2007・7・22

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「共に生きる生活」

村上 伸

箴言3,27-35;使徒言行録2,43-47

 

 聖霊降臨によって初代教会が誕生したとき、それは整った規則や機構を備えた大きな組織ではなかった。むしろ、自発的に成立した「共同体」であった。2章42節には、この共同体の四つの特色が挙げられている。すなわち、「使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ること」である。このような最小限の規律が自然発生的に生まれ、その中で共同体は生き生きと活動していた。

 四つの特色の第一は、「使徒の教え」である。イエスの生前、最も身近にいて主の指導を受けた使徒たちの教えには権威があると考えられ、これが共同体の指導原理として尊重された、ということであろう。

 第二に挙げられているのは、「相互の交わり」(コイノーニア)である。これは「信者相互の援助体制」(荒井献)で、後で述べるように、それは具体的に、「すべてのものを共有する」(44節)という生き方となって現われた。

 第三は、「パンを裂くこと」である。これは、食事を始める際の儀礼的行為を指すが、「食事」そのもの、さらには「聖餐」をも意味していた。初代教会の頃は、皆で祝福のうちに食事をする「愛餐」と「聖餐」との間に大きな区別はなかったらしい。

 最後に、「祈ること」が挙げられている。初代教会の母体であるユダヤ教では、「週に二度断食し、全収入の十分の一を献げる」(ルカ18章12節)ことや、「日に三度の祈りと賛美を神にささげる」(ダニエル6章11節)ことなどが信者に義務づけられていた。この「祈り」の習慣を、初代教会はユダヤ教から受け継いだのである。

 46-47節にも、「毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集ってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を持たれていた」とある。これが新しい共同体の生活であった。

 さて、先ほども一寸ふれたが、この共同体では、「原始共産制」のような共同生活が具体的に実践された。「信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおの必要に応じて、皆がそれを分け合った」(44-45節)。

 我々の世界は「私有財産」という仕組みの上に成り立っているから、「すべての物を共有に」するとか、メンバーが自分の「財産や持ち物を売り、おのおの必要に応じて、皆がそれを分け合う」といったやり方は過激に見える。

 しかし、このような共同生活は初代教会の時以来、今日に至るまで繰り返し試みられたのである。アッシジのフランチェスコが始めた無一物の生活などは、その代表的な例だ。我々の世界を蝕んでいるエゴイズムを克服するためには、こうした生き方が必要であり有効でもあるということに、昔から多くの人が気づいていたのである。だが、それは残念ながら社会全体を変える力にはならなかった。

 日本でも1918年(大正7年)に武者小路実篤らが「新しい村」の実験を始めたことが知られている。これはトルストイの理想主義によって触発された運動だと言われる。また、「少数の者に独占されていた文化を万人のものとしたい」という白樺派の理想も大きな役割を果たした。個人の幸福追求に明け暮れていた知識人に「共同体」への回帰を促し、同時に生活の基盤を虚栄に満ちた都市から命を育てる田園へ移そうとした。武者小路は自ら日向(宮崎県)の片田舎に「新しい村」を作って、そこで実際に共同生活を始めた。この運動は一定の影響を与えて「新しい村」はいくつか出来たが、やがて衰微する。埼玉県毛呂山にあったのが最後の一つだった。

 初代教会の「新しい共同体」も、武者小路の「新しい村」も、「人間の真にあるべき生活」を求め、その理想をある程度実現したが、長続きしなかった。何故か?

 人間の本性と関係があるのではないか。人はたった独りでは生きて行けないが、四六時中皆と一緒でも行き詰る。そのような厄介な矛盾を抱えた存在なのである。

 先週、中越沖地震が起こって我々は心を痛めている。当初、1万人を越える被災者が避難所で暮らしていた。こういう所で一緒に生活することで、互いに励まし合うことが出来るし、必要な情報も耳に入る。だから、これはどうしても必要だ。

 だが、このような集団生活が長く続くと、次第に疲れてくる。不眠や衛生面での問題で肉体的にも疲れが溜まるが、気持ちの問題が大きいという。中でも、「プライバシーがない」ことがつらい。救援物資の中にダンボールの「衝立」みたいなものがあった。これが意外に高い人気を博しているという。自分の寝ている所の周りをそれで囲うことで、いくらかはホッとするらしい。また、自衛隊が6人用のテントを沢山張ってくれたのも、被災者に喜ばれているようだ。晴れた日の昼間は内部がひどく暑くなるのが難点だが、家族で「水入らず」の時を過ごせる。

 誰かが言ったように、人間にとって「孤独は地獄だが、他人も地獄」である。

 ボンヘッファーに『共に生きる生活』(1939年)という名著がある。彼はその頃、ナチス支配下のドイツで、それに抵抗してキリストの福音を正しく宣教する若い牧師たちを育てる仕事に従事していた。その経験から得られた知恵、また、聖書を熟読することによって得られた洞察が、この本には満ちている。彼は書いている。「交わりの中にいる時にだけ、我々は独りであることが出来るし、独りである者だけが交わりの中で生きることが出来る。この二つは互いに結びついている」。彼は、孤独と交わりは互いに矛盾・対立するものではなく、深く結びついているという知恵を、繰り返して主イエスを見上げることによって得たのである。深く他者と関わり、同時に徹底した孤独に耐えた主イエスを見上げる時、我々もまた「独りであること」、同時に、「交わりの中で生きる」ことができるのではないか。



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