I
今週は受難週です。今日のテキストはマルコ福音書の受難物語の一部で、イエスが十字架刑で殺された場面です。この場面に先立って、イエスの捕縛と最高法院による裁判、ペトロの裏切り、総督ピラトによる尋問と死刑宣告が語られ、後にはイエスの埋葬と復活(空虚な墓)のエピソードが続きます。
受難物語は「神の子」イエスの死への道行きを、キリスト教信仰の視点から描いたものです。さきほど朗読した詩編第22編を見れば、この詩編が受難物語を造形するうえで大きな役割を果たしたことが分かります。この詩編を一つの下敷きにして、原始キリスト教を生きた人々は、イエス・キリストの死の意味を理解しようとしました。
受難週のキリストは教会の美しい典礼や賛美そして祈りに囲まれています。それでもイエスの処刑が、人間の愚かさや罪深さをあからさまにするものであることは変わりません。今日はいくつかの画像を手がかりに、詩編22編からの引用でもある「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」というイエスの言葉について考えましょう。
II
先週の礼拝で村上伸牧師が、イエスの処刑の外的要因として四つのことを指摘されました。すなわち神殿指導者たちの高ぶり、弟子たちの弱さと裏切り、群衆の付和雷同ぶり、そして総督ピラトの無責任です。これらの要素はすべて、福音書の叙述に見てとることができます。
さらに歴史的なデータとして二つのことが言えます。まず今日のテキストには「ユダヤ人の王」という罪状書きが現われます(26節)。これは「イスラエルのメシア」という意味です。イエスの弟子たちも、彼がイスラエルを外国支配から解放してくれるメシアであると期待したようです(例えばマルコ福音書8,29、ルカ福音書24,21)。しかしローマ帝国は「メシア」「王」を名乗るユダヤ人を許しませんでした。ローマ人の手によって、たくさんのユダヤ人「偽メシア」が処刑されています。さらに今日の箇所で、イエスによる神殿崩壊預言が引用されます(29節)。エルサレム神殿の指導層に属する人々は、ガリラヤ出身の危険分子によるこうした破壊活動を容認できませんでした。つまりイエスに寄せられたメシア期待と神殿に対する反抗的態度は、ローマ帝国およびエルサレム神殿勢力の介入を招きました。こうしてイエスは権力の構造的暴力と一般民衆の無関心、つまり自己保身と恐怖の犠牲者になりました。
III
ノルウェー出身の画家エドゥアルド・ムンク(Edvard Munch)の『ゴルゴタGolgotha』という作品(1900年頃)をご覧下さい。
http://www.new-york-art.com/Munch-Golgotha.jpg
背景は暗い藍色の空です。赤い光が流れています。中央遠方に、全裸のキリストが十字架に架けられています。しかしその顔も体もほぼ肌色一色で、それ以上はよく見えません。一群の人々は十字架の下にひざまずき、両手をキリストの方向に差し伸べて、彼の苦しみと死を嘆いているようです。しかし彼らは背景に退いており、前面に描かれているのは別の人たちです。この人たちはほぼ顔だけ描かれており、後方の十字架に背を向けてこちらを向いています。明らかに嘲笑っている人たちがいます。他方、白い横顔を見せる女性はうつむき、その左肩に手をそえるもう一人の女性の顔は暗い茶色です。マグダラのマリアと母マリアでしょうか。しかし最も特徴的なのは画面の前面中央に描かれた、髭面で禿頭の年老いた男性です。まったくの無表情です。処刑される一人の男に背を向けて、「それがどうした」と言わんばかりに。なんと冷酷な無関心ぶり!
これは他人事ではありません。現代社会においても、無意味な戦争や紛争のせいで毎日たくさんの人々が拷問され、傷つき、殺されていることを私たちは情報としては知っています。しかし何ごともなかったかのように日常生活を送っているではありませんか。福音書はイエスの両側に二人の「強盗」が処刑されたといいます(27節)。「強盗」と訳されたギリシア語「レースタイ」は、後にユダヤ人の歴史家ヨセフスが、第一次ユダヤ戦争前後でローマ帝国に反逆する抵抗分子を総称するために用いた語です。今でいう「過激派」とか「テロリスト」などに当たります。イエスは「テロリスト」の一人として殺されました。アフガニスタンやイラクで「テロリスト」が一人処刑されても、私たちの誰がそのことに関心を払うでしょうか。
「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」――イエスの叫びは暗い空の中に消え去ってゆくかのようです。
IV
以前の説教で、古代ローマ世界における十字架刑について、佐藤研氏の論述を引きつつ少し具体的に話したことがあります。十字架刑に伴う拷問その他については、マルコ福音書にも実際に言及があります。そのとき会衆の幾人かの方たちは、この処刑法のあまりの惨たらしさに衝撃を受けたと後から伝え聞きました。そのときの話は、今日は繰り返しません。その代わりに、グィード・ロカ(Guido Rocha)というブラジル出身の彫刻家の作品『拷問されるキリスト』(1975年)をご覧下さい。
http://www.kirche-chemnitz.de/pauli-kreuz/jg/gb4-01.htm
この強烈な印象を与える彫刻作品は、それを見ても直ちにキリストの磔刑であると思わない人もいるかもしれません。西欧の教会にある十字架の彫刻は、もっと美しいからです。しかし芸術家は、むき出しの暴力に責め苛なまれるイエスを表現しました。木の杭に釘打たれ、ぶら下げられているのは明らかに南米出身の有色人種の男性です。特徴的なのは彼の頭部と表情、つまり逆立ったチリチリの黒髪と暗く落ち込んだ眼、そして何よりも張り裂けんばかりに大きく開かれた口です。彼は苦悶のあまり絶叫しています。体はガリガリに痩せこけてお腹はぺしゃんこ、体全体の皮膚は黒ずんでいます。両腕は後ろ上方に捻じまげられ、両の膝は十字架の縦木の上で折りたたまれて、今にも十字架から飛び降りそうな勢いです。
目を覆わんばかりの苦悶と絶叫――イエス時代の十字架刑の実態は、この彫刻が表現するものに近いと思います。この作品が1970年代のブラジルで作られていること、つまり一部の大土地所有者と圧倒的多数の貧困層とに二極化している社会が背景にあることにも注目してください。
「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」――イエスの叫びは、虐げられた人々の憤怒と、天と世界に反響する彼らの絶望の叫びに重なります。
(以上、二つの芸術作品は、関西学院大学神学部編『ウルリヒ・ルツ講演集 マタイのイエス:山上の説教から受難物語へ』日本キリスト教団出版局、2005年にも紹介されています。)
V
ではイエス自身は、自らの死をどのように理解したのでしょうか。詳細は不明です。はっきりしているのは、〈イエスは人々の罪の贖いとして自らの命を捧げるという自覚をもって十字架についた〉という理解は、復活信仰をふまえた原始キリスト教における再解釈だということです。この理解はそのままイエス自身の理解には遡りません。
それでもイエスには、非業の死の予感があったようです。「預言者がエルサレム以外のところで死ぬことは、ありえない」(ルカ福音書13,33)という言葉が伝えられています。あるいは最後の晩餐で発した言葉として、「神の国で新たに飲むその日まで、ぶどうの実から作ったものを飲むことはもう決してあるまい」という発言もあります(マルコ福音書14,25)。ここにも間近に迫った自らの死の予感が表現されています。
ではイエスは、よりによって十字架刑で殺されると予感していたかどうか、しかもその死にどのような意味を見出したのか――この点について意見はさまざまです。私に最も本当らしく思われるのは、イエスは十字架刑で処刑されることに積極的な意味を見出せなかった、つまり絶望とともに死んでいったというものです。
VI
先月、私が学生たちと研修にいったインド・ケララ州で撮影した写真をご覧ください。
http://www.yoyoue.jpn.org/worship/08_03_16/prayer.jpg
子どもたちがコンクリートの床に胡坐をかいて座り、祈っています。前面にいるのはスジルという坊やです。彼の後ろには年長の女の子が二人ほど見えます。膝の前に置かれている黒表紙の書物は聖書です。
この子たちは、いろいろな事情で親に棄てられた子どもたちです。約20名の子どもたち(ほとんどが女子)が、「希望の家(アシャ・ケンドラ)」と名づけられた施設で住み込みの寮母さんといっしょに暮らしています。この子たちの親たちは貧困層に、いわゆるダリット(不可触民)に属します。女性の家族に結婚持参金(ダウリー)を支払う能力がない場合が多く、多くの子どもたちが事実婚から生まれます。そしていろいろな事情で子どもたちの居場所がなくなるのです。
スジルは姉妹のサジータとともにここで暮らしています。二人はケララ人でなくタミル人で、もともと別言語を話します。お母さんが夫の暴力に耐えかねて、幼い子どもたち二人を連れて隣のタミルナード州から逃げてきたのです。彼女は住み込み家政婦として働いていますが、子どもたちを手元におくことはできず、二人は預けられました。私たちがインドに滞在していたとき、お父さんが子どもたちの居場所をつきとめて突然に姿を現し、子どもたちの前で「お前たちのお母さんが他の男といっしょになるなら殺す」と宣言するという事件がありました。私たちはたいへん案じていましたが帰国後に、お母さんは路上でお父さんから殴打されて病院に収容され、お父さんは逃亡したと聞きました。小さな子どもたちは大切な人たちから「愛されたい」と心から願っているに違いないのですが、それは適わない。この子たちとって「私は親から見棄てられた」「私を守ってくれる人はいない」という絶望の深さは想像を絶します。
スジルを含めて、「希望の家」で暮らす子どもたちの80%はヒンズー教徒です。でもこの施設はキリスト教の施設ですので、毎晩眠る前に子どもたちは手拍子をとりながらいっしょに賛美歌を歌い、聖書を回し読みして朗読し、そして必死に祈ります。子どもたちに「神さまだけは私を守ってくれる」という希望をもってほしい、生きるために必要な信頼を感じとってほしいとの願いから生まれた習慣です。学生たちは小さな子どもが懸命に祈る姿を目の当たりにして衝撃を受けます。「愛されたい」とは、学生たちにとっても心からの願いだからです。
「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」――イエスの叫びは、神を求め続ける〈いと小さき者〉の魂の叫びにつながっています。
VII
ここまで考えてきた私たちは、イエスは人々の無関心と剥き出しの暴力に晒された苦悶の中で、神に向かって「なぜこの闇の中に私を放置されるのですか」「あなたにとって私はもはや無意味な存在なのですか」と問うたと想像してみることができるでしょう。彼の叫びは神への絶望と信頼の間で引き裂かれています。正午から午後3時まで「全地は暗くなった」になったと福音書にあります(33節)。これは神の子をおおった闇です。
最初に、受難物語はキリスト教信仰の視点から書かれていると言いました。それはイエスの絶望は復活の光の下で、つまり神によって克服された絶望として描かれているという意味です。いろいろな叙述からそのことが言えます。
まずイエスの死にさいして、二つのエピソードが語られています。一つは、神殿の垂れ幕が真っ二つに裂けたこと(38節)、そしてもう一つは、イエス処刑の現場責任者であるローマ軍の百人隊長がイエスの死のさまを見て、「本当に、この人は神の子だった」と告白することです(39節)。これら二つのエピソードは一体となって、イエスの死にさいして神の内奥が異邦人世界に向けて露呈されたこと、つまりイエスの通り抜けた十字架の闇の中に神が臨在したことを暗示しています。
少し戻って、イエスに浴びせられた「他人は救ったのに、自分は救えない、メシア、イスラエルの王」という嘲りの言葉もまた(31-32節)、ストーリーの中では嘲りの言葉ですが、福音書を読んできた者たちにとっては、まさにこれこそイエスがメシア(キリスト)であることの証しです。イエスの復活を通して、「他人は救ったのに、自分は救えない」者としてこそイエスがメシアであることが明らかになりました。また「神殿を打ち倒し、3日で建てる者」という非難も(29節)、復活信仰の視点から見れば、たんなる中傷ではなく隠された真実を言い当てています。だからこそ福音書の主人公イエスは、エルサレムに向かう途上で受難復活予告を行い(8,31)、弟子たちに向かって「私は復活した後、あなた方より先にガリラヤに行く」(14,28)と告げるのです。
信仰はときとして疑念や失望、そして生きる目的の喪失をもたらします。信じるからこそ疑いも生じるのです。しかしマルコ福音書が、絶望と信頼の間で引き裂かれたイエスを描き、しかもその絶望が神によって克服されることを暗示していることに注目したいと思います。つまり死にゆく神の子の闇の中に、神はともにおられたのです。そのことは私たちにとっても同じです。