テモテは、小アジアのリストラで生まれた。母はユダヤ人キリスト教徒、父は異教徒である。この青年とパウロが知り合ったのは、パウロが第二次宣教旅行の途中でこの町に立ち寄った時であった(地図3参照)。そして、テモテの人柄に感銘を受けたパウロは、彼の宣教旅行に一緒に来て欲しいと求めたらしい。使徒言行録17章以下にテモテの名が時々現われるようになったのは、そうした経緯による。
パウロは、テモテを「信仰によるまことの子」(1章2節)と呼ぶ程に深く信頼し、しばしば重要な仕事を任せた。1章3節を読むと、テモテがその時、教会形成の任務を帯びてエフェソに残っていたことが分かる。そしてパウロは、この若き同労者に牧会上の助言を書き送った。まず第一に勧めたのは、「願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい」(1節後半)ということであった。「すべての人々のために祈ること」が何よりも大切な務めだ、というのである。
私は17歳の時、八戸柏崎教会で渡辺正牧師から受洗したが、彼は持てる知識をすべて惜しみなく注いで私を指導してくれた。聖書については無論のこと、ドストエフスキーやモーリヤックなど世界の偉大な文学の世界に目を開いてくれたのも渡辺先生である。詩人・八木重吉についても教えてくれた。彼自身が詩人であった。彼を通して、私は中勘助の『静かな流れ』や『沼のほとり』といった静かな作品を知り、心を惹かれた。だから、中勘助という名は実に懐かしい。
ところが、先日、本屋で偶然、鈴木範久著『中勘助せんせ』という本を見つけた。著者の元立教大学教授・鈴木範久氏とは面識はないが、内村鑑三の研究者ということは知っていたし、以前私が牧師として働いていた岡崎の出身ということもあって、常々親しい感じを持っている。そこで、私は直ぐこの本を買い求め、一気に読んだ。
読んでいる内に、もう一つの接点があることに気がついた。私が安城で開拓伝道をしていた頃、市内の病院に結核で長く入院していた一人のキリスト者と知り合い、時々病床を訪問していた。加藤喜美子さんという。この人が、1953年の春、私が安城に赴任する2年前のことだが、病床で中勘助の作品を読んで心を打たれ、作者に宛てて手紙を書いたというのである。この手紙は、中勘助の胸を強く打った。こうして、中勘助と加藤喜美子との間に文通が始まり、両者の魂の交流は次第に深まっていく。勘助は、京都などへ旅する時にはわざわざ安城で途中下車して、何度か病床を訪ねた。こうした経緯が、この本には詳しく書いてあった。
不思議な縁というべきか。私はこの本によって、実に40年ぶりに、加藤喜美子さんのことを、特に、ある日の会話のことを思い出した。その時、彼女は「私は毎日忙しくて、時間が足りないくらいです」と言ったのだ。思いがけない言葉に、私がそのわけを訊ねると、「お祈りのためよ」と言う。沢山の人の名前を書いた小さな手帳が枕元に置いてあり、彼女は毎日それを開いて一人ひとりの名を呼び、その人たちのために祈る、というのである。「願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい」という聖書の勧めを、彼女は忠実に実践していたのであった。
さて、今日のテキストに戻る。「すべての人々」の中には「王たちやすべての高官」(2節前半)も入る。歴代のローマ皇帝や、その政府機構で責任ある地位についている役人たちのことだ。彼らは本来、人民が「平穏で落ち着いた生活を送るために」(2節後半)立てられているのだから、彼らのためにも祈るべきだ、というのである。
ところで、戦時中ドイツにマルチン・ニーメラーという牧師がいた。ボンヘッファーらと共に「告白教会」に結集してナチスに抵抗した人である。そのために1937年に逮捕され、45年まで8年間、ダハウの強制収容所に閉じ込められていた。
このニーメラーが、戦後、1966年に日本を訪れた際、自分が見た不思議な夢の話を繰り返し語った。―― 向こうから輝く光が射してくる中に一人の人物の影が立っている。どうやら、それはヒトラーで、神の裁きを受けているらしい。「何故、お前はあんなにひどいことをしたのか」と責められて、そのヒトラーとおぼしき人物は、「誰も私に聖書の真理を語ってはくれませんでした」と答えた。これを聞いて、ニーメラーは戦慄し、ぐっしょり冷や汗をかいて目が覚めた、というのである。
ニーメラーは、告白教会の代表として何度かヒトラーと会ったことがある。だが、その時、自分は彼に聖書の真理を語っただろうか? 彼が過ちを悔い改めるようにと真剣に祈っただろうか? そうしようと思えばできた筈なのに、自分はヒトラーを批判するばかりで、彼のために祈ろうとしなかった。このことが彼を苦しめたのだ。
「願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のために・・・王たちやすべての高官のためにもささげなさい」という勧めは、権力に迎合せよということではない。また、「愛国心」を名目に「ひいきの引き倒し」をすることでもない。4節に「神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます」とある。この神の意志を信じて祈ることである。それは、通常は支配者に対する神の支えを祈願することであるが、非常時には、支配者に対する神の厳しい裁きを求めることにもならざるを得ない。それが、「人間に従うよりも、神に従わなくてはならない」(使徒言行録5章29節)という戒めの具体的な意味内容なのである。ボンヘッファーは、故国ドイツが戦争に敗けることを祈り求めたという。私たちの祈りにはそういう形もあり得る、ということを知っておくべきではないだろうか。