2006・2・19

「弱いときにこそ強い」

村上 伸

イザヤ書43,16-20コリントニ12,1-10

 この手紙を書いたパウロは、主イエスの生え抜きの弟子ではない。徳川時代に「譜代大名」と「外様大名」があったというが、この言い方をもじれば、パウロは「外様の弟子」である。回心する迄はイエスの弟子たちを迫害する側の代表人物であったし、回心して弟子になったのも、イエスの死後になってからである。そんなこともあって、彼はしばしば「いかがわしい人間」と見られた。

 それに比べてペトロ、ヤコブ、ヨハネを初めとする12人の使徒たちは、イエスがガリラヤで宣教を始めた当初から付き従って苦労を共にした、いわば「譜代の側近」、生え抜きの弟子である。もっとも、彼らにしてもイエスに対する理解は十分とは言えなかったし、イエスが十字架につけられるときには、皆、彼を見捨てて逃げてしまったから、偉そうなことは言えない。だが、甦った主イエスに出会ってからは、「復活」という決定的に重要な出来事の証人として生きた。この、主イエスとの深い結びつきの故に、彼らは「使徒」として信用され、尊敬を受けたのである。だが、パウロにはそれがない。そのために、彼はコリント教会の人々からいろいろ言われた。

 今日のテキストについて述べる前に、少し遡って、その辺の消息を確認しておきたい。パウロは先ず自分のことを、「あなた方の間で面と向かっては弱腰だが、離れていると強硬な態度に出る、と思われている」10章1節)と紹介する。これは、彼らの口さがない噂を、皮肉をこめて逆用したのである。かなりひどい悪口が、彼の耳にも入っていたらしい。中には、パウロの「手紙は重々しく力強いが、実際に会ってみると弱々しい人で、話もつまらない」(同10節)、とこき下ろす人もいた。

 要するに、パウロには果たして使徒の資格があるか、と疑われていたのである。これは、彼にとって大変つらいことだったに違いない。だから彼はこの手紙の中で、いささか「こだわり過ぎ」ではないかと思われる程クドクドと、自分もイエスの弟子であり、神の召命を受けた使徒である、と訴える。11章に入ると、「あの大使徒たちと比べて、わたしは少しも引けはとらないと思う」(5節)と言い、さらに、「彼らはヘブライ人なのか。わたしもそうです。イスラエル人なのか。わたしもそうです。アブラハムの子孫なのか。わたしもそうです。キリストに仕える者なのか。気が変になったように言いますが、わたしは彼ら以上にそうなのです」(同22-23節)と、言葉に熱を込める。それに続けて彼は、自分が使徒としてどれ程の苦労を重ねて来たか、と鬱積した思いを吐き出す(23-29節)。

 今日の説教テキスト(12章)は、それを受けているのだ。パウロはここで、自分は「一人の人を知っている」(2節)と、まるで他人事のように語っているが、これはもちろん自分のことである。自分には、先に挙げたもろもろの苦労だけでなく、「第三の天にまで引き上げられた」(2節)という神秘的な経験もある。使徒の資格としては十分ではないか、と彼は考える。その誇りと、いや、「誇るのは愚かなことだ」という抑制が、彼の心の中でせめぎ合う。それが今日の箇所の前半部分(1-7節)である。

 7節の後半から、パウロは、人から言われたくない自分の肉体上の弱さについて、自発的に語り始める。「それで、そのために思い上がることのないようにと、わたしの身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです」(7節後半)。

 「一つのとげ」とか、「サタンから送られた使い」とは何だろうか? 『ガラテヤの信徒への手紙』の中に一つのヒントがある。「この前わたしは、体が弱くなったことがきっかけで、あなたがたに福音を告げ知らせました」ガラテヤ4章13節)というのだ。これは、持病が悪化したので旅程を変更し、湿気が少なく療養に適した高地のガラテヤに行ったことを示唆している。何の病気かは分らない。癲癇のように激烈な発作を伴うものであったと言う人もいる。とにかく、パウロ自身が「わたしの身には、あなたがたにとって試練ともなるようなことがあったのに、さげすんだり、忌み嫌ったりせず、かえってわたしを神の使いであるかのように、また、キリスト・イエスででもあるかのように、受け入れてくれました」(同14節)、と言っているところを見ると、その症状はショッキングなものだったのだろう。彼はこのことを気に病んでいた。

 だから、彼は、この病気を「離れ去らせてくださるように、三度主に願いました」(8節)と言う。「三度主に願った」とは、心をこめて、繰り返し神に祈った、という意味である。イエスは、十字架の死が迫った時、ゲッセマネの園で苦しみ悶えながら、三度、「この杯をわたしから取りのけてください」マルコ14章36節)と祈った。パウロも同様に切羽詰っていた。だが、正にその時、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮される」(9節)という主の言葉を聞いたのである。そして、「わたしは弱いときにこそ強い」(10節)という悟りに達したのだ。

 最近、友人から金澤絵里子著『かわいくて、わがままな弟』という本を贈られた。著者の弟の正和君は「筋ジストロフィー」だ。全身の筋肉がだんだんと衰えていくという難病で、車椅子の生活を余儀なくされる。だが、彼は母親や二人の姉に支えられて明るい青年に成長する。遠慮なくわがままを言ったり、口論したりもする。やがて大分の高校を卒業し、国際基督教大学に進む。この大学はごく自然に彼を受け入れ、彼も大喜びで学生生活を楽しんでいたが、昨年の1月に病状が急変し、21歳の若さでこの世を去った。難病に冒されながら「生ききった」彼の姿は、教師や学友たちに深い印象を残したらしい。ICUは彼を記念して「マサの平和構築論賞」の設置を決めた。「わたしは弱いときにこそ強い」という逆説は、至る所で光を放っている。


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