2007・8・12

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「神のもとに立ち帰れ」

村上 伸

ホセア書12,3-11;フィリピの信徒への手紙 2,1-11

 ホセアは紀元前8世紀、つまりイザヤとほぼ同じ頃に北王国イスラエルで活躍した預言者である。彼は、自国の罪を指摘して「エフライムは偽りをもって、イスラエルは欺きをもってわたし(神)を取り巻いた」1節)と言ったが、同時に同族国家である南のユダをも責めた。「主はユダを告発される」3節)。彼にとっては北も南もなく、イスラエル民族全体の罪が問題だったのである。その目は自分の国だけに向けられてはいない。それを超えて広くイスラエル民族全体、さらには人類全体に及ぶ。そのような広い視野に立って、彼は「神に立ち帰れ」7節)と呼びかけたのである。

一体、イスラエル民族の罪はどこにあるのか? 「わたし(神)が彼らを呼び出したのに、彼らはわたしから去って行き、バアルに犠牲を捧げ、偶像に香をたいた」11章2節)と言われているように、豊饒の神バアルに心を奪われてヤハウエに背を向けたところにある。なぜなら、豊饒の神に心を奪われるとエゴイズムに歯止めが利かなくなり、「欺瞞と暴虐」2節)、「搾取」8節)といった諸々の社会悪が生じるからだ。その悪の故に、選ばれた民イスラエルといえども神の裁きを受けねばならない。神は「ヤコブをその歩みにしたがって罰し、その悪い行いに報いられる」3節)。

ホセアはここで、先祖ヤコブを引き合いに出す。「兄のかかとをつかみ」(4節)という言い方は、彼が血を分けた兄エサウから父の祝福を騙し取った故事から来ている。兄は怒って、「彼をヤコブとは、よくも名付けたものだ。これで二度も、わたしの足を引っ張り(アーカブ)欺いた」(創世記27章36節) と嘆いたのであった。

また、「力を尽くして神と争った。神の使いと争って勝ち、泣いて恵みを乞うた」(5節)という不思議な言葉も、「ペヌエルでの格闘」(創世記32章23-33節)という話に基づいている。我が強く、常に人を押しのけ、神の使いとさえ争って勝ったヤコブも、結局は泣いて恵みを乞うように追いつめられた、というのである。

 先祖ヤコブを引き合いに出すことによって、ホセアは「歴史から学ぶ」ということを我々に教えているのではないか。頑固に自らの過去を正当化している間は、決して歴史から学ぶことはできない。自らの罪責を認め、「泣いて恵みを乞う」ときに、人は初めて歴史から何か大切なことを学ぶのである。

 ところで、8月6日の広島原爆記念式典で広島の秋葉市長が読み上げた「平和宣言」には、心を打つ言葉が多くあった。その中に、次のような一節がある。「被爆者の努力にもかかわらず、核即応態勢はそのままに膨大な量の核兵器が備蓄・配備され、核拡散も加速するなど、人類は今なお滅亡の危機に瀕しています」。

 この言葉に同感しながら、私は思った。―― 世界の政治指導者たちは、過去の悲惨な戦争から何を学んだのだろうか? 広島や長崎の被爆者たちは身をもって「ノー・モア・ヒロシマ(ナガサキ)」ということを学んだが、核保有国の指導者たちは、広島や長崎のあの災厄をちゃんと見ているだろうか? 朝鮮戦争やベトナム戦争の悲劇から、彼らは何かを学んだのか? 自己を正当化することに汲々とするばかりで、戦争の罪を認めることも、泣いて神の憐れみを乞うこともしなかったのではないか?

だから、秋葉さんは言う。「時代に遅れた少数の指導者たちが、未だに、力の支配を奉ずる20世紀前半の世界観にしがみつき、地球規模の民主主義を否定するだけでなく、被爆の実相や被爆者のメッセージに背を向けている」。これは本当だ。

ここで、今日のテキストに戻ろう。ホセアは、「神はべテルで彼を見いだし、そこで彼と語られた」5節後半)と言う。神は、「わたしこそあなたの神、主。エジプトの地からあなたを導き上った」10節)と語りかける神である。あなたの神は、ただ裁き・滅ぼすだけではない。あなたを見つけ出し、ねんごろにあなたと語り給う神であり、エジプトで奴隷だった時も共にいて顧みて下さった神であり、40年の砂漠の旅を昼は雲の柱・夜は雲の柱をもって導いて下さった神である。我々が自らの罪責を認め泣いて恵みを乞うならば、彼は必ずそれに応えて下さる。だから、「神のもとに立ち帰れ。愛と正義を保ち、常にあなたの神を待ち望め」7節)とホセアは言うのだ。

では、「愛と正義を保つ」とは具体的にどういうことだろうか? 再び秋葉さんの言葉にヒントを見出したい。彼はこう言う。「21世紀は、市民の力で問題を解決できる時代です。・・・そして今や、市民とともに歩み、悲しみや痛みを共有してきた都市が立ち上がり、人類の叡智を基に、市民の声で国際政治を動かそうとしています」。

 その実例として、彼は先ず世界の1698都市が加盟する「平和市長会議」に言及する。この会議は、「戦争で最大の被害を受けるのは都市だ」という事実に立ち、2020年までに核兵器廃絶を目指して積極的に活動している、という。さらに、広島市が全米101都市で「原爆展」を開催し、世界の大学で「広島・長崎講座」を普及させつつあること、アメリカの市長たちが「都市を攻撃目標にするな」というプロジェクトの先頭に立っていること、チェコの市長たちが「ミサイル防衛」に反対していること、ゲルニカのイーペル市長は国際政治への倫理の再登場を呼びかけて「平和市長会議」の国際事務局を提供し、ベルギーの市長たちがそのための資金を集めていることいることなど、いくつもの具体例を挙げて我々を勇気づけてくれた。

古臭い考えに取りつかれている政治家たちに任せておいては、罪なき人々が無残に殺されていく悲惨な戦争を防ぐことも、核を廃絶することもできない。「21世紀は、市民の力で問題を解決できる時代だ」という言葉をさらに現実味のあるものにしたい。そして、教会はこれら市民と共に歩む。これが「愛と正義を保つ」ことなのだ。



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