20節に「祭りのとき」とあるが、これは「過越祭」のことだ。ニサンの月(太陽暦の3-4月)の14日の夕刻、春分に近い満月の夜に祝われた祭りで、イエスはちょうどその頃にエルサレムに入り、十字架につけられた。このことには深い意味がある。
だが、そのことを考える前に先ず、過越祭の由来について述べておきたい。
出エジプト記12章によると、エジプトで奴隷であったイスラエル民族は、主(ヤハウエ)がお遣わしになったモーセによって解放されるが、その直前、「傷のない一歳の雄の小羊」(5節)を犠牲として屠るように命じられる。この指示に従って民は小羊を屠り、「その血を取って・・・家の入り口の二本の柱と鴨居に塗り」(7節)、その「肉を火で焼いて食べ・・・酵母を入れないパンを苦菜を添えて食べた」(8節)。
その後で、ヤハウエはこう言われた。「その夜、わたしはエジプトの国を巡り、人であれ、家畜であれ、エジプトの国のすべての初子を撃つ」(12節)。これは衝撃的だ。解放の喜びが、多くの初子の血によって血ぬられたのである。人間であれ家畜であれ、初めて生まれた子は特に大きな喜びであり、将来への希望そのものではないか。その初子がすべて殺されるとは何ということだろう。我々には理解できない。
ただ、その際「あなたたちのいる家に塗った血は、あなたたちのしるしとなる。血を見たならば、わたしはあなたたちを過ぎ越す」(13節)と告げられた。この「過ぎ越し」のお陰でイスラエルの初子は死なずにすみ、民族は無事に解放されたのであった。解放を記念する祭りが「過越祭」と名づけられたのは、ここから来ている。
熱心なユダヤ教徒の家庭では今でも小羊を屠り、その肉を火で焼いて食べ、酵母を入れないパンと苦菜を食べるという習慣を厳格に守っているという。それは、民族解放の歴史を、つまり「民族の記憶」を、子々孫々に伝えるためだ。
しかし、記憶して後世に伝えなければならないのは、「イスラエル民族が救われた」という、自民族中心の歴史観ではない。あの出来事の陰では、無数のエジプトの子供たちが死んでいる。もちろん、これは先祖たちの直接の責任ではないであろうが、少なくともこの事実は、「民族の記憶」の中に入っていなければならない。
イエスは、「過越祭」の最中にエルサレムに入り、弟子たちと「過ぎ越し」の食事を共にされたが、今日のテキストによると、そこへギリシャ人(異邦人)が登場する。これは象徴的だ。イエスがエルサレムに入られたのは、「民族の記憶」をより大きな世界的な視野の中に置くためではなかっただろうか。
確かに、イスラエル民族は苦難から救われた。だが、自民族のことだけを考えていたのでは、この「民族の記憶」は本当の意味では伝えられない。イスラエルが解放の喜びを味わっていた時、同時に多くのエジプトの子供たちがその命を失い、親たちに大きな悲しみを与えている。これが世界の歴史なのである。そのことも含めて考えなければ、現在のイスラエルのような偏狭なナショナリズムになる他はないであろう。
さて、ヨハネ福音書11章45節以下によると、主イエスがエルサレムに入ったとき、既にこの都では、イエスを殺害する計画が半ば公然と進行中であった。まだ躊躇っている人たちもいたが、時の大祭司カイアファは、「一人の人間が民の代わりに死に、国民全体が滅びないで済む方が、あなたがたに好都合だとは考えないのか」(50節)と言って彼らを説き伏せた。こうして、イエスは、「過ぎ越し」の夜に納得できないまま命を失った多くのエジプトの罪なき子供たちと同じように、罪もないのに死ななければならないことになった。
このことを覚悟の上で、イエスは都に入ったのだ。それまで、ヨハネ福音書は「イエスの時はまだ来ていない」(7章30節)という言い方を繰り返してきたし、イエスご自身も、「わたしの時はまだ来ていない」(同6節)と言っておられた。だが、今やその時が来たのだ。「人の子が栄光を受ける時が来た」(23節)。そして、この「栄光を受ける時」とは、「十字架の時」に他ならない。
それと結び付けて、イエスは「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」(24節)と言われたのである。この聖句は、新約聖書の中でも最も有名なものの一つであろう。広く知られた言葉だけに誤解されることも多い。一番多い誤解は、自然現象から引き出した一般的な人生訓であるかのように理解することである。だが、むろん、これはそれだけの言葉ではない。もっと具体的に、イエスの十字架の「死」を指している。そして、それは単なる「死」ではない。多くの実を結ぶ犠牲の「死」なのである。
ここで、ヨハネ福音書がイエスを「過ぎ越しの小羊」に擬えていることも付け加えておかなければならない。過ぎ越しの小羊は無垢のまま屠られ、その血によって民を救った。イエスの十字架にもそのような意味がある。だから、洗礼者ヨハネはイエスを見たとき、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」(1章29節)と言ったのである。その翌日も、ヨハネは同じ言葉を繰り返す。「見よ、神の小羊だ」(同36節) 。
マティアス・グリューネヴァルトの「キリストの十字架」という絵がある。第二イザヤの、「輝かしい風格も、好ましい容姿もない」(イザヤ書53章2節)という言葉そのままに、恐ろしい苦しみを極みまで味わい尽くして死んで行かれたイエスの苦悶を描いて余すところがない。その足もとに、十字架を肩に担いだ小羊が描かれている。胸には傷口が開き、そこから血が流れ出て、聖餐式の杯を満たしている。これも、イエスが「世の罪を取り除く神の小羊」であるという信仰の告白なのである。