今日の説教では「宗教改革」の意味について述べたいと思うが、いくらか「講義調」になることは避けられそうにない。それはお許し頂きたい。
私たちの教会は、日本基督教団に属する。つまり、「プロテスタント」の教会である。「プロテスタント」とは、大まかに言えば、マルチン・ルターによって始められた「宗教改革」の流れを受け継ぐ教会のことである。本日の週報の『牧師室から』という欄にも書いたように、それは1517年10月31日に始まった。その時、彼は「免罪符問題」に関連して、カトリック教会の方針に抗議(プロテスト)したのであった。そこから「プロテスタント」という呼び名が生まれたのである。
もちろん、「プロテスタント」といっても単純ではない。ドイツでは16世紀半ばまでに「ルター派教会」が根を下ろしたが、スイスでは、ルターの影響を受けたツヴィングリがチューリッヒを中心に改革を推進し、1525年には町全体がこの新しい信仰に改宗している。他方、1533年頃からは、フランス人のカルヴァン(1509年生まれ)が、スイスのジュネーブを中心に強力に改革を推し進め、市民生活も含めて信仰的な生活の新しい形を造り上げた。こうして成立したのが「改革派教会」である。これはやがて、オランダ、スコットランド、さらには南アフリカなどに広まって行く。
このように、源流はルターの宗教改革にあったとしても、その流れは時代の変化とともに枝分かれし、それらはさらに多くの教派に分かれて、今では「プロテスタント」に属する教会は世界中に無数に存在する。これらプロテスタント系の諸教会は、教義や実際面で細かい違いはあるが、大筋においては、いわゆる「宗教改革の三大原理」に立っていると言うことができるであろう。では、「三大原理」とは何か?
ところで、代々木上原教会はこれから来年にかけて大きな転機を迎える。この時に当たって、私たちは「私たちの教会はどのような教会であるべきか」という問題を改めて考えさせられている。基本的に言えば、それは、「宗教改革の三大原理に拠って立つ教会」ということになるのではないだろうか。
今日は、第一の「タダ信仰ニヨッテノミ」ということについて述べたい。
人は律法の義を行うことによってではなく、ただ信仰によって神の前で義とされる。これは、ルターが単に頭の中でひねり出した神学理論ではない。彼がこの確信に達するまでには、血の滲むような苦悩と、それに勝る喜びがあったのである。若き日に修道院に入った彼は、その規律に忠実に従い、律法の定める「義」に達するために日夜努力していたが、努力すればするほど自分の罪と弱さを思い知らされた。私たちにも似たような経験があると思う。そのために、彼は「<神の義>という言葉を憎んだ」という。「もし誰かが私に略奪を働いても、私は<神の義>という言葉を聞くときほど苦しむことはなかったであろう」と彼は書いている。彼は、暗い顔をしていた。
ある日、修道院長シュタウピッツがそのことに気づき、「君は自分の弱さだけを見つめていてはいけない。キリストと呼ばれるあの方を見上げるようにしなさい」と忠告した。そのことが、転機をもたらすきっかけになったのだろうか、ルターはやがてローマ書1章16-17節と出会う。そして、聖書の言葉の驚くべき力に打たれた。
彼はこう書いている。「私は長い間、誤りのうちにおり、自分がどこにいるのかも分からずにいた。・・・このような状態は、私がローマ書1章の『義人は信仰によって生きる』という言葉にたどり着くまで続いた」。続けて彼は次のように書く。「遂に私は神の義を、義人が信仰によって生きるように導く義として理解し始めた。<神の義が福音を通して啓示された>という言葉の意味は、・・・憐れむ神がわれわれを信仰によって義とする、そのような義だということである。・・・ここで私は正に生まれ変わったように感じた。そして開かれた門を通って正に天国に入ったように感じた。その時たちどころに、全聖書が私にとって全く別の姿を示すに至った・・・以前に私が<神の義>という言葉を憎んでいた憎しみが大きかっただけ、それだけ一層大きな愛をもって、私はこの言葉を・・・極めて甘美な言葉としてほめたたえた」。
このことが起こったのは、1516年、つまり、彼が『95か条の提題』を張り出した前の年だと言われている。このことは重要である。つまり、宗教改革は、単なる論争からではなく、人間としてのこの深い「喜び」から始まったのだ。私たちの教会も、この「喜び」から歩き始め、この「喜び」に満たされて歩み続け、この「喜び」を互いに分かち合う教会でありたいと切に願うものである。