲しみは耐えがたいほど深くあったと思います。にも関わらずモーツアルトはザルツブルグにいる父親と姉に向って、慰めの言葉を手紙にしたためています。悲しみの中にあって、それに埋没するのではなく、乗り越える秘訣として3点をレオポルト(父親)とナンナル(姉)に書き送っています:

第一は、「全てを神様の御計画によるのであると心得て、一切を神様に委ねること」。 

第二は「お母さんは今や、一瞬にしてこんなにも幸福になっておられる。我々よりもずっと幸せの世界に引き上げられたのである」と信じること。そして、最後に、神様への信頼を厚く持っている限り、私たちも、また、終わりに日には、神の許でお母さんに再会できる」と信じることでした。モーツアルトが身内に送った3点はそのまま、「ご計画に従って召された私たち」にも当てはまることではないでしょうか。

 私は長い間、モーツアルトの個人的信仰が、このような境地を拓いていたものと考えておりました。しかし、それは間違いであると最近気付くようになりました。彼が作曲した数々の宗教曲、とりわけ、ミサ曲の典礼式文がモーツアルトの信仰を支えていたのではなかったか。彼にも、「神を愛する者たち」また、「ご計画に従って召された者たち」と言われる交わりと集団があって、彼らが生み出したミサ曲の式文がモーツアルトをあのように生かしていたのです。

 本日の礼拝で、去る10月24日の音楽礼拝で結成された、俄か聖歌隊にまた、お集まり頂いて、アヴェ ヴェルム コルプスを捧げて頂こうか、と当初、考えました。そうすれば、今申し上げたことを直々にお聞き頂けると判断したからです。でも、諦めました。練習期間が殆ど取れず、不充分の状態で捧げる訳にはいかなかったからです。

 アヴェ ヴェルム コルプスは彼が亡くなる1791年6月17日に作曲されました。完結した宗教曲としてはこれが最後の作品になりました。僅か46小節の短い曲の中に、イエスが世に遣わされ、人の罪を身に受けて十字架に着かれる悲劇的な様相が、死への旅支度をしているモーツアルトの心境と重なって、悲しみに胸がつまるような旋律で歌い始められています。しかし中段からはイエスの裂かれた体から溢れ出る恵みに注目し、天の恵みにあずかっている作者の境地が二重線になって歌われています。最後の段落では祈りとなって、「どうか、イエスの犠牲が私たちにとって、死の模範を先取りして(地上にあって)私たちが味わい生きる者とならせてください」と結んでいます。

この最後の段落こそ、最も感銘深い曲であり歌詞なのですが、原 恵さんの訳ではこう歌われています。「み体裂かれて血潮は流れぬ。かしこみ受くれば、今ぞ、くすしき、御糧を給え」 原作のラテン語 esto nobis praegustatum in mortis examine を曲に載せて日本語で歌うのは大変難しいばかりでなく、翻訳そのものが困難ですが、「私たちにとって、死の模範を先取りして(地上にあって)私たちが味わい生きる者とさせて下さい」と意訳すれば、このミサ曲の真意が伝わるようの思います。

 

 今日は終末主日です。モーツアルトがミサの典礼式文から、終わりの日に与かる神の恵みを今、地上にあって生きる道を学びとっていたように、私たちは聖書の御言葉から同じ恵みを今日、頂いています。「神はあらかじめ定められた私たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、義とされた私たちに栄光をお与えになったのです。」

栄光を仰ぎ見ることを許された私たちですが、なお残る地上での営みを、最後に頂く栄光に向かって、この一週間も励んで行くものでありたいと祈ります。

 

今日はまた、収穫感謝の聖日です。交読詩編で126編を読み交わしましたが、この歌人がバビロンに捕らえられている捕囚の同胞を思いながら、彼らの祖国への帰還を収穫感謝に結び付けて歌っておりました。

「涙と共に種を蒔く人は、喜びの歌と共に刈り入れる。種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は、束ねた穂を背負い、喜びの歌を歌いながら帰ってくる。」(詩編126編5-6節)

解放の、終わりの日には、収穫の喜びに与かることを望みながら、その途上にある今、私たちも達し得たところを喜び、感謝の心をこの礼拝にあって神に捧げる者でありたいと思います。」神を愛する者たち、御計画によって召された私たちにとっては、収穫の良し悪しを規準にするだけでなく、達し得た所を喜び、感謝を捧げることが出来るからであります。そして終わりの日には豊な収穫が約束されていることに望みと信頼をおいて、明日からまた働きに出ることが出来るのではありませんか。

 明日がないかも知れないと覚悟しながら床についたモーツアルトは、朝、目が覚めると、今日という一日を頂いた神に感謝の祈りをモーツアルトは捧げていたと言うことですが、そのような姿の中に、「終わりから今を生きる人、どんな小さな成果でも、神から頂いた収穫として受け止める信仰者の模範を見ることが出来るように思います。終末主日が収穫感謝と結びついた今日の礼拝に与かることが許され、感謝を捧げたいと思います。



礼拝説教集の一覧
ホームページにもどる