I
イエスに従うことは、私たち皆にとっての関心事です。キリスト教はたんなる心の持ちようではなく、具体的な生の実践です。信仰は個人の趣味でなく、神の前で世界をどう形成してゆくかに関わります。愛とは同じグループに属する人々を大切にすることを超えて、イエスが教えたように敵を愛すること、悪に対して悪で報いず、敵に対しても友愛的な態度を基本とし、そしてすべてがうまくゆけば敵から友を作りだすことを意味します。そして生きることは自己利益の拡大再生産ではなく、命を分かち合うこと、つまり所有や食べ物、権利や知識を、場合によっては自己犠牲を覚悟で分かち合うことです。
しかし家族という問題があります。古代世界における「家族」は現代よりも範囲が広く、親族や一族を含みます。その外側には「父の町」つまり故郷があり、これらが一体となって個人のアイデンティティーを形成していました。家族は社会関係の基礎単位でした。しかしイエスはその「父の家」を出て、故郷を喪失した放浪者として生きました。今日のテキストの背後には、彼のそうした生活様式があります。
イエスはなぜ故郷と父の家を捨てたのでしょうか? 青年期に特有の反抗心や独立心のため、あるいは突然にこれまでの生活に嫌気がさしたというのではなさそうです。一番大きな理由と思われるのは、この世界を一新する神の支配が到来するという確信をイエスがえたことです。全宇宙をリニューアルする神、これまで無資格と思われていた人々を「神の子」とする神というメッセージの前では、何々家の娘・息子である、誰それの母・父である、あるいは親族であるという血縁地縁にもとづく家族関係、さらには何民族に属するかといった地上的な帰属意識は、最終的な重要性を失ったのだと思います。救いをもたらす神がこの世界に来るというメッセージを伝えるために、イエスは家を出ました。
ですからイエスは、社会で「罪人」といわれた人々と共同の食事式を行い、祝宴としての「神の国」の前夜祭を祝いました。「穢れている」「悪霊に憑かれている」とされた病気の人々を治癒することで、穢れを清める神の力の働きを証明しました。またたくさんの譬えを語ることで、神が開いた新しい状況にふさわしく生きるためのヒントを人々に与えました。
II
しかしイエスの生活様式は、当時のイスラエル社会の人々にショックを与えました。本日のテキストは、イエスに倣って故郷を捨て、彼とともに放浪の宣教活動に従事することを志願する者にイエスが教えを与えるという文学形式を通して、彼が当時の社会に与えた衝撃について証言しています。
第一の言葉(57-58節)によれば、イエスは故郷喪失者です。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない」。――通常、人間には定住地があり「家」に暮らすけれど、野を行き、空を飛ぶ動物たちには「家」がないと考えられていました。しかし両者の関係は逆転されます。じつは野生動物にはちゃんとねぐらや巣がある一方で、イエスには定住地がありません。彼はこれまで生きてきた自らの社会的アイデンティティーを放棄し、身元不明の人間として生きました。現代風にいえば、住民票やパスポートのない人になったといえるかもしれません。
第二の言葉(50節)によれば、神の国の宣教は肉親の埋葬よりも優先されます。「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を言い広めなさい」。――何という衝撃的な言葉でしょう。肉親とりわけ親の埋葬は、古代世界のどの文化や民族においても、何をさしおいてもまっさきにすべきことと見なされていました。ほとんど不文律です。
例えば古典期ギリシアの悲劇詩人ソフォクレスの作品『アンティゴネー』では、同名の女性主人公の兄弟が「父の町」に叛くかたちで戦死したとき、王は反逆者の屍を野にさらすよう命じ、その埋葬を禁じます。これに対して兄の埋葬を決意したアンティゴネーは言います、「神の掟に従って、人間の掟に背いてやります」(第74 行、柳沼重剛・訳)。あるいは「殿様のお触れと申しても、殿様も所詮死すべき人の身ならば、文字にこそ記されてはいないが確固不抜の神々の掟に/優先するものではない」と(第453-5行)。
ユダヤ教においても、肉親を埋葬するときにはいろいろな宗教義務が免除されました。神官階級の人々は、通常、死体にふれて我が身に穢れを招くことは禁じられていました。しかしとりわけ肉親の葬儀にさいしては、そうした禁止はしだいに緩和されていったようです。
ところがイエスは、死者たちの埋葬は死者たちに委ねよと言います。もしかすると彼は、じきに神が死者たちを起こすのだから埋葬行為そのものには大した意味はない、と考えていたのかも知れません。
第三の言葉(61-62節)は、イエスと弟子の師弟関係のラディカルさを浮き彫りにするものです。当時のユダヤ教にも、ラビとその弟子たちの関係がありました。そのさい弟子には、ある一定の期間、特定の教師のもとで研鑽をつんだのちに他の教師の門を叩くこと、つまり先生を換えることが当然のように認められていました。これに対して、イエスに従うことは明らかに一生の決断です。さらにイエスとともに「神の国」の宣教に参加することは、家族に別れを告げることにも優先するとイエスは言います。
「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」というイエスの発言は、おそらく預言者エリヤがエリシャを弟子に召す場面を受けています(列王記上19,19-21)。エリシャは牛に鋤を引かせて農業に従事していました。そのエリシャに預言者エリヤは自分の「外套」を投げかけます。おそらくこれは召命の象徴行為です。エリシャが両親とのいとま乞いを求め、エリヤはこれを認めました。これに対してイエスは、「鋤に手をかけた者は前に進むべきである」と述べて、神の国の宣教は家族への挨拶よりも、もっと緊急の課題だとするのです。
III
このようにイエスの言葉を見てくると、彼の生き方と私たちの生き方の実際的な違いが、いやでも目に飛び込んできます。
私たちはほとんどの場合に定住し、家族生活を営んでいます。プロテスタント教会では牧師も一市民として、家族とともに生きています。イエスのようなかつての放浪の説教者たちは、後の時代に荒れ野の修道僧たちになり、やがては修道会へと制度化されてカトリック教会の組織に統合されました。その場合、修道士や修道女たちは独身を貫きはするものの、修道会は彼ら・彼女らの「定住地」に近いものであり、その点で鳥のように自由で、法的・社会的保護を受けないイエスの生き方とは、やはり隔たりが感じられます。
次に葬儀は、現在では、教会が行う大切な宗教行為の一つです。私たちはもはや〈君たちの死者たちをして死者を葬らしめよ〉とは言いません。なるほど、世の終わりに神が死者たちを起こすという希望は保持されていますが、だからといって葬儀が実質的に無意味であるとはもはや考えないのです。
そしてキリスト教の宣教活動は、家族との別れすら禁じるほど緊急のものとは、もはや受け止められていません。むしろ家庭こそが、まず宣教が行われるべき場所であると見なされています。社会においても企業で働く単身赴任者にも、家族のもとに帰るための休暇があり、それは軍隊に入隊した兵士たちにとっても同じことです。
IV
こうしてイエスの言葉は、当時も今も、異質なものであり続けています。それでも私たちが、彼の言葉から学ぶことができることに、以下のものがあると思います。
第一は、「物乞い」をしながら生きるという実践が社会に与えうる強いインパクトです。
モラフはとにかく全部が卑劣下賤の行為でもなかつた。時としては相手の精神上の欠陥を充し、もしくはこちらの好意を表示する場合もあつたので、所謂嗟来の食(さらいのしょく=無礼な能度で与える食事)とは日を同じうして談ることが出来なかったのである。或はモアヒといふ語と関係があつたのでは無いか。さうで無くてもモルといふ語は、少なくとも起りは一つであらうと思ふ。即ち多くの人の身のうちに、食物によつて不可欠の連鎖を作るといふことが、人間の社交の最も原始的な方式であつたと共に、人は是によりて互ひに心丈夫になり、孤立の生活に於ては免れ難い不安を、容易に除き得るといふ自信を得たのである。(前掲・礫川24 頁)
物乞いとは、貧富の差を超えて、人と人を結び合わせる行為だったのですね。さらに無一物の無宿者に食事や酒を振舞ってやる村人の一人が、「私は神仏を拝むのも、人に功徳をほどこすのも一つ事だと思いまして」と述べたという報告もあります。人に功徳を施すことそれ自体がすでに信仰の表現だということでしょう。日本にも、放浪生活に人生の実相と宗教的次元を認める伝統があるのです。
第二にイエスの言葉は、死者の埋葬が永遠の別れを意味しないことを私たちに教えています。教会の葬儀でも、必ず復活と再会への希望が語られます。
そして第三に、神が私たちに与える使命の優先性について。アレン・ネルソン『戦場で心が壊れて――元海兵隊員の証言』(2006 年)という小さな本をご存知でしょうか。彼は18 歳のとき、すなわち1966 年夏から13 ヶ月、沖縄の米軍基地から出撃してベトナム戦争に従軍し、除隊後は長い間いわゆるPTSD (心的外傷後ストレス障害)で苦しみ、治療を受けた経験の持ち主です。現在はイラク戦争その他に従事した(女性を含む)兵士のPTSD について、報道されるようになりました。こうした人々は、戦場でとりわけ子どもや女性を殺害した経験が、容易に癒えることのない心の傷になっているそうです。ネルソンさんの場合も、まったく同じです。彼は2005 年、日本のNGO の支援をえてベトナムを再訪し、かつての戦場であったダナン市が主催する集会に参加します。そしてかつて自分が行い、自分を苦しめ続けた残虐行為を具体的に告白して、事実上の遺族を含む当事者たちの前で率直に詫びたのです。そのときの市民の驚くべき反応について、次のようにあります。
あいさつを終えて会場を見渡したとき、私は驚きました。多くの人々が泣いていたのです。ステージから降りると、みんなが握手してくれました。ダナン市の市長が走り寄ってきて、私を強く抱きしめてくれました。多くの人が握手をしてくれ、私にありがとうといってくれました。「これでやっと、私は安らかな気持ちで死ぬことができる」。心からそう思ったことを覚えています。(前掲書96 頁)
彼の家族が、この計画にどう反応したのかは分かりません。しかし、かりに家族がネルソンさんのベトナム訪問に反対したとしても彼はそうせざるをえなかった、ベトナムの人々の前で、赦しを期待することなしに謝罪しないでは、もはや生き続けることはできなったに違いないと思います。「これでやっと、私は安らかな気持ちで死ぬことができる」と思ったとあるとおりです。この告白行為は神が彼の人生に与えた、家族の紐帯にも優先する使命であったという印象が浮かんできます。
――イエスに従うことは、ときとして容易なことではありません。しかしそこには、深いところで人とつながりながら生きる喜び、死が私たちのアイデンティティーの終わりを意味しないという慰め、そして神がその人だけに与えた人生の課題に取り組むことをみんなで応援するという態度が含まれています。私たちもそのように生きたいと思います。