一昨日の「受苦日」には、我々は特別の祈祷会に集まって、西洋の代表的な画家たちの絵をスライドで見ながら、彼の苦しみに思いを馳せることができた。マルコ福音書15章25節によると、イエスはその日、「午前九時」に十字架につけられたというから、我々が祈っていたその頃が、イエスにとって最も苦しい時であったことになる。
そして、「昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた」(同33節)。この暗黒は、イエスのように愛と真実に満ちた方が理不尽にもこのような苦しみを受けねばならないという暗い現実の象徴であろう。パウル・ゲルハルトの詩に、「血しおしたたる主のみかしら / とげに刺されし主のみかしら / 痛みと恥にやつれし主の / 痛ましきさまだれのためぞ」(讃美歌21、311番)とある通りである。
だが、この暗黒は、最後まで耐えておられたイエスの苦しい心の内をも象徴している。イエスは大声で、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(同34節)と叫ばれた。そして、もう一度「大声を出して息を引き取られた」(同37節)。こうして彼は、絶望の中で死に、墓に葬られたのである。全地が暗くなったということは、このことであろう。
死はすべての苦しみからの解放を意味するということは本当である。だが、イエスは墓を最後の安住の場所として、そこで「安らかな眠り」についたわけではない。
私は、J・S・バッハの「マタイ受難曲」が大好きで、受難節に入ってからほとんど毎日のようにこの名曲を聴いていた。ことに最後の美しい合唱には、聴く度に心を揺さぶられる。「我ら涙と共にひれ伏し、墓の中なる汝に呼ばわらん。憩い給え安らかに、安らかに憩い給え!」
だが、この最後のフレーズに、私はいつも微妙な違和感を覚える。バッハが「<この墓の中で>いつまでも安らかにお休み下さい」という意味でこの合唱曲を書いたのだとすれば、それは違うのではないか。イエスは、いつまでも墓の中にはいなかったのである。これが福音書の告げるところだ。
三日目の朝、三人の女性たち、すなわち、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、それにサロメがイエスの亡骸に香料を塗るために墓に行くと、墓は空っぽであったという。それがどういうことなのか、マルコ福音書には詳しい説明が何一つない。ただ、「墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた」(16章5節)と書いているだけだ。そして、この若者は、恐らく天使であろうが、「あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない」(同6節)と告げた、というのである。
イエスは復活した! いつまでも墓の中に留まってはいない。これは人知を超えた真実である。何も説明がないということは、そのことを意味しているであろう。この真実を告げることができるのは天使だけだ。そして天使は、「あの方は、あなた方より先にガリラヤへ行かれる」(同7節)と言うのである。
「ガリラヤへ行く」とはどういうことか?
ガリラヤは、イエスにとっては、いわば「いのちの現場」であった。彼が生まれたのはガリラヤのナザレである。「時は満ち、神の国は近づいた」(マルコ1章15節)という彼の最も中心的なメッセージを語り始められたのもガリラヤである。シモン・ペトロをはじめ大切な弟子たちと出会って一緒に歩み始めたのもガリラヤである。ガリラヤで、イエスは汚れた霊に取りつかれた人々や多くの病人を癒された。ガリラヤで、イエスは、貧しさ・差別・偏見などに苦しむ人々に親しく近づいて行き、彼らに生きる希望を与えられた。モーセ律法の原理主義的理解という呪縛から人々を解放して自由の喜びを与えたのもガリラヤである。
そのガリラヤへ、つまり、イエスと彼が愛したすべての人々の「いのちの現場」へ、復活したイエスは行くのである。弟子たちよりも先に行くのである。だから、弟子たちは「そこで[イエスに]お目にかかれる」(7節)。
このようにして、イエスのいのちは続く。「イエスの事柄はなおも前進する」(W.マルクセン)のである。復活とは、このことに他ならない。