2005・7・10

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「希望を持って忍耐する」

村上 伸

出エジプト記16,1-12テサロニケの信徒への手紙一 1,1-10

 今後しばらくは、特別の場合を除き、『テサロニケの信徒への手紙一』によって説教したい。これは、パウロの最初の手紙であって、彼の初期の思想や信仰を知るのに好都合だからだ。全部で5章というのも適当な分量である。

さて、テサロニケはギリシャの地名で、現在のサロニキに当たる。当時はローマ帝国マケドニア州の首都で、交通の要衝でもあり、大変栄えた港町であった。パウロがそこへ行った時のことは、大体、使徒言行録17章に書いてある。それによると、パウロは第2次伝道旅行の途中、小アジアのトロアスから海峡を越えて初めてギリシャに渡り、フィリピなどを経てテサロニケに立ち寄った。49年頃のことである。滞在は約4週間に及んだが、その間、彼は度々ユダヤ人が集るシナゴーグ(会堂)に行き、彼らを相手に論じ、イエスこそ旧約聖書に預言されているメシア(救世主)に他ならないと説いた。彼らのうちのある者はパウロに従い、「かなりの数のおもだった婦人たちも」(17章4節) 彼の教えを受け入れたが、「ユダヤ人たちはそれをねたみ、広場にたむろしているならず者を何人か抱きこんで暴動を起こした」(17章5節)とある。混乱に乗じてパウロを捕え、民衆の前に引き出すつもりであった。この危険を察知すると、パウロの支持者たちは「直ちに夜のうちに」(17章10節)彼を逃がした。つまり、「夜逃げ」である。パウロのテサロニケ伝道は、ある意味では失敗に終わったと言っていい。

その後、パウロはベレアやアテネに寄り、50年の秋ごろコリントに到着する。風紀の余り良くない港町だ。彼はここに1年半ほど腰を据えて伝道した。その間、彼は無論、テサロニケの人々のことをずっと気にかけていたのである。自分は夜逃げ同様に逃げ出して来たけれども、影響を受けて信仰に入った人たちは、あれからどうしているだろうか? ぜひ会いに行ってこの目で無事を確めたいと願ったが(2章17-18節)、中々そのチャンスがない。とうとう我慢ができなくなって(3章2節)、様子を探るために若い弟子テモテをテサロニケに派遣した。そのテモテが、間もなく吉報をもたらす。「テモテが・・・今帰って来て、あなた方の信仰と愛について、うれしい知らせを伝えてくれました」(3章6節)。この報告を受けたパウロは、喜びを爆発させる。「わたしたちは、神の御前で、あなたがたのことで喜びにあふれています。この大きな喜びに対して、どのような感謝を神にささげたらよいでしょうか」(3章9節)

不思議に思う方もいるかもしれない。旅の途中で会って、僅か4週間生活を共にしただけ、そしてこれからも別々に暮らして行く「縁の薄い」人々だ。その人々が信仰を守って生きていると聞いただけで、何故こんなに「喜びに溢れる」のか?

だが、これこそはキリスト者の生き方の根本的な特徴なのである。パウロに限ったことではない。私たちにとって、「行きずり」の人といえども決して「どうでもいい」存在ではない。「袖振り合うも他生の縁」というが、それよりもずっと重い意味で、いかなる人も神によって結ばれた大切な存在なのである。

主イエスはある時、すべての律法の中で第一に重要なのは「心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」(申命記6章5節)という戒めだと言われた。自分が中心なのではない。神(絶対他者)がすべての中心である。だが、その後で直ぐ、主イエスはレビ記19章18節「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」という言葉を引き、これも第一の戒めと同様に大切だと教えられた。自分だけが中心なのではない。神はすべての人に、自分自身と同じ位大切なものとして隣人(他者)を与えられたというのである。そのことによって、私たちは悪しき「自己中心主義」から解放される。これこそ、キリスト教的人生の根本的な特徴なのである。

パウロが「めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい」(フィリピ2章4節)と言ったのも同じ意味である。『ローマの信徒への手紙』12章で、彼は「尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい」(9節)、さらに、「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」(15節)と教えた。他者は、私たちにとって喜びも悲しみも共にするために与えられた、かけがえのない人々なのである。

大江健三郎さんは、ある時、「キリスト教では他者のために祈る。自分はそのことに深く胸を打たれる」と言ったことがある。彼の鋭敏な感性に敬意を表したい。「他者のために祈る」ということこそ、キリスト者の生き方の根本だからだ。私たちが「あなたのために祈る」と言う時、それは単なる「外交辞令」でも、「お上手」でもない。私たちが他者のために祈るのは、それ以外に生きようがないからである。

ところでパウロは、テサロニケの信徒たちが「忍耐している」(3節)ことを高く評価した。最後に、私はこの点に目を留めたい。「忍耐」は、ギリシャ語で「ヒュポモネー」という。「ヒュポ」は「・・・の下で」という意味であり、「モネー」は「留まる」から来た言葉だから、「ヒュポモネー」は本来、「いかなる重圧の下でもじっと我慢して持ち堪える」ことを意味する。

テサロニケの信徒たちがそのように忍耐することができたのは何故か?「主イエス・キリストに対する希望を持って」いたからだ、とパウロは言う。つまり、復活の主が共にいて下さることを信じ、この信仰による希望を持つときに初めて、いかなる重圧にも耐えることができるのである。

2000年たった今、私たちもさまざまな重圧に押しつぶされそうになっている。だが、復活の主と共に、そしてテサロニケの信徒たちと同じように、私たちも忍耐しよう。


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