2006・8・6

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「善をもって悪に勝て」

村上 伸

詩編 34,12-15; ローマ12,9-21

 イスラエルのレバノン攻撃のことで、先週は毎日心を痛めていた。その中で「平和聖日」を迎える準備のために何冊かの詩集を読んだ。そして、考えた。今の時代に必要なのは、これら詩人たちの「鋭い感性」ではないか。人を殺すことにすっかり鈍感になってしまった政治家たちや軍人たち、そして、あれほどの戦争の惨禍を忘れてしまったかのように今また戦争への道を走り始めているこの国の人々に、「せめてその何十分の一かの感性があったら!」と思わずにいられない。

 原民喜の『夏の花・心願の国』(今日の週報参照)や、茨木のり子の『鎮魂歌』などにも胸を打たれたが、特に宗左近の長編詩『炎える母』が印象に残った。

 宗左近は、その頃はまだ東大に籍を置く26歳の青年であった。空襲で焼け出され、母と一緒に近くのお寺に身を寄せていたが、1945年5月25日の空襲でその寺も炎上し、母の手を握りしめて炎の中を逃げ惑う。だが、迫って来る炎の中で、母の手は「ずるずる / すりぬけてずりおちてすべりさって」、とうとう彼の手から離れてしまう。母は「行きなさい、私にかまわないで」と叫びながら、その場で焼け死ぬ。宗左近の目にはこの場面が焼きつけられた。だから、彼はこの長い詩の中で、痛恨の言葉を何度も呟くのである。「ワタシハハハヲオキザリニシタ / ワタシハハハヲミゴロシニシタ」。彼は自分を責める。「生かしておけない / わたしはわたしを / なぜならわたしは / わたしを生んだものを / 殺してしまったのだから」。この自責の念は、昨年86歳で世を去るまで、遂に彼の胸から消えることがなかった。

 戦争が起こると、多くの人がこのように苦しむ。先週、8月2日は八王子空襲の記念日だった。私は当時、西八王子にあった陸軍幼年学校の生徒だったが、その夜、学校は瞬く間に猛火に包まれ、友達が何人も死んだ。その一人は、爆弾を避けて地面に伏せていたとき、一本の焼夷弾に背中を直撃されて、そのまま「炎えた」。

 戦争の中では、無数の人が苦しみ抜いて死んで行く。沖縄戦の末期、一般市民の中には日本軍の命令を守って米軍への降伏を拒否したばかりに、壕(ガマ)の中で火炎放射器によって焼かれた人も多いと聞く。文字通り「炎えた」のである。あるいは、当時中学生であった金城重明牧師は、ガマの中で集団自決を強いられ、母親や兄弟を手にかけた。「炎える」よりも苦しかったであろう。そして、最後に廣島と長崎!瞬時に何万という人々が「炎えた」。原民喜が描いた情景は決して誇張ではなかったろう。だが、栗原貞子が書いたように、苦しんで死んで行ったのは日本人だけではない。

 「<ヒロシマ>というとき / <ああヒロシマ>とやさしくこたえてくれるだろうか / <ヒロシマ>といえば <パールハーバー> / <ヒロシマ>といえば <南京虐殺> / <ヒロシマ>といえば女や子どもを壕の中に閉じこめ / ガソリンをかけて焼いたマニラの火刑 / <ヒロシマ>といえば / 血と炎のこだまが返って来るのだ・・・」

 これも先週のことだが、私は「蟻の兵隊」というドキュメンタリー映画を見た。1945年8月15日、日本は「ポツダム宣言」を受諾して無条件降伏したが、中国・山西省にいた日本軍の将兵59,000人のうち2,600人がそのまま中国に残留を命じられ、国民党系の軍閥・閻錫山の指揮下に入った。日本軍の司令官が閻錫山と密約を交わして、いわば「武装した軍隊を売って」保身を図ったのである。この部隊は、閻錫山軍の強力な「助っ人」として「八路軍」(中国共産党の軍隊)と戦い、この内戦で550人が戦死し、700人以上が捕虜になった。後にようやく帰国した兵士たちは「戦後保障」と「軍人恩給」の支給を求めて提訴するが、裁判所は「自発的に残ったのだから・・・」と言って全く相手にしてくれない。生存者の一人、奥村元兵長が証拠を求めて中国に行く。「文書資料館」で遂に動かぬ証拠の「密約文書」を見つけ、彼は興奮する。

 だが、それよりも私にとって印象的だったのは、この旅行の途中、各地で中国の人々から生の声を聞き、彼があの頃、日本軍の兵士として中国の人々に対して犯した罪を次第に明確に意識するようになった経過である。初年兵だった彼は、上官に「度胸をつけるためだ」と言われ、縛られている中国人捕虜を銃剣で突き刺して殺したのであった。その処刑場跡を探し当てた彼は、地面に跪いて線香を供えるが・・・。

 宋さん、日本軍があなたのお国を侵略したとき、どれだけ多くの人を苦しめて殺したことだろう。全さん、日本があなたのお国を植民地にしていた間、どれだけ沢山の人が苦しんで死んで行ったことだろう。そして、デビー・ジュリアンさん、日本軍があなたのお国を占領していた間、どれだけ多くの人が苦しんで死に、「炎える母」になったことだろう。ただ、お国の方々の赦しを請い求め、神の憐れみを祈るほかはない。日本の多くの政治家たちは、このことを本当に心に刻みつけることを怠って来たのではないか。だが、社会の良心であるべき教会は、そうであってはならない。

 ここで聖書の言葉を聞きたい。「愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れず、兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい」(ローマ12章9-10節)。こういう言葉があること自体、私たちにとって深い慰めである。主イエスは、ご自分の命をかけてこのように生きられた。そして、その言葉が今、人類が守るべき教えとして私たちにも受け継がれているのである。

 私たちの国は、先の大戦のとき、アジアでは悪を行った側である。だが、「悪に負けることなく、善をもって悪に勝つ」(21節)という生き方を求めた人々がどこかにいたお蔭で、私たちは今もこうして生きることを許されている。この経験こそ、私たちが将来に伝えるべき貴重な遺産ではないだろうか。

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