平和聖日 2007・8・5

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「最も重要な掟」

村上 伸

レビ記 19,17-18;マタイ福音書 22,34-40

 戦後62年も経っているのに、私は最近、時々、「戦争はまだ終わってはいない」と感じることがある。

 先週、アメリカの下院本会議で、「従軍慰安婦問題について日本の首相が公式に謝罪するように求める決議」が採択されたことも、その一つだ。同様の決議案は、2001年以降、今までに4回も提出されたがその都度廃案になっていた。しかし、3月に訪米した時の安倍首相の発言(彼は「狭義の強制性を裏付ける証拠はなかった」と歯切れの悪い言い訳をしたのだ)や、日本の国会議員らが6月14日付の「ワシントン・ポスト」に発表した意見広告(「この決議案は現実の意図的な歪曲だ」という強い調子の意見)に対する反発もあって、今回は圧倒的多数で採択されたという。

 「何故アメリカの議会なのか」、「何故今なのか」、という疑問が私にもないわけではないし、日本政府が言うように、「謝罪」はなされ(河野談話など)、ある種の謝罪行為も行われた(国民基金)のは事実である。だが問題は、謝罪が口先だけのもので、本音は違うという印象を常に与えてきたことだ。安倍首相の発言や国会議員の意見広告は、その本音を暴露したものと受け取られた。だから、いくら謝罪しても本当に世界の人々を納得させることはできず、問題はいつまでもくすぶり続けるのである。

 実際、この国には「あの戦争は間違ってはいなかった」と考えている人々が少なくないのである。この思想を具体的かつ組織的に表した施設が「靖国神社」であるが、歴代の総理大臣はこれに参拝するし、与野党の国会議員も大挙して参拝に行く。こういうことが毎年繰り返されているのを見れば、誰だって「あの戦争を反省する」という言葉が果たして本気なのかと疑わずにはいられない。

 もう一つ、悲しむべき例を挙げたい。富岡幸一郎という気鋭の文芸評論家がいる。『内村鑑三』とか、カール・バルトを論じた『使徒的人間』など、優れた著作を次々に発表したキリスト者である。その人が昨年、『大東亜戦争肯定論』という本を書いて私たちを唖然とさせた。これも、現代日本の風潮の一つかもしれない。

 こういうことを考えるとき、私は、戦争はまだ本当には終わってはいないのではないかと感じるのである。戦争を心から否定し、今後決して戦争はしないと決意し、憲法第9条を堅く守っていくときに初めて、「戦争は終わった」と言えるのだ。私たちは今こそ本当に戦争を終わらせなければならない。

 さて、今日のテキストに眼を向けよう。ここでイエスは、律法の中で最も重要な掟は次の二つだと言われた。すなわち、「心を尽くし、精神(魂)を尽くし、思い(力)を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」(申命記6章5節)と、「隣人を自分のように愛しなさい」[自分自身を愛するように隣人を愛しなさい](レビ記19章18節)である。「律法全体と預言者」、つまり旧約聖書の全内容は、この二つの「愛の戒め」に表れている、とイエスは言われたのである。

 全身全霊をもって神を愛する。「自分を」ではなく「神を」愛する。天地万物を創造された神、命を造り、それを慈しみ・保持される神を愛する。具体的に言えば、自分自身を愛するように隣人を愛する。これは単に旧約聖書の教えというだけでなく、全人類の掟である。これを守らないと、人類は滅びる。

 この全人類の掟に背いて滅亡への道を突き進むのが、戦争である。核兵器はその最たるものだ。私たちはこの「愛の掟」を守り、憲法9条を堅持して、あらゆる戦争をひていし、それを終わらせねばならない。

 この後、デボラ・ジュリアン宣教師に助手を勤めて頂いて聖餐式を守る。デビーさんはフィリッピン出身で、「米国合同メソジスト教会」から派遣され、今は主として、日本に来ている難民や移住労働者のケアをしておられるが、この方とご一緒に聖餐に与ることには深い意味がある。

 ご存知の方も多いと思うが、実は、フィリッピンに対して日本には大きな負い目があるのだ。1941年、ハワイ真珠湾攻撃の3週間後の12月22日に、4万3千人の日本軍がフィリッピンに上陸、直ぐに首都マニラを制圧して軍政を施いた。この占領期間中、日本軍は数々の残虐行為や女性に対する性暴力を惹き起こした。

 戦後も、日本は「友好通商条約」(1973年)を結んで経済的に進出し、莫大な利益を上げたが、その陰で多くのフィリッピン人、特に女性たちが苦しい目にあった。このことは、2006年の「日比経済連携協定」においても変わっていない。

 『戦争責任告白』(1967年)には、「心の深い痛みをもって、この罪を懺悔し、主のゆるしを願うとともに、世界の、ことにアジアの諸国、そこにある教会と兄弟姉妹にこころからのゆるしを請う」という一句がある。私たちが今日、デボラ・ジュリアンさんとともに「恵みの座」に着きたいと願うのは、このことを思うからである。



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