2008.5.25

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「ある金持ちがいた」

廣石 望

詩編133編;ルカ福音書16,19-31

I

今月、アジアでは二つの未曾有の自然災害が発生しました。ミャンマーでの巨大サイクロンによる水害と、中国四川省での大地震による被災です。昨日、大地震による死者は8万人に達する可能性があるという中国政府高官の予測が公表されました。ミャンマーに至っては、当地の軍事政権がつい先ごろまで国際社会の支援の受け入れを拒んできたために、人的被害の規模について正確なことはほとんど伝わってきません。

 それでも昨日テレビで、ミャンマー政府の責任者が被災地を訪れ、広場に集められて地面に座らされた村人たちと対話している映像を見ました。日本語の吹き替えで、制服を着て帽子をかぶった軍人は、こう言い放ちました。「君たちは生き延びられただけでも幸運だと思いなさい。自然災害は避けることができないのだから。死んだ人たちのことは諦めなさい。彼らは死ぬ運命だったのだ」。

 自然災害が人を選ばないというのは、あるていどまではその通りです。しかし阪神淡路大震災のときもそうでしたが、実際により大きな被害を受けるのは、初めから水害を受けやすい低地や、老朽化した家屋が密集した地域などに住む人々、比較的に貧困な人々、病気の人、障がいをもつ人たちなどのいわゆる災害弱者です。そもそも四川省は、たくさんの出稼ぎ労働者を国内各地に送り出している地域だそうです。それだけではありません。中国では多数の学校が崩壊して、たくさんの子どもたちが犠牲になりましたが、多くの人々が「手抜き工事」の疑いについて語っています。政治家や役人たちに賄賂を贈るために、耐震基準などお構いなしの工事が行われていた可能性があるというのです。

 ニューヨークの国連本部ビルの設計を担当したドイツ系ブラジル人の建築家オスカー・ニーマイヤーは、かつてこう言いました。「以前、人々は階級闘争について語り、貧困者が富裕層に向ける分け前の要求、つまり貧困者の嫉妬のことを考えていた。しかし私たちの時代にあって恐ろしいのは憎悪、しかも貧困者から富裕者に向けられるそれではなく、富める者たちが貧しい者たちに向ける憎しみだ。無一物の人々に向けられる愚鈍さ、侮蔑そして憎悪――それは彼らの存在が私たちの平和を乱すからである。貧乏人どもは私たちの平和にとって邪魔なのだ」。彼自身はその左翼思想のゆえに、軍事政権下の母国ブラジルを離れざるをえませんでした。

 ミャンマー軍事政権の指導者たちが自分たちの権力の維持を、自国の被災者たちの生命や健康の安全よりも重要視していることは、国際社会の誰の目にも明らかです。中国でも、おそらく「オリンピックを直前に控えたこの大切な時期に、どうしてこんな面倒なことが起きるんだ」と頭を抱えている政治家がおり、他方には、これを機会に復旧事業その他で一儲けを企む資本家たちが、すでに手回しを始めているような気がしてなりません。数年前のインドネシア・ジャワ島沖の巨大海底地震の後に、親を亡くした子どもたちを人身売買する国際的なブローカー組織が暗躍したことは記憶に新しいところです。

 いいえ、こうしたことは外国の話にとどまりません。いま日本では、政府がそう名づけた「後期高齢者」の方々の保険料について国会で討論がなされています。一部の企業では、サラリーマンの給与から天引きされる健康保険料について、この「後期高齢者」分の負担金額が、毎月の給与明細に特別に明示されるようになったとのこと。まるで「サラリーマンよ、怨むなら高齢者を怨め」「貧乏人どもは私たちの平和にとって邪魔だ」と思え、と言わんばかりではありませんか。この方たちが長い間働いて、税金を払ってきたことは忘れたかのように。

 要するに、今日のテキストである「金持ちとラザロ」の物語は、現代世界にもそのまま通じると考えた方がよいということです。

II

 この物語の主人公は、最初に紹介される「ある金持ち」です。貧者ラザロのありさまも彼の視点から描写されており、ラザロ自身は一言も喋りませんし、その内面については何も分かりません。そこでまず、この物語が描き出す「ある金持ち」の姿の特徴に注目しましょう。

 彼は「いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた」(19節)と紹介されています。「紫の布」と訳された言葉は、もともと紫色の染料がとれる巻貝の名称で、それがやがてローマの王侯貴族たちが愛好した紫布の名称になりました。これは上着です。他方で「柔らかい亜麻布」はエジプト産の高級下着のこと。「贅沢に遊び暮らして」と訳されているのは、「煌々と灯りをともして華燭の祝宴を開いては」というのが原義です。これは実際には、当時の都市ローマの貴族階級が、自らの豊かさを周囲にわざと見せつけるような極端な消費的生活スタイルをもつに至り、これがパレスティナの地元貴族たちに影響を与えたことの反映と思われます。属州各地から都市ローマにすべての富が集まってきたのと同様に、辺境の地パレスティナでも当地の支配者たちは、自分たちに支配権を賦与したローマ皇帝とそのとりまきたちの生活スタイルを真似たのです。そして人民からありったけ搾り取りました。

たとえばガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスは、ユダヤ人の父祖伝来の律法を無視して、まるでローマ人のように兄弟の妻を娶りました(洗礼者ヨハネはこれを批判したために斬首されました)。またヘロデは偶像禁止というユダヤ教の神聖な戒律を無視して、まるでローマの貴族のように、ティベリアに建設した新しい宮殿に動物たちの姿が描かれた居室を作らせました(この部屋は後のユダヤ戦争で、ユダヤ人のガリラヤ民衆によって破壊されました)。さらにユダヤ人には誕生日を祝う習慣はありませんでしたが、ヘロデは「自分の誕生日の祝いに」、まるで自らがミニ皇帝であるかのように地元に駐留するローマ帝国の「高官や将校、ガリラヤの有力者などを招いて宴会を催した」と伝えられています(マルコ福音書6,21)。――イエスの語る「金持ちのラザロ」の物語に描かれた金持ちは、それこそヘロデ・アンティパスのとりまきであった「ガリラヤの有力者たち」のイメージなのかもしれません。

イエスの物語によると、この金持ちの邸宅の外門の前に、ラザロという名の乞食が横たわっていました(21節――原文では「投げ出されていた」)。彼は「できものだらけ」であった、つまり病気であったようです。身寄りのないラザロは明らかに、物乞いをして生きていました。「金持ちの食卓から落ちるもので腹を満たしたいと望んだ」とありますが、金持ちたちは食事の最中に、スープその他で汚れた指先をきれいにするために、今でいうティッシュペーパーの代わりにパンを使い、手をきれいにした後はパン屑を食卓の下にポイと棄てたのだそうです。この金持ちはそうしたおこぼれを、自分の邸宅の門前に棄てられたラザロのもとに、奴隷に命じて運ばせようともしなかった。やってきたのは、彼の屋敷の番犬たちです。犬たちは満腹した後の仕上げのデザートとして、ラザロのできものから染み出る体液を舐めたのです。

III

やがて二人とも死にました。金持ちが先祖たちの墓に埋葬された一方で、乞食のラザロは「天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれ」たとあります。つまり死んだラザロを葬る人は誰もおらず、むしろ天使たちが特別に天に引き上げて、天国ですでに始まっている祝宴の主催者である父祖アブラハムの傍らの特等席に招かれたというのです。原文で「アブラハムの懐」とあるのは、当時寝椅子に横たわって宴会をしたその主賓の席に着くと、入り口から見て、その人の頭が、すぐ奥の寝椅子に横たわるホストの胸の位置に見えることに由来します。ラザロが生前にどんなよいことをしたかなど、彼の人柄については一切言及されませんので、彼に与えられた最高の祝福は、ただ神が望まれたプレゼントであったと考えるべきでしょう。たしかに「ラザロ」という名は正式には「エレアザル」、すなわち「神が助ける」という意味です。

当時の人々が、いわゆる死後の世界にどのようなイメージを抱いていたかについては、いろいろな説明があります。この物語から分かるのは、天界と(「ハデス」と呼ばれる)冥界の間には、深い淵が横たわっていて往来はできませんが、対話は可能であると考えられていることです。

金持ちとラザロの運命は、みごとに逆転しています。これを聞いた聴衆は、腹を抱えてゲラゲラ笑ったことでしょう。さらにおかしいのは、地獄にいる金持ちが慇懃に父祖アブラハムに願い事をしているその中味です。彼は最初は自分のために、次には自分の兄弟たちのために、かつて自分の家の門前で乞食をしていたラザロを使おうとしています。あんなに無視していたのに、彼はラザロの名をじつは知っていたのですね。それにしてもあらゆる機会を捉えて、言葉巧みに自分の利益を最大化しようとする金持ち気質は、ここに至っても変わりません。父祖アブラハムはどちらの願いに対しても、それはできないと答えますが、これもまた聴衆の哄笑を誘ったことでしょう。

イエスの物語のアブラハムは、地獄の業火に焼かれて悶え苦しむ金持ちに向かって、「お前の兄弟たちにはモーセと預言者がいる。彼らに耳を傾けるがよい」(29節)と言います。「モーセと預言者」とは私たちの旧約聖書のことではあります。しかしイエスの発言の趣旨はもっと単純なものだと思います。つまり「貧乏人どもは私たちの平和にとって邪魔だ」という態度がどんなに間違っているかは、誰かから特別に教えられずとも、本来おのずから明らかなのです。

IV

「死者の中から生き返る者」について言及する最後の二節(30-31節)は、おそらくルカ福音書の段階で初めて付加された編集句です。つまりキリストの復活というメッセージに接しても、悔い改めてこれまでの生活態度を変える用意のない人々が実際にいる、という現実を踏まえての発言です。

今年2月に学生たちとインド・ケララ州を訪問したときに、受入れ先のNGOの主催者が私に話してくれたエピソードをお話させてください。当地の公立病院では食事が提供されません。貧しい人たちは私立病院には行けませんので、一家の稼ぎ手が病気になったり、けがをしたりして働けなくなったときは、一家で病院に移り住みます。そして病院に住み込んで、周囲で物乞いをしながら暮らすのだそうです。あるとき病院を訪れたキリスト教会の指導者がそのありさまを見て衝撃を受け、近隣の大学生たちに簡単なピクニックを作って病院に届けるアクションを呼びかけました。しかしお金を出そうとする学生はいたけれど、実際に料理する手間をかけ、お弁当を持参するだけの時間を割こうとする学生たちはほとんどいなかったのだそうです。司教はたいへん失望しました。彼にはなすすべがありませんでした。ところがこの病院に、一年365日、毎日暖かい食事を届けるNGO団体があると入院患者たちは彼に告げました。しかし配給にやってくるオート力車に書かれたその団体の名称は皆が知っていましたが、誰一人として、その主催者の名前と住所を知りませんでした。雨季のある夜、司教はこの人物の自宅を探り当てて訪ねてきました。玄関先で一人雨の中に立ち、「どうしても会って、どんな人間なのか知りたかった」と彼に言ったそうです。

私たちに財産が与えられているとき、それは神が私に対して好意をもっているからではありません。それは単純に、必要なものに欠けている人々と分かち合うためだと思うのがよい。そしてこの地球には、すべての人を養うに十分な食糧があるそうです。では、なぜこんなにたくさんの飢えている人々がいるのでしょうか。むしろ金持ちたちが「貧乏人」を作り出しているのではないでしょうか。復活のイエスの霊を受け、愛と平和の神を信じに至った私たちにできることは、きっとたくさんあります。そのための第一歩は、このラザロの物語を聞いてアブラハムのふるまいをよしとし、金持ちの狡賢い愚かさを笑い、自分のこともちょっぴり笑った後で、これまで目を閉ざしてきた自分の目の前にいる人々に注意を向けることだと思います。



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