2007・9・23

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「キリストの体」

廣石 望

申命記10,12-22;コリント第一 12,12-27

I

先週、私たちの教会は、創立10周年を祝って「教会とは?」という主題で、一泊二日のカンファレンスを行いました。そのさい準備委員会は、全体の聖句として「二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいるのである」(マタイ福音書18,20)という慰め深いイエスの言葉を掲げました。開会説教の中で村上牧師は、このテキストをとりあげて「イエスは2人、または3人と言われたのであって、200人または300人と言われたのではない」というシモーヌ・ヴェイユの言葉を引用されました。そして、そこで言われているのは「注意力」のことではないか、イエスもまた「お互いの間で注意力が働いているところ、そこに自分は共にいる」と約束した。実際、イエス自身が常に弱い人々・小さな人々に対する注意力を研ぎ澄ませて生きた。そして「注意力」とは「愛」にほかならないと話されました。

今日のテキスト箇所は、カンファレンス開会説教を聞く前に、すでに選ばれていました。いま振り返ると、このテキストもまた、「二人、または三人」よりははるかに多くのメンバーを抱える私たちの教会においても、まさに「お互いの間で愛と注意力」が働くべきであることを述べていると感じます。


II

 パウロがこの手紙を宛てているコリント教会は、彼の設立による教会です。当時のコリントは多様な人々、いろいろな言語や宗教の人々が行き交う商業都市でした。いまの東京に似ています。コリントには、パウロが伝えた「福音」を受け入れる素地があったのかも知れません。「ユダヤ人であろうとギリシア人であろうと、奴隷であろうと自由な身分の者であろうと、皆一つの体となる」(13節)という、民族や身分の違いを超える共同体のメッセージは、多文化世界の中に生きる人々にとって魅力的だったのです。

 設立の当初、教会メンバーは比較的に貧しい人々が中心でした。「兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません」(1,26)とあります。しかしパウロが伝道旅行を続けるために当地を去った後、別系列のキリスト教の伝道者たちが次々に教会にやってきました。また比較的に裕福な人々も教会に参加していったと思われます。そうした有力な会員たちがしだいに発言権を増し、やがて教会の中に分裂および分派が生じました。「私はパウロにつく」「私はアポロに」「私はケファに」あるいは「私はキリストに」(1,12)という具合です。パウロその他の伝道者と並べて「キリスト」が教会内派閥の領袖としてあげられているのは、もしかするとパウロの皮肉なのかもしれません。

 何れにせよ、一つのキリスト教会の中に分派が生じて、それが教会の分裂に至る危険はパウロの時代からあったのです。


III

 この危機に直面して、パウロは「体」の比喩を用います。

 「体」の比喩は、古代ではよく知られていました。たいてい国家や共同体の一体性を強調するために、政治的な文脈で使用されました。例えば不公平な扱いに激昂した平民階級に向かって、上流貴族階級に属する者が「私たちは一つの体なのだ」と言って、平静を保つよう促したりしました(リウィウス『ローマ建国史』II, 32)。あるいは「あなたは〔皇帝として〕国家の魂であり、国家はその体である」(セネカ『寛容について』1,5,1)という言い方もあります。戦時中の日本では、天皇を中心とした国家体制が「国体」と呼ばれ、そこに「体」の概念が用いられました。私たちは「体」という概念を用いるとき、十分に繊細であるべきだろうと思います。

 パウロが「体」の概念を用いるときの特徴は何でしょうか。一つには、洗礼と聖餐という二つの聖礼典が(13節)、「一つの体」であるキリストの人格への統合と見なされていることです。会員が「体」を初めて作るのではありません。私たちは、あらかじめ与えられた「体」に組み入れられるのです。教会はキリストが作るものです。信仰者はそれに参与します。

 もう一つの特徴は、人間が制作したのではないこの共同体において、民族の違いや身分の違いという古代世界には当然のものであった対立が克服されていることです(13節)。


IV

 さらにパウロは、この共同体の内的な構造について、肢体の多様性と体の統一性という視点から、「手」と「足」、「目」と「耳」について述べます(15-20節)。自分が「足」だと思う人は、自分は「手」でないから体に属さないと、あるいは自分が「耳」だと思う人は、自分は「目」でないから体に属さないなどと考えるべきではない、とパウロは言います。

そのさい「手」は、人間の創造的な制作活動の主役として、動物と同じように移動の手段である「足」よりも優れているという身体理解が前提されています。またギリシア文化には「耳」で聞くことよりも、「目」で見ることを重視する伝統があります。ギリシアの哲学者たちは、神に「聞く」ことよりも、むしろ神を「見る」ことを理想として追求しました。さらにパウロの言葉遣いには、ある種の言葉遊びがあるようです。「足」はギリシア語で「プース」、「耳」は「ウース」で音がそっくりなのです。パウロは「多くの部分があっても、一つの体なのです」(20節)と言います。指導的な立場の会員たちと比較すれば、自分は霊的な賜物の点で劣っていると考える人々を、彼は励ましているのです。

 さらにパウロは、共同体内部の「有力者」が、他のメンバーたちに対して強圧的な態度に出ることを戒めます(21-22節)。自分を「目」または「頭」と見なす人が、他の人々を「手」または「足」と見なして、「お前たちは要らない」などと言ってはならないと彼は言います。ここでも「頭」や「目」が「手」や「足」よりも優れているというのは、認識や判断などの精神的な活動を、労働や制作などの身体的な活動よりも重視した、古代ギリシア的な価値観の反映であろうと思います。

 さらにパウロは「手」や「足」を「ほかより格好が悪い」「見苦しい部分」と呼び、人はこれらを「覆って、もっと格好良くしよう」「もっと見栄えよくしよう」とすると言います(23節)。これらの文章は、そのまま読んでも何のことか分かりません。おそらく、頭や目とは異なり、手や足には「着物」を着ることで美しく飾るという意味です。岩波訳では、この箇所は「からだのうちでより誉れに欠けていると思うところに対しては、より多くの誉れでそのまわりを整える」とあります(青野太潮訳)。

 では、その「着物」とは何でしょうか? 「各部分が配慮しあう」(25節)、「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶ」(26節)とあるのを見ると、「着物」とは他でもない「配慮」のこと、カンファレンス開会説教で言われた、相互の「注意力」や「愛」と同じものと考えてよいのではないでしょうか。

 私たちが将来の教会像を考えるとき、この連帯感は大切にされなければなりません。そして同時に「戦責告白」を自らの教会の姿勢に加えている私たちは、こうした姿勢を、自分たちの教会の「外」にも向けるべきであろうと思います。


V

 先週私は、学生たちといっしょに広島にいました。日本の大学生と韓国の大学生がともに参加するスタディーツアーに同行したのです。同じような趣旨のプログラムに長年関わってこられた方が、私たちの会員の中にもおられます。

 広島平和記念公園の碑めぐりをした中で、私たちはとくに「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」を訪れ、何人かの在日コリアンの被爆者の方々の証言を聞きました。敗戦間近の広島には、およそ10万人の朝鮮半島出身者が「軍人・軍属、徴用工、動員学徒、一般市民」として暮らしていて、原爆投下により約2万人が犠牲になったそうです。私たちがお話を伺ったのは、あの途方もない過酷な状況を生き延び、その後の社会の差別をも62年間に亘って生き抜いてこられた方たちです。この慰霊碑は1970年に建てられたときは平和公園の外に置かれ、1999年になってやっと公園内に移されました。日韓両国の学生たちは、前日に宿舎でいっしょに折った千羽鶴を慰霊碑に捧げました。そのようすは地元新聞社の取材を受けて、翌日の朝刊に写真入で紹介されました(『中国新聞』2007年9月20日〔木〕の朝刊、第28面)。

 このスタディーツアーは、日韓両国の歴史認識に違いがあることから出発しています。原爆投下に関しても、韓国では一般に植民地支配を行った日本帝国主義からの「解放」という、ポジティブな文脈で理解されることが多いと聞いています。日本では長い間、それは「被害」そのものであり、ようやく近年になって軍都であった広島の「加害」の側面が、いっしょに考え合わされるようになりました。アメリカでも、原爆投下は「戦争を早く終わらせるために必要だった」という意見が強いそうですね。実際、アメリカは用意周到に攻撃目標を選び、命令どおり冷静に作戦を実行しました。恐ろしいことです。先に辞任した日本の防衛大臣も、ソ連とのせめぎあいの中で戦後戦略を練っていた当時のアメリカの政策に照らせば、広島・長崎の原爆投下は「しょうがない」という意見でした。

 しかしあの時、なぜ広島に多くの朝鮮半島出身者がいたのでしょうか。日本の植民地であった朝鮮半島から広島に来て被爆した人々の存在は、日本にとっての「被害」、韓国にとっての「解放」、またアメリカにとっての「戦略」という視点から、もののみごとに抜け落ちてしまっています。彼らは「愛」や「配慮」の対象から幾重にも排除されています。

 それでもありがたいことに、朝鮮・韓国人被爆者の人権のために尽力してきた日本人もいます。そうした方のお一人から、私たちはお話を伺いました。その中でこの方は、「いま一番苦しんでいるのは北朝鮮に帰還した被爆者である」と言われたのです。私は、はっとさせられました。私たちには通常、情けないことに、そうした想像力が欠けています。先週のカンファレンス開会礼拝では、「愛とは、不幸のうちにある愛する人の苦しみを共に分かち合いたいと願うことである」というヴェイユの言葉が引かれたのではなかったでしょうか。

 会員が互いに配慮しあうという精神と並んで、この世界で途方もない苦難を背負わされ、それでも誇りを失わず必死で生き抜いている人々に対する連帯の精神もまた、私たちの教会の姿勢にとって欠くことのできないものであると思います。会員相互の配慮とこの世界における弱者への配慮は、どちらかを欠いては他方が成り立たない、車の両輪のような関係にあるように感じます。「キリストの体」は、少なくとも私たちの教会よりも常にはるかに大きいのです。





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