I
現在の日本は、周辺のアジア諸国との間で、ナショナリズムの問題を抱えています。靖国神社の境内には、「国のために命をなげうった人に敬意を示すのは国民の責務です。生まれた国を大切にするのは当然でしょう」と語る若者がいます。首相の靖国参拝に対して、中国や韓国をはじめとするアジア諸国から抗議と懸念の声があがると、「内政に対する不満をごまかすために、反日をはけ口にしているだけ。ありもしない事実をもとに、日本に謝罪をもとめるのはやめて欲しい」という反応が返ってきます(朝日新聞2006年8月22日、「愛国を歩く・上」より)。
私たちは自分たちと民族ないし国家との関係を、神との関係において、どう理解すればよいでしょうか? 有名なモーセの十戒の冒頭部分をとりあげて、イスラエル民族がこのことをどう理解したかを学びながら、ごいっしょに考えてみたいと思います。
II
「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である」――シナイ山の上で、火山現象あるいは雷鳴と稲光の中に現われて、モーセに十戒を授ける神は、そう自己紹介します。「わたしは主」とあるときの「主」という単語は、実際の聖書本文では神聖四文字JHWHで、おそらく「ヤハウェ」と読みます。「わたしはヤハウェ」――モーセに現われた神は、そう自分の名を名乗ることで、自分が誰であるかを告げます。これに続く「あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である」という発言は、ヤハウェが「あなた」と呼びかける者に何をしてきたかを述べることで、自分が何者であるかを告げます。つまりこの自己紹介は、神が自分の名を告げることと、相手との関係の歴史を説明することの二つから成り立っています。
他方で、十戒そのものの内容を読むと、ここで「あなた」と呼びかけられているのが、実際には、イスラエル共同体の正規メンバーである自作農の男性であることが分かります。この人は「主が与えられる土地」(12節)に、「隣人の家」(17節)と境を接して、「町の門」(10節)の中で住んでいます。町には「居留民」(10節)もいます。そしてこの人は結婚していて「妻」(17節)「息子、娘」(10節)と並んで、おそらく年老いた「父母」(12節)がおり、家では「三世代、四世代」(5節)がいっしょに暮らしています。さらに「男女の奴隷、家畜」(10節)などの財産を所有しており、裁判に参加する権利(16節)を持っています。つまり、十戒が差し向けられるのは、世間的に見れば、満足すべき暮らしをしている人です。
すると、イスラエル民族が「主が与えられる土地」で満足して暮らせるのは、ヤハウェの神が彼らを解放したからであり、十戒とは与えられた救いを破壊したり、そこからこぼれ落ちたりすることがないための基本ルールであることが分かります。
もっとも出エジプト記やそれに続く物語の中では、イスラエル民族はモーセの指導のもとに、ようやくエジプトを脱出したところ、これから40年も続く荒野の彷徨に入ってゆくところです。そのような場面で与えられる十戒が、すでに定住する自作農を想定しているのは、ストーリーの展開にうまく合致しません。おそらく十戒は、本当は出エジプト記の読者の暮らしに、よりよく合致しているのだと思います。つまり今は、家も家族も財産もあるイスラエル民族が、かつての奴隷状態からの解放という、民族の伝説的な過去の物語を読んでいるわけです。
III
「あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である」という表現は、「あなた」という単数形はあるものの、民族のアイデンティティに関係します。エジプトの奴隷状態からの解放と、モーセを介した律法の賦与は、旧約聖書では、イスラエル民族建立のできごとと理解されています。
エジプト脱出のできごとは、イスラエル民族が国家を喪失するという痛ましい経験をしたとき、そこからの回復を思い描くイメージとして何度も使われました。バビロン捕囚からの解放は、第二の出エジプトと理解されました。ユダヤ民族がローマ帝国の支配下にあったときも、多くの預言者が、出エジプトの伝説にまつわる表象を用いて、民族の独立回復を訴えています。
出エジプト記をふくむモーセ五書が、いつごろ、どのように成立したのかをめぐっては、学者たちがさかんに議論しています。いろいろな説がありますが、モーセ五書がいまあるかたちをとったのがバビロン捕囚より後の時期であることは、共通して前提されています。つまり「あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である」という神の自己紹介を聞く人々は、そのようにして与えられた民族のアイデンティティが、一度は決定的なしかたで失われたこと、そしてそれがもう一度新しく与えられたことを知っている人々です。
IV
もうひとつ忘れてならないことがあります。すなわち、出エジプトと律法の賦与というできごとを通して与えられ、バビロン捕囚を通していったんは失われた、イスラエル民族のアイデンティティは、自民族のことだけで完結しません。この民族が神の律法を与えられたのは、自分たちだけが祝福された生活を送るためではありませんでした。そのことを、十戒の賦与に先立つ出エジプト記19章の叙述が、はっきり示しています。山に登ってゆくモーセに、神は次のように語りかけます(出エジプト記19,3-6)。
ヤコブの家にこのように語り
イスラエルの人々に告げなさい。
あなたたちは見た
わたしがエジプト人にしたこと
また、あなたたちを鷲の翼に乗せて
わたしのもとに連れて来たことを。
今、もしわたしの声に聞き従い
わたしの契約を守るならば
あなたたちはすべての民の間にあって
わたしの宝となる。
世界はすべてわたしのものである。
あなたたちは、わたしにとって
祭司の王国、聖なる国民となる。
イスラエル民族を奴隷状態から解放したのは、単にこの民族がひとり「選ばれた民」として幸せに暮らすためではありません。ましてやモーセ五書を読む者は、イスラエル民族が一度は国を失ったことを知っています。その彼らが神の契約としての律法を守ることで、神にとって「わたしの宝」となるのは、世界の諸民族のためなのです。すなわちもう一度民族共同体として存在することを許されたイスラエル民族は、他のすべての諸民族との関係において「祭司の王国」「聖なる国民」となること、つまり神と諸民族の間を仲介する「祭司」としての役割を果たすことがその使命です。そして、この祭司としての役割を通して、「地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る」(創12,3)というアブラハムに与えられた約束が実現するのです。
十戒は、そのような地上の全民族に対する使命と課題に生きる、イスラエル民族の一人びとりに与えられたものなのだと思います。現代のイスラエル国家のあり方が、聖書が証言する民族的な使命に逆行しているのは、悲しいことです。
V
さて日本人も、自らの民族ないし国家としてのアイデンティティを、1945年、第二次世界大戦に敗北することで、一度決定的なしかたで失いました。この戦争は自国民ばかりか、アジア諸国の民衆に甚大な被害を与えました。日本は敗戦後の数年間、米国を中心とする連合軍によって占領されました。そして、その中で新憲法を整え、やがてサンフランシスコ講和条約を受け容れて、1952年に主権国家として国際社会に復帰しました。
エジプトの地がイスラエル民族にとってそうであったように、軍国主義時代の日本は、当時のアジアの諸民族にとって、まちがいなく「奴隷の家」でした。軍国主義は、多くの日本人にとっても、自分で自分を「奴隷」とする行為であったと思います。戦後の日本国憲法は、まずは日本人自身を、この呪縛から解放するためのものでした。憲法前文は、国民主権をうたっています。同時に憲法前文は、他国との関係について次のように言います、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」。戦争放棄をうたった第9条は、その具体的な表現であり、とりわけ甚大な被害を受けたアジア諸国に対する「不戦の誓い」でした。
もちろん人間が作った憲法は、神の律法とは違います。戦後処理をめぐって――例えば、かつての帝国によって「日本人」に組み入られた人々が新憲法の枠から排除されるなど――積み残した問題はたくさんあります。「国家」および「民族」という概念もまったく同じものではないでしょう。それでも、現在の日本政府が「国際貢献」という言葉で、主として憲法9条の改正と、軍隊の海外派兵を念頭においていることは、十戒を受けとるイスラエル民族が、諸民族に対する「祭司の王国」になるという役割を負わされていることと、何と遠く隔たっていることでしょうか。祭司の役割は人々に神の祝福を伝えることであり、そのための手段は軍事力ではありえません。
戦後日本の平和憲法は、国際社会において、その祭司的な役割をすでに終えてしまったのでしょうか。そうは思いません。では、このような国にキリスト者として生きる私たちにとって、神と諸民族を仲介する「祭司」としての役割とは何でしょうか。
VI
新約聖書で、洗礼者ヨハネの誕生にまつわる父ザカリアの賛歌に、次のような一節があります(ルカ福音書1,76-79〔佐藤研氏の訳による〕)。
幼子よ、お前こそは「いと高き者の預言者」と呼ばれるであろう。
お前は主の御前で歩むゆえ。〔それは〕主の道を備えるため、
己の民に救いの悟りを与えるため、
彼らの罪の赦しのうちに。
〔これは〕われらの神の恵みの断腸の想いのゆえ。
その想いのうちに、高きところより黎明の光がわれらを訪れ、
暗黒と死の陰とに座する者らに光輝き、
われらの足〔どり〕を平安の道へと直に導く。
この賛歌は、洗礼者ヨハネの役割が、自分の民族に「救いの悟り」を与えることにあると歌います。しかも救いの悟りは、「彼らの罪の赦しのうちに」与えられる、と。罪を赦された者だけが、救いを悟ることができるのです。しかもそうしたこと全体が、「われらの神の恵みの断腸の想いのゆえ」に生じる、と言われています。そして、同じ神の思いの中にあって、「黎明の光」なるキリストが私たちを訪れて、私たちの「足どりを平安の道に導く」であろう、と。
この歌は、もちろん古代イスラエル民族を念頭においています。それでもその趣旨を、私たちの歴史に当てはめて考えれば、日本が先の戦争の罪責をアジア諸国の人々から赦されたとき、私たちは自分たちが救われたことを悟るようになる、と読み替えてよいのではないでしょうか。そして実際、多くのアジアの戦争被害者が、日本人を赦してきました。映画「戦場にかける橋」で有名になったタイ・ビルマ国境の泰緬鉄道の建設では、多くの人々が強制労働の中で命を落としました。そのことを記憶に留めるための戦争博物館には、「Forgive, but not forget(許そう、しかし忘れまい)」という和解の言葉が掲げられているそうです。
赦された者たちが、何を赦されたのかを忘れたり、知らんぷりをしてはいけませんね。自分たちが赦されて存在していることを忘れないで、世界の諸民族のために、和解を促進する「祭司」としての役割を果たすこと――そのことを何度も思い起こさせるのが、「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である」というイスラエルの神、そして私たち主イエス・キリストの父なる神なのだと思います。