今日の説教テキスト:コリント一 11章23-26節は、説教後に守られる聖餐式の「制定語」として使われている。だが、これはパウロが自分で創り出した文言ではない。彼が最初に「わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです」(23節)と断っているように、初代教会に伝わっていた「伝承」なのである。よく似た言葉がマルコ14章22節以下に見られることからも、それは明らかだ。
この場合、「儀式の在り方」なども言い伝えられたかもしれないが、そうした外面的な事柄だけではなかったであろう。最も大切なものとして伝承されたのは、「主イエスの物語」、すなわち、彼の生涯・真実と愛・受難と死、そして復活の物語である。
そのことを示すのが、次のような文言である。すなわち、主イエスは引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りを捧げてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」(24節)と言われ、また、食事の後で同様にぶどう酒の杯も弟子たちに渡して、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」(25節)と言われた、という。
つまり、聖餐式(主の晩餐)は「わたし(主イエス)の記念として」行われる。ここで「記念」と訳されている原語は、「アナムネーシス」である。「忘れずに記憶する」・「繰り返し想起する」という意味だ。キリスト教会には、繰り返し想起すべき歴史・後世に伝えられるべき物語がある。繰り返していうが、それは、主イエスの物語であり、それ以外の何物でもない。彼の真実と愛の物語・十字架の苦しみと死の物語・復活のいのちの物語である。この歴史を繰り返し想起することが聖餐式の意味なのであり、それに比べれば、後代の教会が定めた規則を守ることなどは小さなことだ。
ところで、マルコ福音書14章によると、この晩餐が行われたのは「過越の祭」の第1日で、「小羊を屠る日」(12節)に当たっていた。その食事の席で、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えてそれを裂き、弟子たちに与えて、「取りなさい。これはわたしの体である」(22節)と言われ、また、杯を取り、感謝の祈りを唱えて彼らに渡し、「これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である」(24節)と言われたのである。それが「小羊を屠る日」に起こったのは、偶然ではない。
つまり、イエスはご自分の死を「過越の祭」に際して屠られる小羊になぞらえた、とマルコは見たのだ。こうして、主イエスの歴史はユダヤ民族の歴史とつながる。
紀元前1280年ごろ、ユダヤ民族はエジプトで奴隷労働に従事させられていた。これを解放する使命を与えられたモーセは知恵と力を尽くしてファラオと交渉するが、なかなか埒が明かない。モーセは遂に非常手段に出る。出エジプト記12章によると、「傷のない一歳の雄の小羊」(5節)を屠って、その血を「入り口の二本の柱と鴨居に塗る」(7節)ように、同胞に命じたのである。近く死の天使が襲って来る。その時、入り口に血が塗ってある家の前は「過ぎ越し」て何事もないが、それ以外のすべての家庭の初子という初子は殺されるだろう。
そして、遂にある夜、そのことが起こった。「主はエジプトの国ですべての初子を撃たれた。王座についているファラオの初子から牢屋につながれている捕虜の初子まで、また家畜の初子もことごとく撃たれた」(29節)。この悲劇がファラオを打ちのめし、その結果、ユダヤ民族は遂に奴隷の地から解放されたのであった。
この解放の歴史をいつまでも「記念」するために設定されたのが「過越の祭」である。出エジプト記13章には、「これは、わたしがエジプトから出たとき、主がわたしのために行われたことのゆえである」(8節)とある。こうして、すべてのユダヤ人は、「この言葉を自分の腕と額に付けて記憶のしるしと」(9節)し、「過越の祭」を祝う度ごとに民族解放の歴史を想い起こしたのであった。
その際、ユダヤ人は、エジプトの人々が味わった苦しみを「ザマ見ろ」とは言わないまでも、自分たちが解放されるためにはやむを得ない犠牲であったと見ていたであろう。出エジプトの物語には、ユダヤ民族中心の歴史観が付きまとっている。
だが、イエスが「過越の祭」に合わせて弟子たちと晩餐を祝った時、「ユダヤ民族中心の歴史観」などは既に超越していた。イエスにとって、一ユダヤ民族の解放などは問題ではない。人類が罪から解放されることが問題なのである。「わたしの血によって立てられる新しい契約」(25節)とは、そのことを意味するのである。
屠られ・血を流した一歳の雄の小羊や、無数のエジプトの子供たちなど、「過越の祭」を通して暗示されている多くの苦しみは、人類が罪から解放されるために捧げられた尊い犠牲なのである。そして、それらの涙と血を一身に集約して負うような形で、イエスは十字架上に死んだのであった。このことを記念して聖餐式を守りたい。