2009.9.13

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「賛美しながら戻って来る」

村上 伸

列王記下5,1-14 ; ルカ福音書17,11-19

先週、私はルカ福音書10章25-37節、つまり、「善いサマリア人」のところをテキストとして説教した。あの場面で「サマリア人」が登場することには特別な意味があるのだが、私はその時、別のことに焦点を合わせて話したので、サマリア人の問題にはほとんど触れなかった。そのサマリア人が、今日の箇所にも出てくる。今日こそはこの問題を取り上げなければならない。

サマリアとは、地図にもあるように、一般にユダヤとガリラヤの中間にある地域を指すが、本来は紀元前870年頃に北王国イスラエルのオムリ王が建てた町の名である。これが北王国滅亡の時まで首都であったので、周辺地域もサマリアと呼ばれた。

紀元前8世紀半に、アッシリヤの王シャルマナサルが大軍を率いて北王国イスラエルを攻撃し、紀元前722年には首都サマリアを占領した。その2年後に、次の王サルゴン二世によって住民はアッシリヤに強制連行され、サマリアはアッシリヤの属州となった。その結果、他の地域から多数の異民族が入って来て、混血も起こったし、異教とイスラエル宗教との「混淆」も始まった。すなわち、人々は「ヤハウエを畏れ敬うとともに、自分たちの偶像にも仕えた」(列王記下17,41)のである。

エルサレム神殿を中心にヤハウエ信仰に立っていたユダヤ人は、このことを「怪しからん!」と見たのだろう、サマリア人を疎んじるようになった。ユダヤ人が「サマリア人と交際しない」(ヨハネ4,9)と言われるのは、こういうことがあったからである。今日のテキストを読む際、以上のことを念頭に置いて頂きたい。

さて、今日のテキストに目を向けたい。イエスはエルサレムに向かって旅を続ける途中、サマリアとガリラヤの境のある村で、「らい病を患っている十人の人」(12節)に迎えられたという。ここでも少しばかり注釈を加えるが、この「らい病」は、いわゆる「ハンセン病」と同じではない。新共同訳のレビ記は、やや一般化して「重い皮膚病」と訳している。ヘブライ語では、衣服や家につく「カビ」と同じ言葉だという。

さて、この「重い皮膚病」にかかった場合、病人はどのように対処すべきかということについて、レビ記13章に詳しい規定がある。祭司によって「汚れている」と判断された人は、「衣服を裂き、髪をほどき、口ひげを覆い、『わたしは汚れた者です。汚れた者です』と呼ばわらねばならない。・・・その人は独りで宿営の外に住まねばならない」45-46節)というのである。要するに、病人は健常者に近づくことを厳しく禁じられた。今日のテキストに、十人の人が遠くの方に立ち止まったまま、声を張り上げた」12節)とあるのは、その規定に忠実であったことを示している。

もっとも、病人は一定期間を経た後でもう一度祭司に見せ、「清い」と判定されたら、清めの儀式をしてもらった上で元の生活に戻ることが許されていた。だから、全く絶望というわけではない。しかし、たとえ短い期間であるにせよ、「汚れた者」として共同体のあらゆる交わりから排除されねばならないというのは、辛いことである。それ故に彼らは声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」(13節)と叫んだのだ。このところを、本田哲郎神父は、「われわれの苦しみを分かってください」と訳している。

もちろん、イエスには彼らの苦しみが分かっていた。イエスは人々の苦しみに対して常に敏感であり、彼らと苦しみを分かち合った。だが、それだけではない。彼は、この十人の体の汚れが必ず拭い去られ、清められることを確信しており、その希望をも彼らと分かち合った。「苦しみが分かる」というのは、そういうことである。「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」14節)という言葉は、イエスが彼らと希望をも共有していたことを示している。あなたがたは既に清められている。そのことを祭司に確認してもらいなさい。この、真の意味での「同情」と「希望」に満ちた言葉が、彼らを送り出したのである。そして、彼らは「そこへ行く途中で清くされた」。

だが、問題はそれからである。このようにイエスの言葉に励まされて癒された十人のうち九人まではユダヤ人だったが、彼らは有頂天になって舞い上がり、どこか別の所に行ってしまった。こういう場合、彼らが先ずしなければならないことは、感謝して原点に戻り、この喜ばしい結果をもたらしたのは誰かということを確認することである。ユダヤ人はそれをなおざりにした。

ただ一人だけ、「自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た」人がいる。彼は「イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった」(15-16節)。

自分たちは常に正しいと思い込んでいたユダヤ人は、実際には正しい生き方をしていなかった。これに対し、ユダヤ人が普段から軽蔑して見下しているサマリア人は、実際上正しい生き方をしたのである。

「善いサマリア人」の話もそうであった。ユダヤ人の正義を代表する祭司やレビ人は、旅人が苦しんでいるのを見て見ぬふりをし、「道の向こう側を通って行った」のに対し、彼らから軽蔑されているサマリア人は「その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います』」。

「我々はしばしば、論理的には正しくても、倫理的には正しくない」と言ったのはカール・バルトだった。「この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか」18節)というイエスの言葉は、我々に強く反省を促すものだ。



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