2009.1.18

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「一人ずつ目を留め」

経堂緑岡教会 牧師 松本敏之

イザヤ書53,4-5;マタイ福音書8,14-17

(1)小さないやし

 本日は、代々木上原教会と経堂緑岡教会との3回目の講壇交換ということであります。私は、こちらの教会で、1回目はマタイ福音書8章1〜4節の「重い皮膚病を患っている人のいやし」の記事で説教をいたしました。2回目は、その後の8章5〜13節の「百人隊長のしもべのいやし」の記事で説教をいたしました。ですから、今日もやはりその続きを読むことにいたしました。新共同訳聖書では、この8章14節以下に「多くの病人をいやす」という題が付けられています。確かに、16節以下に「多くの病人をいやす」話がでていますが、その前に小さなエピソードが記されています。

 「イエスはペトロの家に行き、そのしゅうとめが熱を出して寝込んでいるのを御覧になった。イエスがその手に触れられると、熱は去り、しゅうとめは起き上がってイエスをもてなした」(14-15節)。

 いかがでしょうか。ここでのいやしは、これまでのような、重い皮膚病をいやす」とか、「遠く離れたところにいる百人隊長のしもべの中風を、言葉ひとつでいやす」とか、言うような大きないやしではありません。高熱で苦しんでいる人を、熱を下げてあげたというような、どちらかと言えば、小さないやしです。ここでのイエス・キリストは、往診の町医者のようであります。ごくありふれた日常生活の中に、イエス・キリストがすっと入ってこられて、ちょっとした困ったことにもわずらわしいと思わないで、助けの手を差し伸べてくださる。小さないやしであるだけに、かえってイエス・キリストが身近に感じられる話ではないかと思います。


(2)ペトロは結婚していた

 私はこの箇所を読んで、何でもないことですが、「ああそうか。ペトロは結婚していたんだ」と思いました。しゅうとめがいたということは結婚していたということです。ご承知のように、現代のカトリック教会では、神父やシスターは結婚しません。独身誓願を立てて献身するのです。しかしカトリック教会が初代教皇とあおぐペトロ自身は結婚していたというのは、おもしろいと思いました。つまり最初から、神父は結婚しなかったわけではなかったということです。独身制(celibacy)というのは、イエス・キリストの「天の国のために結婚しない者もいる」(マタイ19:12)という言葉や、パウロの独身のすすめに基づいています。パウロは、このように言っています。

 「独身の男は、どうすれば主に喜ばれるかと、主のことに心を遣いますが、結婚している男は、どうすれば妻に喜ばれるかと、世の事に心を遣い、心が二つに分かれてしまいます。独身の女や未婚の女は、体も霊も聖なる者になろうとして、主のことに心を遣いますが、結婚している女は、どうすれば夫に喜ばれるかと、世の事に心を遣います。このようにあなたがたに言うのは、あなたがたのためを思ってのことで、決してあなたがたを束縛するためではなく、品位のある生活をさせて、ひたすら主に仕えさせるためなのです」(一コリント7:32-35)。

 イエス・キリストは生涯独身でありましたし、パウロも自分が語ったとおり、独身でありました。しかし決して独身を強いているわけではありません。あくまで自由に、その方が主に仕えるのに差支えがないということでしょう。

独身制は、その後、初代教会の頃から少しずつ制度化されていって、最終的に1139年の第二ラテラノ会議で、明確にされたということです。


(3)カトリックの宣教師たちとの交わり

 私は、ここでパウロが言うこともわかる気がします。独身制の意義は確かにある。結婚をしないということは家庭をもたないということです。

 私は、ブラジルに行って、最初はサンパウロで日本人教会の牧師と日本人幼稚園の園長をしましたが、2年目位に自分のポルトガル語の力が足りないことを痛感し、首都ブラジリアにあるカトリックの外国人宣教師のためのコースで学ぶことにしました。カトリックの宣教師たちは、ブラジルへ来たら、宣教活動に入る前に、まずそこへ行って4ヶ月間集中訓練をするのです。私は幸か不幸か、日本語でできる仕事でしたので、そのまま現場に入ってしまったのでした。とにかく遅まきながら、そこでポルトガル語の訓練を受けながら、世界中から来たカトリックの宣教師たちとの共同生活をしました。それはとても貴重な、豊かな経験でした。しかしそこでしみじみと私は彼らとの立場、生活の違いを思いました。

 私にとって、4ヶ月間サンパウロを離れるということは、教会や幼稚園を留守にするということと同時に、家を留守にするということでもありました。その間、家族がどうするかということを常に考えておかなければなりません。パウロの言ったとおりです。子ども寛之はまだ1歳でした。日本国内のように、他の家族がそばにいるわけでもありません。

そもそもブラジルで宣教師として働くこと自体、家庭をもっている私にとって、いろんな問題を伴ってくることでした。「妻は同意してくれるだろうか。」「子どもができた。この子の教育をどうしようか。学校がないような田舎に行くことはできない。将来は何語で教育を受けさせるべきか。いつか日本へ帰るのであれば、ポルトガル語よりも英語の方がいいのではないか。しかしアメリカンスクールにやるようなお金はない。」家庭を持ちながら献身をするということは、そうしたことを全部引きずっているということです。パウロの言うとおりです。

 語学研修の後も、ブラジリアで知り合った神父やシスターたちとよい交わりがあり、彼らの宣教の地を訪ねたりしました。彼らのうちの多くは、辺境の町や村で生き生きと働いていました。彼らは身軽で、ほとんど財産ももたず、主の遣わされるところならば、どこへでも、いつでも行く用意ができているように見えました。独身だから、そうしたことも可能なのでしょう。プロテスタントの宣教師に比べれば、本当に自由です。結婚して家庭をもっていれば、なかなかそうはいきません。

 私は、結婚しない誓願を立ててまで、イエス・キリストに従う決心をした彼らを尊敬し、また自由な彼らを少しうらやましく思いました。ブラジリアでの共同生活においても彼らは本当に若々しく感じました。夜遅くまで、軽くお酒を飲んで、ダンスをして、何歳になっても永遠の青年会のようでした。結婚すると一気に所帯じみてきます。

しかし他方(少し開き直り気味に?)、家族を持ち、それに伴う責任を負いつつ、献身して主に従うことも意味があると思います。この点で、プロテスタントの牧師は、他の信徒の方々と同じところに立っています。家族の問題を抱え、悩み、祈りつつ、イエス・キリストに従っていくのです。

 ペトロも家族をもっていた。家族をもち、妻の母と同居し、家族との生活をもったまま、イエス・キリストに従っていきました。ペトロの召命の記事は、4章19節に出てきます。「イエスは、『わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう』と言われた。二人(ペトロとアンデレ)は、すぐに網を捨てて従った」とあります。しかしペトロは、漁師の網は捨てましたが、家族を捨てたわけではありませんでした。


(4)最初の牧師の結婚はルター

 独身制という教会の伝統の中で、聖職者の結婚ということに道を拓いたのは、他ならない宗教改革者のルターでありました。ルターは独身生活を続けていながらも、だんだん独身制の意義について疑問を持つようになっていったようです。

 一方、修道女の中には、自分の意思で修道女になるというよりも、没落貴族の娘が家にお金がなくなり、修道院に送られるというケースが多くありました。いわゆる口減らしです。10代で修道院に入れられる。修道女になってしまうと結婚はできない。逃げ出すこともできない。そうした中で、ルターは多くの修道女たちの脱出の手助けをいたしました。

 後に結婚することになるカタリーナ・フォン・ボラという人も、そういう修道女の一人でした。彼女たちはもともと良家の女性たちであり、教育も受けていますので、すぐに相手が現れて、結婚していきます。ところがこのカタリーナだけはなかなか結婚しようとしない。ある縁談が入っても、彼女は承諾しない。そして彼女は、逆に、「ルターとなら、結婚してもいいです」と言ったそうです。しかし自ら修道の道を選んだルターは、最初は取り合わなかったようですが、カタリーナがルターの身の回りの世話をするようになり、いつしかルターも彼女を頼るようになる。そしてある日、カタリーナが「あなたは私と結婚すべきです」と言って、結婚に至ったそうです。

 1525年6月13日、42歳の元修道士のルターと26歳の元修道女カタリーナは結婚しました。これがいわばプロテスタント教会の牧師が所帯をもって献身をする最初のケースとなりました。ヴィッテンブルクでは、6月第三週の週末はルターの結婚式というお祭りになっているそうです。


(5)家庭の主、キリスト

 さて聖書本文に戻りますが、主イエスがペトロのしゅうとめのそばで熱を叱りつけると、熱は去りました(15節)。

 私たちは家族の中にあって、家族の心配をしなければなりません。子どもを育て、年老いた親、しゅうと、しゅうとめの面倒をみなければなりません。しかしながら、イエス・キリストはそういう家庭の中に入ってきてくださって、その問題を共に担いつつ、解決し、心配を共に悩みつつ、いやしてくださるお方です。

全世界の主であるお方は、同時に私たちの小さな家庭の主でもあります。歴史の主であるお方は、同時に小さな私たち一人一人の人生の主でもあるのです。

 私たち夫婦が結婚した折に、ある方がすてきな壁掛けをくださいました。それにはこう記されています。


“Christ is the Head of this house,

the Unseen Guest at every meal,

the Silent Listner to every conversation."

(キリストはこの家のかしら、

食事ごとの見えざる客、

会話のたびの静かな聞き手である)。


 私たちは、ともすればそのことを忘れがちですが、いつもそのことを忘れずに毎日の生活を送りたいと思うのです。


(6)患いと病を引き受け

 「夕方になると、人々は悪霊に取りつかれた者を大勢連れてきた。イエスは言葉で悪霊を追い出し、病人を皆いやされた」(16節)。

 当時の人々は、病気を悪霊のしわざと見ていました。このことは、現代医学の中で生きている私たちには抵抗がありますが、これを単に昔の人々の幼稚な考えとして退けることはできないでしょう。聖書は、人間の肉体や精神に起こるもろもろの病の背後に、人間の力ではどうすることもできない強い力が働いていることを見据えて、それを「悪霊」と呼んでいるのです。

 医学の進歩によって、これまでの病気はどんどん克服されてはいますが、その一方で、かつては存在しなかった新たな病気も次々に生まれています。どんなに医学が発達しようとも、病気は形を変えて存在し、私たちを支配しようとしてきます。そして究極のところ、私たちは誰一人として、死から逃れることはできません。神から来る力、神の「言葉」の力だけが、私たちをその力から解放してくれるのです。

 さて、マタイ8章の最初から続いた一連のいやしの物語の終わりに、こう記しました。「彼はわたしたちの患いを負い、私たちの病を担った」(17節)。これは、先ほど読んでいただいたイザヤ書53章4節を自由な形で引用したものです。イザヤ書のこの箇所は「苦難の僕」と呼ばれ、旧約聖書の中で最もキリストの受難を預言した言葉として知られています。

 つまりマタイは、イエス・キリストが人々の「患い」や「病」を、ただ不思議な力で癒されていったというよりは、それを一つ一つ、ご自分の身に引き受けることによって、取り除かれたと、受け止めました。言い換えれば、いやしの向こうに、イエス・キリストの十字架を見たのです。旧約以来、ひさしく待ち望まれていた苦難からの解放が、このイエス・キリストによって成就したのだと、高らかに宣言したのです。

 私たちもそのことに深く感謝しつつ、それぞれ自分の家庭の主、自分の人生の主として、イエス・キリストをお迎えしましょう。



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